イブラーヒーム・イブン・アル=マフディー

イブラーヒーム・イブン・アル=マフディー (アラビア語: إبراهيم بن المهدي‎ 779年 – 839年) は、アッバース朝の王族、歌手、作曲家、詩人。アミーンマアムーンの間で内乱が起きた時、一時期カリフに即位した。

生涯編集

イブラーヒームはアッバース朝カリフのマフディーの息子で、詩人・音楽家の‘Ulayya bint al-Mahdīの異母弟だった[1]。後にカリフとなったハーディーハールーン・アッ=ラシードも異母兄にあたる。彼らの母はベドウィン出身のハイズラーンであるが、イブラーヒームの母はアフロ・イラン人のシクラもしくはシャクラという名の王女だった。そのため、歴史家のイブン・ハッリカーンによれば、イブラーヒームは「暗い色の顔」の持ち主だった[2]

ハールーン・アッ=ラシードの息子であるアミーンとマアムーンの間でアッバース朝第四次内乱が勃発していたとき、イブラーヒームはバグダードの住民に推され、817年7月20日にカリフに即位した。彼はムバラク (アラビア語: المبارك‎) と名乗り、甥のマアムーンの廃位を宣言、ハーシム家の服属も取り付けた。しかし819年にはマアムーンがバグダードに入り、ムバラクは退位を余儀なくされた。以降彼は詩人・音楽家として余生を送り、「並外れた声域に恵まれた、当時もっとも才能ある音楽家」となった[1]。彼は当時としては革新的な「冗長で即興的な」ペルシア型の歌謡の推進者だった[3]

脚注編集

  1. ^ a b Kilpatrick, H. (1998). Meisami, Julie Scott; Starkey, Paul. eds. Encyclopedia of Arabic Literature. Vol. 1. Taylor & Francis. p. 387. ISBN 978-0-415-18571-4. https://books.google.com/books?id=sx1bqgibKhQC&pg=PA387 
  2. ^ Ibrahim Al-Mahdi”. Great People of Color. Marcus Garvey web site (2004年). 2007年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月8日閲覧。
  3. ^ Agnes Imhof, 'Traditio vel Aemulatio? The Singing Contest of Sāmarrā’, Expression of a Medieval Culture of Competition', Der Islam, 90 (2013), 1-20 (p. 1), DOI 10.1515/islam-2013-0001, http://www.goedoc.uni-goettingen.de/goescholar/bitstream/handle/1/10792/Traditio%20vel%20Aemulatio.pdf?sequence=1.