インディファティガブル (空母)

インディファティガブル (HMS Indefatigable, R10) は、イギリス海軍航空母艦インプラカブル級航空母艦の2番艦。ジョン・ブラウン社クライドバンク造船所で建造された。indefatigableは「不撓不屈」の意。

インディファティガブル
HMS Indefatigable (R10).jpg
HMS Indefatigable (R10)
基本情報
建造所 ジョン・ブラウン・アンド・カンパニークライドバンク造船所
運用者  イギリス海軍
艦種 航空母艦
級名 インプラカブル級
前級 イラストリアス級
次級 オーディシャス級
艦歴
起工 1939年11月3日
進水 1942年12月8日
就役 1943年12月8日
1950年
退役 1946年12月
1954年9月
その後 1956年11月に廃棄
要目
基準排水量 23,825トン
満載排水量 32,624トン
全長 766.5 ft (233.6 m)
最大幅 95.75 ft (29.18 m)
吃水 29 ft (8.8 m)
機関 蒸気タービン
推進 4軸
出力 148,000 shp
最大速力 32ノット (59 km/h)
乗員 1,400名(航空要員含む)
兵装 QF 連装4.5インチ砲 8門
QF 連装2ポンド砲 42門
エリコンFF 20 mm 機関砲 40基
搭載機 54機
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設計編集

艦歴編集

搭載機変遷
時期 機数 搭載機
1944年6月 48機 第820飛行隊(バラクーダ Mk.II×12)
第826飛行隊(バラクーダ Mk.II×12)
第894飛行隊(シーファイア LF.Mk.III×12)
第1770飛行隊(ファイアフライⅠ×12)
1944年8月 60機 第820飛行隊(バラクーダ Mk.II×12)
第887飛行隊(シーファイア LF.Mk.III×12)
第894飛行隊(シーファイアFⅢ×12)
第1770飛行隊(ファイアフライⅠ×12)
第1840飛行隊(ヘルキャットⅠ×12)
1945年1月 59機 第820飛行隊(アベンジャーⅡ×21)
第887飛行隊(シーファイアFⅢ×16)
第888飛行隊(ヘルキャットPRⅡ×6)
第894飛行隊(シーファイアLⅢ×16)
1945年1月 73機 第820飛行隊(アベンジャーⅡ×21)
第887飛行隊(シーファイアFⅢ×24)
第894飛行隊(シーファイアFⅢ×16)
第1770飛行隊(ファイアフライⅠ×12)
1945年3月 72機 第820飛行隊(アベンジャーⅡ×20)
第887飛行隊(シーファイアFⅢ×22)
第894飛行隊(シーファイアFⅢ×18)
第1770飛行隊(ファイアフライⅠ×12)
1945年7月 73機 第820飛行隊(アベンジャーⅡ×21)
第887飛行隊(シーファイアFⅢ×15+LⅢ×9)
第894飛行隊(シーファイアLⅢ×16)
第1772飛行隊(ファイアフライⅠ×12)

1944年7月、空母フォーミダブルフューリアスと共にマスコット作戦ノルウェー北部のフィヨルド内のドイツ戦艦ティルピッツ攻撃)に参加。7月14日にスカパ・フローから出撃し、7月19日に帰投。

8月、タービン作戦オフスプリング作戦グッドウッド作戦に参加。タービン作戦はモルデ地域への攻撃で、空母フューリアスなどと共に8月2日にスカパ・フリーから出撃し8月4日に帰投した。オフスプリング作戦はモルデ地域への航空機による機雷敷設などで、護衛空母ネイボブトランペッターなどと共に8月8日にスカパ・フローから出撃し8月11日に帰投した。グッドウッド作戦はドイツ戦艦ティルピッツ攻撃で、空母フォーミダブル、フューリアス、護衛空母ネイボブ、トランペッターなどと共に8月18日にスカパ・フローから出撃し8月29日に帰投した。

9月19日、スカパ・フローからトロムソ攻撃(ディヴァン作戦)へ出撃。しかし、作戦は中止され9月24日に帰投。

1944年11月19日にインディファティガブルはイギリスを離れ、地中海スエズ運河を経由して12月10日にコロンボに着き、太平洋艦隊に編入された。

1945年1月、2度スマトラ島製油所攻撃に参加した。一つ目はレンティル作戦で、インディファティガブルの他に空母インドミタブルヴィクトリアスが参加した。二つ目はメリディアン作戦で、インディファティガブル以外は空母イラストリアス、インドミタブル、ヴィクトリアスが参加した。

メリディアン作戦終了後オーストラリアへ向かい、フリーマントル経由で2月10日にシドニーに着いた。2月13日、インディファティガブルで火災が発生した。2月27日にシドニーを発ち、マヌス島経由で3月20日にウルシー環礁に到着。これ以後沖縄戦に参加した。

1945年4月1日、沖縄戦での作戦の支援中に日本軍特攻機が突入し21名の戦死者を出したが、装甲甲板のおかげで5時間後には航空機の運用が可能となった。同年8月15日早朝、東京湾方面を目標とした攻撃隊を発進させる。攻撃隊の戦闘機に搭乗していたフレッド・ホックレー中尉は撃墜されて千葉県長生郡内に降下し、駐屯していた日本陸軍歩兵第426連隊に身柄を拘束され、同日夜に殺害された(一宮町事件)。

また、公式な第二次世界大戦の最後の戦死者は、15日の午前10時過ぎにインディファティガブルから化学製品工場を爆撃すべく千葉県長生郡に飛来したグラマン TBF アヴェンジャーが日本軍に撃墜され、乗組員3名が死亡したものだった。

戦後退役したが、1950年に練習艦として再就役した。1956年にスクラップとなった。

脚注編集


参考文献編集

  • Neil McCart, The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, Fan Publications, 2000, ISBN 1-901225-04-6
  • BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)

関連項目編集

外部リンク編集