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イソノルーブルとは日本競走馬サラブレッド)である。主戦騎手五十嵐忠男松永幹夫

イソノルーブル
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1988年3月13日
死没 2013年12月7日(25歳没)
ラシアンルーブル
キティテスコ
母の父 テスコボーイ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 能登武徳
馬主 磯野俊雄
調教師 清水久雄(栗東
厩務員 福留幸蔵
競走成績
生涯成績 8戦6勝
獲得賞金 2億1310万3600円
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競走馬時代編集

2歳(現在の1歳)時にJRAが500万円で購入した抽せん馬で、そのためJRAでデビューできる保証があった。1990年9月8日の中京競馬第2競走新馬戦(芝1,000m)でデビュー、58秒4の3歳(現2歳)レコードタイムをマークし逃げ切った。続く3歳抽せん馬特別(11月17日京都競馬場第9競走・ダート1,400m)で2馬身2分の1の差をつけて勝利した。3戦目はラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(現在ではレースの意義としては阪神ジュベナイルフィリーズ)に出走(12月22日・京都競馬第11競走・芝1,600m)、ここで札幌3歳ステークス勝ち馬のスカーレットブーケに3馬身2分の1差を付け、1分35秒0のタイムで函館3歳ステークスの勝ち馬ミルフォードスルー、小倉3歳ステークスの勝ち馬テイエムリズムらを破った。

明け4歳(現3歳)は1991年2月3日エルフィンステークスから始動、ここでも逃げ切って勝利した(2着のセフティールイーズに2馬身2分の1)。レース後、それまで乗っていた五十嵐が清水調教師と騎乗法を巡り確執となり、若手の松永幹夫へ騎手変更となった。松永との初コンビとなったのは3月17日の報知杯4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)だった。前年秋から阪神競馬場が改修工事を行なっていたため、この年は中京競馬場の芝1,200mで行なわれ、ここでも終始逃げ、2着のトーワディステニーに3馬身2分の1を付けて優勝した。

この年の桜花賞はイソノルーブルに加えクイーンカップを制したスカーレットブーケ、牡馬相手のシンザン記念を勝っていたミルフォードスルー、さらに未対戦組からはペガサスステークス(現アーリントンカップ)で牡馬に勝利したノーザンドライバー(前年には牡馬相手にデイリー杯3歳ステークスを勝っている)、無敗でチューリップ賞を勝ち上がったシスタートウショウという屈強なライバルが揃っており、桜花賞前は本馬を合わせ5強牝馬と呼ばれていた。4月7日に京都競馬場で行なわれた桜花賞でイソノルーブルは単勝2.8倍の1番人気に支持されたが、他の4頭も単勝10倍以内につけており混戦が予想された。

しかしスタート直前にイソノルーブルの落鉄が判明、装蹄師は付け直そうと試みたが、元々気性の激しい本馬は十数分間蹄鉄を付けるのを拒絶し、スターターがテレビの競馬中継枠にレースを収めるために蹄鉄を付けないままに発走。この結果、スタートダッシュに失敗し道中も折り合いを欠きシスタートウショウの5着に敗れた。蹄鉄未装着をファンに報告しないままで走らせたJRAに対してマスコミがこぞって批判し、桜花賞翌日からファンによる抗議の電話が殺到した。事態を重く見たJRAは落鉄した場合はそのまま走らせることもあり、その際はファンに放送で知らせることや、馬場内の待機所につなぎ馬房を設置する案を発表した(詳細についてはイソノルーブル落鉄事件を参照)。なお、この騒動によってイソノルーブルは裸足のシンデレラという二つ名で呼ばれるようになった。

続く優駿牝馬5月19日東京競馬場)では、本命馬は桜花賞優勝馬シスタートウショウに代わった。イソノルーブルは逃げ馬にとって不利な大外20番枠ということもあり4番人気に落ちていた。だが関係者はパニックにならないようメンコを二重にし音を遮断する、レース直前までブリンカーを着用するなど工夫を施した。加えて後続のプレッシャーが弱かったせいか前半1,000mが61秒7とスローペースになったのも幸いし、直線に入っても逃げ脚は衰えず、追いこんだシスタートウショウをハナ差退けて優勝した。

その後状態が整わないことから前哨戦を使わず11月10日エリザベス女王杯にぶっつけで出走したが、先頭に立つ事も出来ずリンデンリリーの16着に終わり、さらにレース後に故障が判明。競走馬生活を引退した。

競走成績編集

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量 1着馬(2着馬)
1990.09.08 中京 3歳新馬 芝1000m(良) 5 2 2 002.20(1人) 01着 R58.4(34.7) -0.1 五十嵐忠男 53kg (スイートベンテン)
0000.11.17 京都 3歳抽せん馬特別 500万下 ダ1400m(良) 10 2 2 009.50(5人) 01着 01:27.3(38.6) -0.6 五十嵐忠男 54kg (スピンカラー)
0000.12.22 京都 ラジオたんぱ3歳牝S GIII 芝1600m(良) 16 4 8 019.10(8人) 01着 01:35.0(36.1) -0.6 五十嵐忠男 53kg スカーレットブーケ
1991.02.03 京都 エルフィンS OP 芝1600m(良) 7 3 3 001.30(1人) 01着 01:36.5(34.7) -0.4 五十嵐忠男 54kg (セフティールイーズ)
0000.03.17 中京 報知杯4歳牝馬特別 GII 芝1200m(稍) 11 4 4 001.20(1人) 01着 01:09.8(36.2) -0.6 松永幹夫 54kg (トーワディステニー)
0000.04.07 京都 桜花賞 GI 芝1600m(稍) 18 4 7 002.80(1人) 05着 01:35.2(37.5) -1.4 松永幹夫 55kg シスタートウショウ
0000.05.19 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(良) 20 8 20 012.10(4人) 01着 02:27.8(35.6) -0.0 松永幹夫 55kg (シスタートウショウ)
0000.11.10 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2400m(良) 18 4 7 004.80(2人) 016着 02:32.7(39.8) -3.1 松永幹夫 55kg リンデンリリー

繁殖牝馬時代編集

北海道浦河町の村下農場で繁殖牝馬となった。産駒はガーネットステークス2着などダート短距離で活躍したイソノウイナーがいるが、産駒の殆どは母と違って追い込む競馬が多い。産駒は1頭を除いて全て母と同オーナーである。(チェイルリーのみターフ・スポートがオーナー) 2009年に繁殖牝馬を引退し、引き続き村下農場にて功労馬として第三の馬生を送っている[1]。 産駒に中央重賞勝ち馬は現れなかったが、繁殖牝馬引退後にイソノスワローの産駒モンストールが新潟2歳ステークスを勝ち、孫の世代で中央重賞勝ち馬を送り出した。

産駒編集

最期編集

2013年12月7日に繋養先だった浦河町村下農場で、老衰のため25歳で最期を迎えた。以前から患っていた蹄葉炎が原因と思われる。死亡した7日も普段と変わらない姿を見せていたが、同日の夜には静かに息を引き取っていた。

血統表編集

イソノルーブル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニジンスキー系
[§ 2]

*ラシアンルーブル
Russian Roubles
1980 鹿毛
父の父
Nijinsky
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
Squander
1974 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Discipline Princequillo
Lady Be Good

キティテスコ
1980 芦毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
母の母
キティオンワード
1968 芦毛
*ナスアロー
Abou Ben Adhem
Nasrullah
Love Game
*モウテイ
Moty
Migoli
La Li F-No.14-a
母系(F-No.) (FN:14-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco5×5・5、Nasrullah4・4(母内)、Menow5・5(父内) [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ イソノルーブル 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com イソノルーブル 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ イソノルーブル 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ イソノルーブル 5代血統表2017年8月28日閲覧。


脚注編集

外部リンク編集