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イスパノ・スイザ 20mm航空機関砲
イギリスによって独自改良されたモデルである、イスパノ[1] Mk.V(Hispano Mark V)

イスパノ・スイザ HS.404(Hispano-Suiza HS.404)は、イスパノ・スイザ社によって開発された口径20mm、20×110mm弾を使用する航空機関砲である。

20世紀中に最も幅広く使用された航空兵器の1つで、イギリスアメリカフランスなどを始めとする多くの軍隊で採用された。

イギリスでライセンス生産/独自改良されたものは“Hispano Mark *[1]、アメリカでライセンス生産/独自改良されたものには“AN-M1/2/3”および“M24”の制式名称がつけられている。

目次

概要編集

1933年、イスパノ・スイザ社はスイスエリコン社が開発した初期型エリコン FFS航空機関砲特許およびライセンスを取得し、フランスでHS.7およびHS.9として生産を行った。

これは、イスパノ・スイザ 12Y 液冷V型エンジンの上に砲を搭載し、ギアボックスを介して軸を上方に偏移させたプロペラ駆動軸を中空にしてその軸内に砲身を通す、という“モーターカノン(Moteur-canon)”方式に用いるものとして、大口径かつコンパクトな機関砲を求めていたためで、この方式は発砲反動をエンジンブロック全体で受け止めることができるため、大口径機銃を比較的小型の単発機に安定して搭載することが可能となった。

“モーターカノン”方式の武装を持つ戦闘機は第二次世界大戦の勃発前からフランスで採用され、フランス以外でも注目を集めた。日本でも1935年(昭和10年)に研究用としてドボワチン D.510とともにモーターカノンをフランスから輸入している。

しかし、HS.7/9の生産開始直後、エリコン社との間に特許を巡る係争が発生し、両社の協定が破棄されてしまったために継続的な生産が不可能となり、イスパノ社の技術者マルク・ビルキヒト(Mark Birkigt)は、特許回避の意味もあり、HS7/9に機構の改修と連射能力、砲口初速の向上といった改良を施し、弾薬もほぼ同規格ながら仕様の異なる20×110mm弾を使用するものとして、タイプ 400(HS.400)および402(HS.402)、更に実銃の製作は行われず図面上のみのものであったがタイプ 403(HS.403)を経て、1936年にはタイプ 404(HS.404)を完成させた。エリコンFFSではAPI ブローバックだった作動方式は、ショートリコイルとロック解放時にガス圧作動という併用方式に改められていた。

HS.404の大きな特徴として、上述のように2種類(ショートリコイルおよびガス圧作動方式)作動方式を併用していることと、作動に伴う動作部分が非常に大きいことが挙げられる。通常、ブローバック方式の銃器は遊底(ボルト)のみ、もしくはボルトと銃身(※ショート/ロングリコイル方式)が撃発に伴い前後に動くことで動作するが、HS.404は砲身部先端よりも後部、つまりは銃身の大半と機関部そのものが前後する構造になっていることである。これはモーターカノン方式に用いることを前提として設計されているためで、通常の自動火器では前後に駆動する作動部を保持する部分を、エンジンおよびそれに砲をマウントするフレームを用いることで、エンジンと砲を一体化させた設計としていたためである。

モーターカノン備砲用の20mm HS.404の他、銃身長を1,000mmに短縮して爆撃機他の銃塔/防御機銃用としたHS.405、23mm口径とした銃塔/防御機銃用(銃身長 1,150mm)のHS.406、23mm口径でモーターカノン用の長銃身(銃身長 1,600mm)型HS.407も開発された。ただし、HS.404以外は第二次世界大戦の開戦時で試作品が1丁ずつ完成していたのみである。

元来の装弾数は多くても60発(ドラムマガジン)のみであったため、飛行中にドラムを交換することができない航空機では装弾数不足が問題になり、1940年ベルト給弾システムの開発で解決が試みられたが、フランスの降伏で計画は頓挫し、最終的にはベルト給弾型は試作品と設計図が密かにイギリスに持ち出されて、イギリスによる改良型として実現した。

HS.404は開発国のフランスの他、イギリスとアメリカ、その他にスウェーデンスイスアルゼンチンそしてユーゴスラビアで開発された航空機に広く搭載されて用いられたが、第二次大戦後はDEFAなどのリヴォルヴァーカノンM61を筆頭としたモーターガトリング砲の搭載機が増加していき、旧式機の引退と共にイスパノ Mk.Vを含むHS.404系機関砲は航空機搭載用としてはその姿を消していった。

イギリス及びアメリカにおけるHS.404とその発展型編集

イギリス編集

 
ブリストル ボーファイター Mk.VI Fに搭載されたイスパノ Mk.II

イギリスは航空機搭載武装としては小口径の機銃を多数装備する方針を採っていたが、弾頭威力を重視する面から大口径火器の必要性も認識されており、1935年より20mm口径の航空機搭載機銃の検討に入った。これにより選定されたのがHS.404で、1939年にはイスパノ・スイザ[1] タイプ404(Hispano Suiza Type 404)の名称でイギリス空軍イギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm)に制式採用された。

1940年にはイスパノ・スイザ社およびフランス政府から製造許可を取りつけてイスパノ Mk.I(Hispano Mark I)として自国生産品を完成させ、“モーターカノン”方式でなくとも搭載できるよう、"SAMM cradle"との名称が付けられたマウントを用い、ウェストランド ホワールウィンドへ搭載している。バトル・オブ・ブリテン中にはスピットファイアMk.IbおよびMk.IIにも搭載されたが、作動不良が多く、旋回時の装弾不良などから部隊での評判は必ずしも良くはなかった。

イスパノシリーズは後のイギリス空軍戦闘機に搭載される標準武装になるが、当初作動不良を頻発したため、スピットファイアでは暫定的に20mm機関砲2門と7.7mm機銃4挺のB翼装備で配備され、改善後に4門装備も可能な“ユニバーサルウィング(Universal Wing)”ことC翼が標準となり、タイフーン Mk.IB以降、テンペスト Mk.Vでも4門装備であった。

上述の作動不良問題は、撃発後に膨張した薬莢が薬室内壁に貼り付いてしまうことと、薬莢が薬室に装弾される際に、作動部の慣性重量が大きいために閉鎖器によって閉鎖時に僅かに圧縮されてしまい、結果的に撃針の作動距離が不足することが原因であることが判明し、1941年には「薬室内壁に細かな溝を設け、溝に発射ガスの吹き返しが流れることで薬莢の貼り付きを防止する[2]」「薬室全長を0.08インチ(約2mm)短くする」という改良を加え、装弾方式をドラム型弾倉方式から分離式金属製弾帯によるベルト給弾式に変更したイスパノ Mk.II(Hispano Mark II)が開発・採用され、ブローニング機関銃8挺を装備していたホーカー ハリケーン Mk.Iと熱帯地用のスピットファイアへ搭載された。また、使用する20mm弾薬も雷管を改良したものに変更されている。

イギリスは自国の生産力の負担を軽減するために、同じくHS.404を自国生産したアメリカのM1(後述)の輸入に興味を示したが、試験のためにM1を受け取ると、その出来の悪さに失望したという。これはM1がオリジナルのHS.404と同じ薬室の設計を持つことが問題の原因であると考え、1942年4月にはイスパノ Mk.IIとその図面が比較のためアメリカに送られた。しかし、この技術提供による品質向上が望めなかったため、アメリカ製HS.404の導入は中止された。

第二次世界大戦も中盤に差し掛かると、イギリスの兵器製造力も問題ではないレベルまで向上していたため、イギリスではイスパノ Mk.IIの改良に着手し、銃身を短くし砲口初速を犠牲にして重量の軽減と速射性を高めたイスパノ Mk.V(Hispano Mark V)を開発し、テンペスト Mk.Vなどに搭載した。

イスパノシリーズは第二次世界大戦中だけでも各型を合わせると約42,500基がBirmingham Small Arms(BSA)によって製造され、大戦後もイギリスの開発した初期のジェット戦闘機他に搭載されたが、航空機搭載機銃としてはADEN 30mmリヴォルヴァーカノンが開発され、これに取って代わられている。

アメリカ編集

 
ダグラス A-1 スカイレイダーに搭載された、アメリカ生産型HS.404の改良型であるAN-M3

アメリカ陸軍航空隊アメリカ海軍では、それまでの航空機搭載火器の標準であったAN-M2 7.62mm機関銃AN-M2 12.7mm機関銃の混載に替わる武装強化策として、口径15~20mmへの統一、もしくは20mmと12.7mmの混載への変更を予定していた。しかし、自国開発による新型機関砲の開発は難航し、早期に口径20mmクラスの機関砲の国産開発は困難とされたことから、当初はデンマークマドセン(Madsen)社[3]23mm機関砲を導入する予定であったが、1939年の第二次世界大戦の勃発と1940年ナチスドイツによるデンマーク占領により不可能となったため、早急に導入可能な20mm航空機関砲としてHS.404が選定されたものである。

HS.404はまずは陸軍航空隊に“Gun,Automatic,20 mm,M1”の制式名称で採用された。続いて、陸海軍航空機の武装統一計画に伴い海軍にも導入され、“AN-M1”の統一制式番号が与えられた[4]

AN-M1は1941年には弾薬の製造を含む大規模な製造体制が構築されたが、アメリカではイギリスにおいて問題となった薬莢の貼り付きと圧縮の問題を認識していなかったこと、メートル法で作図されていた設計図をヤード・ポンド法に修正して設計図を描き直したこと、アメリカ軍においては“大砲”に分類して製造公差を決定した[5]ことから、構造的欠陥が是正されていない上に部品の精度に問題が生じ、製造されたAN-M1は信頼性に乏しく、撃針の打撃力不足によって不発が多発し、運用部隊からは「弾倉への装填時に弾薬にグリスを多量に塗布しなければ満足な作動が望めない」と評価される有様だった。更に、重量軽減のために空気圧式の再装填装置を取り外したため、飛行中に装弾不良や排莢不良が発生すると回復できない、という深刻な問題が生じた。また、20mm機関砲は12.7mm機銃に対して重いため、翼内武装を12.7mmから20mmに変更した機種では発砲時や高機動時の翼のねじれが大きくなり、命中精度が低下するという問題が発生した。

AN-M1はイギリスへの供給が計画されていたため、この不良問題を懸念したイギリスからは1942年4月にイスパノ Mk.IIとその図面(イギリス製のためヤード・ポンド法規格で作図されていた)が提供された。しかし、アメリカでは既にAN-M1とその使用弾薬の生産ラインを稼働させて大量生産を開始しており、1942年末の時点で機関砲本体を56,400基余り、弾薬だけでも既に4,000万発を製造していたため、イスパノ Mk.IIを元にした新型の導入は困難と判断され、薬室長を約1mm短縮するなどした修正を行うことで少しでも信頼性を高めた改修型のAN-M2を開発し、製造をこれに切り替えることで対処した。だがこれも成功とは言い難く、AN-M2の不良発生率は平均して1,500発に1回という高いもので、更にこの数値は砂塵の多い環境では倍増した。結局、不発と装弾不良の多発の問題は第二次世界大戦中には最後まで解消されることはなく[6]、イギリスへの供給も断念された。

AN-M1およびM2は第二次世界大戦中に合わせて134,663基が製造されているが、生産は1944年2月には中止されたため、全面的に切り替えられることはなく、第二次世界大戦中に実戦投入された機体の搭載機銃としては、陸軍航空隊ではP-38 ライトニング[7]P-39 エアラコブラの外国向け供与型およびP-61夜間戦闘機の他にはP-51の試作型(NA-91)など数種の試作機に搭載されたのみで、海軍/海兵隊航空隊でもF6FF4Uの一部に対爆撃機用や対地攻撃任務用の武装変更型として搭載されたにすぎなかった。B-29爆撃機の防御武装としても搭載されたが、不具合が多い上に有用性が低いとされ、多くの機体で運用開始後順次撤去されている。

戦争が終結した後の1945年12月の段階でもAN 20mm機関砲の改良計画は陸軍長官の承認のもとに続けられており、イギリスのイスパノ Mk.Vに倣ってAN-M2の銃身を短縮して改良したT-31を開発、AN-M3の制式名称で採用したが、やはり信頼性の問題は続いた。最終的にアメリカ製HS.404であるAN-M 20mmシリーズの信頼性問題は、アメリカ陸軍航空隊向けでは電動式再装填装置を追加、薬室の設計を変更したM241947年アメリカ空軍発足に伴って制式番号は変更されている)が、アメリカ海軍向けではAM-N3の改良型であるMk-12が開発されるまで解決しなかった[8]。なお、Mk-12では発射速度は毎分1,000発に向上しており、弾薬も独自の20×110mm USN弾英語版(20×110mm MK-100 series)を使用している[9]

AN-M2/3およびM24、そしてMk-12は第二次世界大戦後にジェット機が主流になった後もアメリカ海空軍で航空機搭載機銃として使われ続けたが、やはりリヴォルヴァーカノン、そしてモーターガトリング砲の開発とそれらを搭載した航空機の導入により、航空機搭載機銃としては主流の座を退いた。

対空機関砲としての利用編集

HS.404は航空機関砲としての他、銃架に搭載した対空機関砲としても用いられ、航空機用のものを急造の銃架に載せた現地生産品も数多く製作されている。ただし、オリジナルのHS.404およびそのライセンス生産品は、構造上銃口先端部を固定しなければ安定して動作しないため、銃架の構造にはその点を踏まえた工夫が必要であった。

AN-M3はアメリカ海軍ではMk.16として艦載化もなされた[10]

TCM-20編集

 
イスパノ・スイザ HS.404をM45機関銃架に搭載したTCM-20対空機関砲

第二次世界大戦時のアメリカ合衆国で、4挺のM2重機関銃を装備したM45機関銃架が開発され、車載用途などで運用された。第二次世界大戦後、イスラエル国防軍はM45機関銃架のM2重機関銃を、2挺のイスパノ・スイザHS.404に換装した2連装の対空機関砲としてTCM-20対空機関砲を開発した[11]。TCM-20はM3ハーフトラックやBTR-152装甲車に搭載されて使用された。また自走型以外にも右写真のように地上据置で使用されたり、1軸2輪のトレーラーに積載して小型トラックで牽引可能としたものも見られた。1973年に発生した第四次中東戦争でも、旧式兵器でありながら26機を撃墜する活躍を見せた。

TCM-20はイスラエル国防軍で余剰化した後、一部は南レバノン軍に供与されたほか、中南米やアフリカ諸国に輸出された[11]チリ陸軍では6x6のピラーニャ装輪装甲車にTCM-20を搭載した自走対空車両を保有している[12]

諸元 (AN-M1/M2/M3/T-31)編集

AN-M1/M2[13] AN-M3[14] AN-M3 (T-31)[15]
全長 93.7in (238cm) 77.75in (197.49cm)
重量 102lbs (46.27kg) 99.5lbs (45.13kg)
砲口初速 2,850fps (867m/s) ※HE-I
2,950fps (899m/s) ※AP-T
2,730fps (832m/s) ※HE-I 2,840fps (866m/s) ※HE-I
2,800fps (853m/s) ※AP-T
発射速度 600-700rpm 650-800rpm 750-850rpm
弾頭重量 HE-I:0.29lbs (131.54g)、AP-T:0.37lbs (167.83g)
搭載機 A-1A-3A2DB-29B-36B-47B-66SB2C
F3DF6FF8FF9FF4UF6UF7UF-89P-38P-39P-61

脚注・出典編集

  1. ^ a b c 原語のスペインおよびフランス語では語頭の「H」を発音しないため、"Hispano"は“イスパノ”と発音されるのが正しいが、イギリスやアメリカでは英語読みの発音である“ヒスパノ”と発音される例も多く、日本でも“ヒスパノ”と表記されている例が多々ある。特にイギリスがライセンス生産したモデルは“ヒスパノ”とされることが多い。
  2. ^ この「薬莢の張り付きを防止するために薬室内壁に溝を設ける」構造は“フルーテッドチャンバー(Fluted Chamber)”と呼ばれる。
  3. ^ 当時の正式な社名は「Dansk Industri Syndikat A/S」で、“マドセン(社)”はこの時代にはブランド名もしくは通称である。
  4. ^ AN-M*の“AN”とは"Army & Navy"の略で、「陸海軍(統一)」を意味する。
  5. ^ これはアメリカ軍においては口径0.60インチ(15.24mm)より口径の大きなものは「砲」として分類されるためである。砲の製造公差は「銃」よりは緩く規定されていた。
  6. ^ ただし、これについては「整備マニュアルの不備、および実際の整備体制に大きな問題があった」との考察もある。
  7. ^ なお、P-38では再装填装置が機体側の装備として備えられていたため、他の機種に搭載されたものに比べて飛行中に不具合の対処が可能で、信頼性が高かった。
  8. ^ ただし、MK-12もF-8 クルセイダー艦上戦闘機に搭載されてベトナム戦争で用いられた際には「信頼性に難がある」との評価が出されている。
  9. ^ HS.404系列とは弾薬の互換性はない。
  10. ^ 20 mm Mark 16
  11. ^ a b weaponsystems.net TCM-20
  12. ^ Ejercito de Chile (Cifras & Equipos)
  13. ^ 20-MM AUTOMATIC GUN M1 AND 20-MM AIRCRAFT AUTOMATIC GUN AN-M2
  14. ^ 20-MM AUTOMATIC GUN M3
  15. ^ 20-MM AUTOMATIC GUN M3 (T31)

参照元編集

関連項目編集

外部リンク編集