イスタブラク (Istabraq) とはアイルランド競走馬である。チャンピオンハードル3連覇を達成するなどハードル競走で無敵の強さを発揮した。父は大種牡馬サドラーズウェルズ、半兄にエプソムダービー優勝馬セクレト、甥に日本の障害競走で活躍したロードプリヴェイルがいる。

イスタブラク
品種 サラブレッド
性別 せん
毛色 鹿毛
生誕 1992年5月23日
Sadler's Wells
Betty's Secret
母の父 Secretariat
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Shadwell Estate Co.
馬主 Sheikh Hamdan bin Rashid Al Maktoum
John P. McManus
調教師 エイダン・オブライエン
競走成績
生涯成績 40戦25勝(うち障害29戦23勝)
獲得賞金 1,053,385ポンド
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戦績 編集

その血統背景から平地競走での活躍を期待されたが、1994年からの2年間で下級レースで2勝しか挙げられなかった。ジョン・ゴスデン調教師の助手であったジョン・ダーカンは独立し、イスタブラクの障害競走でのデビューに向け調教を行った。しかし、ダーカンは白血病に冒されてしまい、復帰までの間イスタブラクを友人のエイダン・オブライエンに預けることにした。

1996年12月にハードル競走でデビューしたイスタブラクは、初戦こそアタマ差の2着に敗れるものの、そのシーズンでその後ロイヤル&サンアライアンスノービスハードルなどのノービスの大レースを含めて5連勝を飾る。1995/96年シーズンではアイルランドのレパーズタウン競馬場で行われるAIGヨーロッパチャンピオンハードル、そしてイギリスチェルトナム競馬場で行われるチャンピオンハードルという短距離ハードルの最高峰のレースを制したが、ダーカンがAIGヨーロッパチャンピオンハードルの直前に亡くなったため(ダーカンの葬式はレース前日のレパーズタウン競馬場最寄の教会で執り行われた)、イスタブラクは結局引退までオブライエンの元にいることになった。

ハードルの有力馬もその後は多くがチェイスへと活躍の場を移すが、イスタブラクは最後までハードル競走のみに出走し、2001年までにAIGヨーロッパチャンピオンハードル4連覇、チャンピオンハードル3連覇を達成する。しかし史上初の4連覇を狙った同年のチャンピオンハードルは口蹄疫によりチェルトナム・フェスティバルが中止となったため施行されず、翌2002年の同レースで故障により競走中止。これを最後に引退した。

シーズン別競走成績 編集

 平地競走  編集

1994年 1戦0勝

1995年 9戦2勝

1996年 1戦0勝

 障害競走  編集

1996/97年 6戦5勝

  • ロイヤル&サンアライアンスノービスハードル

1997/98年 6戦5勝

  • ジョンジェームズマクメイナスメモリアルハードル、AIGヨーロッパチャンピオンハードル、チャンピオンハードル

1998/99年 7戦7勝

  • ジョンジェームズマクメイナスメモリアルハードル、AIGヨーロッパチャンピオンハードル、チャンピオンハードル
    エイントリーハードル、シェルチャンピオンハードル

1999/00年 5戦4勝

  • ジョンジェームズマクメイナスメモリアルハードル、AIGヨーロッパチャンピオンハードル、チャンピオンハードル

2000/01年 3戦1勝

  • AIGヨーロッパチャンピオンハードル

2001/02年 2戦1勝

血統表 編集

イスタブラク血統サドラーズウェルズ系/Princequillo4×4=12.50%、Nearco5×5=12.50% (血統表の出典)

Sadler's Wells
1981 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong

Betty's Secret
1977
Secretariat
1970 栗毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
母の母
Betty Loarine
1965 栗毛
Prince John Princequillo
Not Afraid
Gay Hostess Royal Charger
Your Hostess F-No.4-d

外部リンク 編集