イトー・ターリ1951年[1] - 2021年9月22日)は、日本のパフォーマンス・アーティスト。

生涯 編集

1951年生まれ。東京出身、東京在住。

1970年前後の学生運動に参加し、その後1973年から身体表現、「身体が介入するアート[2]」に関心を持ち、パントマイムを学ぶ。1982年から1986年にオランダでパフォーマンスを学んだ。その期間から、フェミニズムセクシャル・マイノリティの人権について考えはじめ、1996年にはパフォーマンス《自画像》でレズビアンとカムアウトし、公演を続けている[1]。ウィメンズ・アート・ネットワーク(WAN)の設立者であり、2000年にはWAN代表として「越境する女たち21」展を実施した[3][4]。2003年には早稲田にパフスペースを創設し[5]、フェミニズムやセクシュアル・マイノリティに関するイベント会場として多くの人に利用された。2021年9月22日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)により死去[6]。70歳没。

代表作 編集

  • 《あなたを忘れない》2006年初演。沖縄公演 佐喜眞美術館、2007年。

元日本軍従軍慰安婦の金順徳へのオマージュ作品[1]

沖縄公演では佐喜眞美術館収蔵作品、丸木位里、俊夫妻《沖縄戦の図》の前でパフォーマンス[7]。韓国やポーランド、フィリピンでも上演された[8]

  • 《ひとつの応答ーペ・ポンギさんと数えきれない女たち》(2010年)

《あなたを忘れない》の2006年の沖縄公演を機に、沖縄に取り残された元慰安婦ペ・ポンギの生涯を調べ、沖縄の基地を含め、戦時から現在に至る軍事化の性犯罪と結びつけたパフォーマンスを実施。東京や沖縄で公演[1]

  • 《放射のうに色がついてないからいいのかもしれない…と深い溜息…をつく》(2011年)

東日本大震災と福島原発事故による放射能汚染に刺激を受け、新たなパフォーマンスを発表。半透明のゴムのスーツを着用し、赤く発光するLEDのテープや、光る目玉を身に着け、目に見えない放射能の恐怖を視覚化した。また、1990年代のパフォーマンスで用いた、ゴムの膜を床や壁に塗りつけ、それを引っ張るという手法も再度用いた。壁には沖縄の嘉手納基地の映像も投影し、戦後の日米関係を批評した[1]

初期作品 編集

  • 《表皮の記憶》(1989年5月)東京 高田馬場、プロトシアターProto Theater

ゴムの服を身に付け、48平方メートルの床全面にゴムを塗り、皮膜を作り、それを引っ張るパフォーマンスを行った[9]

  • 《表皮の宇宙》(1989年5月)

ゴムの皮膜を用いたパフォーマンス[10]

  • 《Face》(1992年9月)カナダ、1400デュポン ストリート

工場だった古い木造の建物の中でパフォーマンスを行った。ゴムを用い、ターリの身体のフロッタージュや、展示空間のフロッタージュを用いインスタレーションを行った[11]

  • 《ディスタント スキンシップ》(1995年5月)

ウィメンズアートネットワークWomen’s Art Net Work(WAN)の企画。イトー・ターリ、小林テレサ、カナダからきたショウナ・デンプシーとローリー・ミランという4人の女性アーティストのパフォーマンス。「女性によるアート」と銘打つ活動となった[12]

  • 《自画像 Self Portrait》(1996年1月)

このパフォーマンスでレズビアンであると、セクシャリティのカミングアウトをした。

同パフォーマンスを、2月に「女性センター・らぷらす」で会場から「レズビアンという言葉を使うな」と言われたが、結果的には「女を愛する女です」と言った[13]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e アジアの女性アーティスト展実行委員会; 三重県立美術館 (2012年9月1日). アジアをつなぐー境界を生きる女たち 1984-2012. 福岡アジア美術館、沖縄県立博物館・美術館、栃木県立美術館、公益財団法人三重県立美術館協会. p. 118 
  2. ^ アートの窓 > アーティストピックアップ > イトー・ターリ(アーティスト) ~パフォーマンスアートとアクティビズムを同時進行する私の方法~”. wan.or.jp. 2019年3月9日閲覧。
  3. ^ 中村香住「フェミニストABRというパフォーマティブな共働 : その系譜と展開」『哲学』第138巻、2007年、209頁。 
  4. ^ 「女性の視点で「アート」探る 来年1月に作家集い、東京で展覧会 」『朝日新聞』2000年12月13日、朝刊p. 25。
  5. ^ LGBTER イトー・ターリ”. 2023年1月25日閲覧。
  6. ^ “訃報:イトー・ターリさん 70歳=パフォーマンスアーティスト”. 毎日新聞社. (2021年10月1日). https://mainichi.jp/articles/20211001/ddm/041/060/040000c 2021年10月1日閲覧。 
  7. ^ 李静和『残傷の音「アジア・政治・アート」の未来』岩波書店、東京、2009年、30頁。ISBN 9784000230261OCLC 401163601https://www.worldcat.org/oclc/401163601 
  8. ^ 「元慰安婦の闘い「忘れない」 イトーさん、フィリピン・マニラで上演」『朝日新聞』2007年06月07日、朝刊p. 28。
  9. ^ 表皮の記憶 « Ito Tari”. 2019年3月9日閲覧。
  10. ^ 表皮の宇宙 « Ito Tari”. 2019年3月9日閲覧。
  11. ^ FACE « Ito Tari”. 2019年3月9日閲覧。
  12. ^ ディスタント スキンシップ « Ito Tari”. 2019年3月9日閲覧。
  13. ^ 自画像 « Ito Tari”. 2019年3月9日閲覧。

参考文献 編集

  • 『開館40周年記念企画(4)アジアをつなぐ-境界を生きる女たち 1984-2012』アジアの女性アーティスト展実行委員会、三重県立美術館著(展覧会図録)、編集(中尾智路、ラワンチャイクン寿子、豊見山愛、小勝禮子、原舞子)、会場(福岡アジア美術館、沖縄県立博物館・美術館、栃木県立美術館)、公益財団法人三重県立美術館協会、2012年
  • Ito Tari著『MOVE: ITO TARI'S PERFORMANCE ART』(レベッカ・ジェニズン訳)インパクト出版会、2012年
  • 李静和『残傷の音「アジア・政治・アート」の未来へ』岩波書店、2009年

外部リンク 編集