イゴール・トゥドール

クロアチアのサッカー選手・監督

イゴール・トゥドール(Igor Tudor、1978年4月16日 - )は、クロアチアスプリト出身の元同国代表の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー

イゴール・トゥドール
ウディネーゼ監督時代(2018年)
名前
ラテン文字 Igor TUDOR
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1978-04-16) 1978年4月16日(46歳)
出身地 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビアスプリト
身長 193cm
体重 90kg
選手情報
ポジション DF (CB), MF (DH)
利き足 右足
ユース
クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1999 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト 58 (3)
1996 クロアチアの旗 トロギル 5 (1)
1999-2007 イタリアの旗 ユヴェントス 110 (15)
2005-2006 イタリアの旗 シエーナ 39 (2)
2007-2008 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト 8 (1)
通算 220 (22)
代表歴
1997-2006 クロアチアの旗 クロアチア 55 (3)
監督歴
2012-2013 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト U-17
2013-2015 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト
2015-2016 ギリシャの旗 PAOK
2016-2017 トルコの旗 カラビュックスポル
2017 トルコの旗 ガラタサライ
2018 イタリアの旗 ウディネーゼ
2019 イタリアの旗 ウディネーゼ
2020 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト
2020-2021 イタリアの旗 ユヴェントス(アシスタント)
2021-2022 イタリアの旗 ヴェローナ
2022-2023 フランスの旗 マルセイユ
2024 イタリアの旗 ラツィオ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

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現役時代

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クロアチア代表では1998年のワールドカップで3試合に出場[1]、3位入賞を果たした。2006年のワールドカップでも3試合に出場、通算55試合3得点[1]

193cmという恵まれた体躯で空中戦に強く、そのヘディングはコーナーキックの時も大きな威力を発揮し、ユヴェントスFCに所属していた2000-2001シーズンは6得点を記録。また、2001年にはクロアチア最優秀選手に選出されている。

2005年1月にACシエナにレンタル移籍。チームに欠かせない存在となっていたが、1シーズン半の在籍を経て、2006年からユヴェントスFCに復帰。2007年6月に地元ハイドゥク・スプリトへ復帰した。しかしながら、慢性的な怪我の状態から完全な回復をすることが難しく、ハイドゥクでも出場機会が限られた。これにより、2008年7月に30歳での現役引退を表明した。

指導者転身後

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2009年からはハイドゥクに引き続き残り、アシスタントコーチを務めていた。2013年4月、ミセ・クリスティチェヴィッチ監督の辞任に伴い、監督に昇格した。

2015年6月18日PAOK FCの監督に就任した。

2016年6月18日カルデミル・カラビュックスポルの監督に就任した。

2017年2月15日ガラタサライSKの監督に就任した。2017-18シーズンはリーグ戦16試合で10勝2分け4敗の戦績を残し、首位のイスタンブール・バシャクシェヒルFKに1ポイント差の2位に導いていたが、ベシクタシュJK戦 (0-3)、さらに格下のイェニ・マラティヤスポル戦 (1-2)の連敗を受け、同年12月18日に解任された[2]

2018年4月24日ウディネーゼ・カルチョの監督に就任し[3]、4試合の指揮で2勝1分け1敗という好成績を残し、チームを残留に導き、シーズン終了後に退任。

2019年3月20日、成績不振で解任されたダヴィデ・ニコーラ監督の後任としてウディネーゼの監督に復帰した[4]

2019年12月23日、年明け1月より再びハイデュク・スプリトの監督に就任することが発表された[5]

2020年8月23日、ハイデュク・スプリトの監督を退任し、新監督アンドレア・ピルロ率いるユヴェントスFCのアシスタントコーチに就任した[6]

2021年9月14日エウゼビオ・ディ・フランチェスコの後任としてエラス・ヴェローナFCの監督に就任した[7]

2022年7月4日、オリンピック・マルセイユの監督に就任[8]。リーグ3位の好成績を残すも1シーズンのみで退任した。

2024年3月、SSラツィオの監督に途中就任[9]。 前監督のマウリツィオ・サッリの下ではなかなか出場機会に恵まれなかった鎌田大地を積極的に起用するなど、セリエAのボトムハーフに沈みかけていたクラブを立て直し、結果的には7位まで順位を上げた[10]。同年6月に監督を退任した[10]

監督成績

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2022年5月28日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ハイドゥク・スプリト   2013年4月29日 2015年2月4日 78 35 21 22 132 105 +27 044.87
PAOK   2015年6月18日 2016年3月9日 45 17 17 11 68 45 +23 037.78
カラビュックスポル   2016年6月18日 2017年2月15日 21 8 3 10 27 33 −6 038.10
ガラタサライSK   2017年2月15日 2017年12月18日 34 19 4 11 67 47 +20 055.88
ウディネーゼ   2018年4月24日 2018年6月7日 4 2 1 1 5 7 −2 050.00
ウディネーゼ   2019年3月20日 2019年11月1日 22 9 4 9 23 31 −8 040.91
ハイドゥク・スプリト   2020年1月2日 2020年8月21日 18 9 1 8 32 24 +8 050.00
エラス・ヴェローナ   2021年9月14日 2022年5月28日 36 14 11 11 65 56 +9 038.89
マルセイユ   2022年7月4日 2023年6月1日 51 30 8 13 82 51 +31 058.82
ラツィオ   2024年3月18日 2024年6月6日 !
合計 309 143 70 96 501 399 +102 046.28

タイトル

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選手時代

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ユヴェントスFC
個人

指導者時代

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HNKハイドゥク・スプリト

脚注

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  1. ^ a b Tudor”. Croatian Football Federation. 2022年3月1日閲覧。
  2. ^ ガラタサライがトゥドール監督を解任、リーグ戦は首位と1ポイント差の2位”. 超ワールドサッカー (2017年12月19日). 2019年3月21日閲覧。
  3. ^ 11連敗中のウディネーゼ、オッド監督を解任…後任はトゥドール氏”. サッカーキング (2018年4月25日). 2019年3月21日閲覧。
  4. ^ 残留争い中のウディネーゼ、新指揮官トゥドル招へいを発表…昨年に続き2季連続”. Goal.com (2019年3月21日). 2019年3月21日閲覧。
  5. ^ POVRATAK NA KLUPU BIJELIH: IGOR TUDOR OD SIJEČNJA NOVI TRENER HAJDUKA!” (クロアチア語). HNK Hajduk Split (2019年12月23日). 2021年9月25日閲覧。
  6. ^ LO STAFF DI ANDREA PIRLO” (イタリア語). Juventus FC (2020年8月23日). 2021年9月25日閲覧。
  7. ^ Igor Tudor è il nuovo allenatore del Verona” (イタリア語). Hellas Verona FC (2021年9月14日). 2021年9月25日閲覧。
  8. ^ サンパオリ電撃退任のマルセイユがトゥドール氏の新監督就任を発表!”. 超ワールドサッカー (2022年7月5日). 2022年7月5日閲覧。
  9. ^ 鎌田大地所属ラツィオの新指揮官決定!昨季マルセイユをリーグ3位に牽引したトゥドールと2025年までの契約締結”. GOAL Japan (2024年3月19日). 2024年3月19日閲覧。
  10. ^ a b ラツィオ指揮官トゥドール監督の辞任が決定 鎌田大地ら今夏の補強方針でクラブと折り合いつかず僅か3カ月で去ることに|theWORLD(ザ・ワールド)|世界中のサッカーを楽しもう!”. www.theworldmagazine.jp. 2024年6月6日閲覧。

外部リンク

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