イタビア航空イタリア語: Aerolinee Itavia)は、1958年にローマで設立された航空会社[1]1960年代から1981年に運航停止になるまで、主要なイタリアの民間航空会社だった。1980年イタビア航空870便ティレニア海に墜落し、ウスティカの悲劇として知られることとなった。

イタビア航空
Aerolinee Itavia
IATA
IH
ICAO
IHS
コールサイン
ITAVIA
設立 1958年
運航停止 1981年
ハブ空港 ローマ・チャンピーノ空港
本拠地 イタリアの旗 イタリア ローマ
代表者 アルド・シル (CEO)
ジョヴァンニ ・ バッティスタ ・ カラッチョロ (創設者)
テンプレートを表示

歴史

編集
 
1966年にマンチェスター空港で撮られたハンドレページ ダートヘラルドターボプロップ機の写真

1958年にソチエタ・ディ・ナヴィガジオーネ・アエリア・イタビアとして運航開始し、一年後にデ・ハビランド DH.104 ダブデ・ハビランド DH.114 ヘロンを使用し始めた。1961年に運航停止となったが、1962年にイタビア航空として再び運航開始した。1963年の夏からDH.114 ヘロンに替わってハンドレページ ダートヘラルドが使用され始め、1973年まで飛行を続けた。

1965年に再度、運航を停止。1969年にはフォッカー F28を使用して運航を再開した。1971年にはダグラス DC-9-15を使用し、DC-9のバージョンでは他にDC-9-21、DC-9-31、DC-9-33、DC-9-51が使用された。計14機のフォッカー F28と11機のDC-9を使用した[2]

最終的に1981年にイタビア航空の路線はアリタリア航空アエロ・トラスポルティ・イタリアーニの子会社であるアエルメディティラーニャによって受け継がれた。

保有機材

編集
 
1974年にジュネーヴ空港で撮影されたイタビア航空のフォッカー F28

イタビア航空の保有機材[3]

事件・事故

編集
 
1973年6月にピサ空港で撮られたイタビア航空 DC-9の写真。イタビア航空870便墜落事故で墜落した機体。

注釈

編集
  1. ^ “World airline directory”. フライト・インターナショナル 118 (3716): 261. (1980-07-26). オリジナルの2014-08-27時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6S93ypE05?url=http://www.flightglobal.com/FlightPDFArchive/1980/1980%20-%201880.PDF. 
  2. ^ Hengi, [要ページ番号]
  3. ^ Ulrich Klee、Frank Bucher他。jp airline-fleets international. Zürich-Airport, 1967–1979
  • Hengi, B.I. (2000). Vergangen, Vergessen, Vorbei [Airlines Remembered: Over 200 Airlines of the Past, Described and Illustrated in Colour]. 英訳:Neil Lewis. レスター、イギリス: Midland Publishing. ISBN 978-1-85780-091-3 

外部リンク

編集