イージー・フイルム

かつて存在した日本のアニメ制作会社

株式会社イージー・フイルム: E&G FILMS)は、かつて存在した日本アニメ制作会社

株式会社イージー・フイルム
E&G FILMS
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
180-0013
東京都武蔵野市西久保1丁目6番22号
設立 1971年(有限会社イージー・ワールド・プロ)
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作
関係する人物 村田四郎(イージー・ワールド・プロ作画制作部創業者)
テンプレートを表示

略歴 編集

1971年から仕上げスタジオとして活動していた「有限会社イージー・ワールド・プロ」が、東映動画(現:東映アニメーション)出身で、西ドイツなどでも活躍したアニメーターの村田四郎を中心に作画制作部を立ち上げ、窪詔之の指導の下、「シルバーホークス」「サンダーキャッツ」「カラテカット」など、米国ランキンバス・プロのアニメーション制作を通じて徐々に作画制作部門を整備した。さらに小山信夫、大地丙太郎らとともに創立した撮影スタジオ「株式会社ラッキーモア」を吸収合併して、1988年7月に「株式会社イージー・フイルム」として発足。代表取締役社長には萩原攷司が就任し、発足時の取締役は大地と小山が務めた。

こうして作画・演出・仕上・撮影部門と一貫した制作体制が整い、テレビシリーズの製作を丸ごと下請けするグロス請けが可能となって、当初はシンエイ動画の『おぼっちゃまくん』などの制作に協力した。1990年代になると、シリーズ単位のアニメーション制作の元請けを担当できるまでに成長し、海外映画の配給を行うエノキフイルムや、テレビ東京やその子会社であるテレビ東京ソフトウェア(現:テレビ東京メディアネット)が企画したアニメーションの制作を多く担った。

本社は東京都武蔵野市西久保1丁目6番22号に置かれ、海外にはインドネシアジャカルタに現地法人「ビンタン・ジュナカ・カートン・フィルム(BJCF)」を設立し、自社のテレビアニメ作品の動画・仕上げ・背景作業を可能にした。

1990年代のイージー・フイルムが手掛けた仕事の多くは、角川書店グループやキングレコード、そして前述のテレビ東京ソフトウェアなどが企画・制作したメディアミックス企画におけるアニメ作品の制作であった。中でも同社にとって代表作となったのは、1995年から1997年にかけてのテレビアニメ『スレイヤーズ』シリーズ3部作である。中でも第1作『スレイヤーズ』・第2作『スレイヤーズNEXT』については原作ファン・アニメファン双方から高い支持を受け、文庫原作のメディアミックス作品としては異例と言われる程の大きな成功を収める人気作となった。

とはいえ、メディアミックス業界発展期の1990年代の作品は全般に企画立案から放映開始までのスケジュールが極めて短期間であり、アニメシリーズの制作も2クールの規模であっても低予算・短納期・納期厳守の実際には小規模な企画が多く、出版社などの事実上の下請けとして活動している企業にとって収益性・効率性は決して高いものではなかった。

2002年以降も他社作品の下請け作業や、アニメシアターX(AT-X)の『著名作家シリーズ』など、CSのアニメ専門チャンネルの低予算・小規模な作品を中心に手がけており、最終的には2002年12月~2003年3月に放映された『バロムワン』を最後に解散した。

作品リスト 編集

イージー・フイルム時代 編集

制作作品 編集

テレビアニメ
開始年 放送期間 タイトル
1992年 4月 - 10月 見ると強くなる 痛快!横綱アニメ ああ播磨灘
10月 - 1993年4月 スペースオズの冒険
1993年 10月 - 1994年3月 楽しいウイロータウン
1994年 4月 - 1995年3月 銀河戦国群雄伝ライ
1995年 4月 - 9月 スレイヤーズ
1996年 4月 - 9月 スレイヤーズNEXT
1997年 4月 - 9月 スレイヤーズTRY
10月 - 1998年5月 フォーチュン・クエストL
1998年 4月 - 9月 ロスト・ユニバース
2000年 4月 - 10月 ファーブル先生は名探偵
10月 - 2001年3月 無敵王トライゼノン
2002年 2月 - 5月 幻魔大戦 神話前夜の章
3月 - 9月 サイキックアカデミー煌羅万象
4月 - 8月 ワイルド7 another 謀略運河
12月 - 2003年3月 バロムワン
劇場アニメ
  • 翔べ!ペガサス 心のゴールにシュート(1995年)
OVA

下請け作品 編集

イージー・ワールド時代 編集

ラッキーモア時代 編集

同社スタッフ・OBが独立・起業した会社 編集

外部リンク 編集