ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー
2011年創設、ウィキメディア運動で顕著な活動を示した利用者に贈る賞
ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー(英語: Wikimedian of the Year) は2011年にウィキペディアの共同創設者ジミー・ウェールズが創設した、ウィキメディア運動での顕著な活動に対して与えられる賞[1]。毎年ウィキマニアにおいて授与される[1]。2017年以前はウィキペディアン・オブ・ザ・イヤー(英語: Wikipedian of the Year)という名称であった。
Wikimedian of the Year | |
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![]() ウィキマニア 2013で基調講演を行うジミー・ウェールズ | |
開催日 | 2011年8月 |
会場 | 慣例上ウィキマニアで授与される |
主催 | ジミー・ウェールズ |
行動 | ウィキペディアにおける顕著な活動 |
報酬 | 9 |
初回 | 2011 |
最新回 | 2019 |
歴代の受賞者には、ラウアン・ケンチェハヌリ 、"Demmy"、レミ・マチス、イーゴリ・コスチェンコ、エミリー・テンプル=ウッド、ロージー・スティーヴンソン=グッドナイト、フェリックス・ナーティ、ファルハド・ファツクリン、エムナ・ミズーニ、そして銘記すべき(in pectore)多数の無名編集者たちが含まれる。
メインの受賞者のほかに、これまでに7人に選外賞(Honorable mentions)が授与されている。
受賞者編集
年 | 受賞者 | 主に活動しているプロジェクト | 特記事項 | |
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2011 | ラウアン・ケンチェハヌリ | カザフ語版ウィキペディア | ケンチェハヌリはカザフ語版ウィキペディアの改善のために安定したコミュニティを構築した。この活動はアクティブな利用者を4人から200人以上に増やし、記事数を7000から130000まで増やした[1][2]。後にケンチェハヌリはカザフスタン政府とつながりがあることが判明し、ウェールズは批判された[3]。 | |
2012 | "Demmy" | ヨルバ語版ウィキペディア | Demmyはボットによって、英語版の15000本の短い記事を、ナイジェリアの言語であるヨルバ語に翻訳した。 | |
2013 | レミ・マチス | フランス語版ウィキペディア | ピエール・シュール・オート軍用無線局問題に対応した[4] | |
2014 | イーゴリ・コスチェンコ | ウクライナ語版ウィキペディア | ウィキペディアの編集者としてソーシャル・ネットワーキング・サイトで参加者を募っていたコスチェンコは、ユーロマイダン抗議行動の一員でもあった。彼は抗議行動のさなか、2014年2月20日に射殺され、没後受賞[5][6][7][8]。 | |
2015 | 非公開 | ウィキメディア・コモンズ | ウェールズは、反政府抗議の写真を投稿したことで追放された、ベネズエラ出身の匿名のin pectoreの編集者を挙げた[9]。 | |
2016 | エミリー・テンプル=ウッド | 英語版ウィキペディア | 最初の共同受賞者は、ウィキペディアでの女性に対するハラスメントと闘い、特筆すべき女性についての記事を増やす活動をしている2人に贈られた。テンプル=ウッドは400以上の記事を新規立項し、何百もの記事を改善した。その多くは女性科学者とLGBT・女性の健康に関する記事などであった。スティーヴンソン=グッドナイトは3000以上の記事を改善し、新規参加者を歓迎するスペースを設置し、「ウィキ・ウーマン・ユーザー・グループ」や「ウィキプロジェクト:女性」、ウィメン・イン・レッドキャンペーンなどの女性に関するアウトリーチ活動を共同創設した。 | |
ロージー・スティーヴンソン=グッドナイト | 英語版ウィキペディア | |||
2017 | フェリックス・ナーティ | 英語版ウィキペディア | ナーティーは彼の祖国であるガーナに関する内容を追加し、ウィキペディアを編集することの重要性を宣伝する上でのいくつかのイニシアチブをとった[10][11]。彼は2017年にガーナのアクラで開催された第2回ウィキインダバを主導し、アフリカにおける地域コミュニティ構築の重要な役割を果たした[12]。 | |
2018 | ファルハド・ファツクリン | タタール語版ウィキペディア | ファルハドは彼の母語であるタタール語のみならず、多くのロシアの少数言語コミュニティで世話役になった。彼は英語も堪能であり、長年孤立していたこれらのコミュニティとより広範な運動との橋渡しをした[13][14]。 | |
2019 | エムナ・ミズーニ | アラビア語版ウィキペディア | エムナは2013年にNGOのCarthaginaに加入した[15]。彼女はその年にWiki Loves Monumentsに参加し、ウィキメディア・プロジェクトに投稿し始めた。第1回ウィキアラビア会議の開催やウィキマニア2018のプログラム委員長を務めるなど主要なウィキメディア会議の世話人を務めた。また、2016年にアフィリエーション委員に就任し2018年にはその副議長に選ばれた。 | |
2020 | サンディスタ・タリ | 英語版ウィキペディア | タリは、ガーナにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況に関する記事の作成を積極的に行った[16]。 |
選外賞編集
年 | 受賞者 | 主に活動しているプロジェクト | 特記事項 | |
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2015 | スザンナ・ムクルチアン | アルメニア語版ウィキペディア | 編集キャンペーンや青年キャンプなどのオフ・ウィキ活動によって[9] | |
Satdeep Gill | パンジャーブ語版ウィキペディア | Gillは大学の同級生にウィキペディアの編集を促し、そのためパンジャーブ語版はインドの諸言語のウィキペディア中もっとも成長率が高くなった。 | ||
2016 | Mardetanha | ペルシア語版ウィキペディア | ペルシア語のウィキペディア・ライブラリーを創設した[5]。 | |
Vassia Atanassova | ブルガリア語版ウィキペディア | ウィキペディアに100日間、1日1記事を新規作成するチャレンジ「#100wikidays」を創設。 | ||
2017 | Diego Gómez | 学術論文をオンライン共有したために著作権侵害で起訴されたコロンビアの学生。後に無罪となった[12]。 | ||
2018 | Nahid Sultan | ベンガル語版ウィキペディア | Nahidは、法律上資金調達がほぼ不可能であるなど困難な状況に置かれていたウィキメディア・バングラデシュの成功に貢献した。彼はまたスチュワードとOTRSメンバーとしてグローバルコミュニティーに奉仕し、ウィキメディア・コモンズのFacebookアカウントなどウィキメディア運動のソーシャルメディアアカウントを共同管理した[17] | |
ジェス・ウェイド | 英語版ウィキペディア | ウィキペディア上で適切に評価されていない女性科学者やエンジニアに関する情報を掲載する1年間のプロジェクトを開始した[18][19] |
関連項目編集
参考文献編集
- ^ a b c Morris, Kevin (2013年4月26日). “Winners of Wikipedia's biggest award still haven't received prize money”. The Daily Dot. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Orlowski, Andrew (2014年12月22日). “What's Jimmy Wales going to do with $500k from the UAE?”. The Register. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Orlowski, Andrew (2014年12月22日). “What's Jimmy Wales going to do with $500k from the UAE?”. The Register. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Erhart, Ed (2016年6月24日). “Jimmy Wales names Emily Temple-Wood and Rosie Stephenson-Goodknight as Wikipedians of the Year”. Wikimedia Foundation. 2016年6月24日閲覧。
- ^ a b Erhart (2016年6月24日). “Jimmy Wales names Emily Temple-Wood and Rosie Stephenson-Goodknight as Wikipedians of the Year”. Wikimedia Foundation. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Ukraine Today (2014年9月14日). “Ukraine Today: Ihor Kostenko given posthumous annual award (VIDEO)”. Kyiv Post. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Savchuk (2014年8月15日). “Ukrainian from the Heavenly Hundred becomes Wikipedian of the Year”. KyivPost. 2017年5月20日閲覧。
- ^ Kozlenko (2014年2月23日). “На Майдані загинув вікіпедист Ігор Костенко” (Ukrainian). Wikimedia Ukraine. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月20日閲覧。
- ^ a b Sutherland (2015年7月31日). “2015 Wikipedians of the Year unveiled in Mexico”. Wikimedia Blog. Wikimedia Foundation. 2016年6月24日閲覧。
- ^ Mizrahi (2017年1月11日). “Writing Ghana into Wikipedia: Felix Nartey”. Wikimedia Blog. Wikimedia Foundation. 2017年8月15日閲覧。
- ^ Elsharbaty (2017年1月16日). “Felix Nartey named Wikimedian of the Year for 2017”. Wikimedia Blog. Wikimedia Foundation. 2017年8月18日閲覧。
- ^ a b Wikimania 2017 Closing Ceremony. (2017年8月13日)
- ^ Wikimania 2018 Closing Session. (2018年7月22日)
- ^ “Kazan resident bestowed honorable title Wikimedian of the Year”. russkiymir.ru. (2018年7月24日)
- ^ “Meet Emna Mizouni, the newly minted 2019 Wikimedian of the Year”. Wikimedia Foundation (2019年8月18日). 2019年8月18日閲覧。
- ^ Quist, Ebenezer (2020年10月16日). “Ghanaian lady awarded by Wikipedia as its worldwide best worker for 2020” (英語). Yen.com.gh. 2020年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月9日閲覧。
- ^ Wikimania 2018 Closing Session (English). 22 July 2018.
- ^ Elsharbaty, Samir (2018年7月26日). “Farkhad Fatkullin named Wikimedian of the Year for 2018” (英語). Wikimedia Blog. 2018年7月28日閲覧。
- ^ “A Physicist Is Writing a Wikipedia Entry Every Single Day to Promote Women in Science” (英語). ScienceAlert. (2018年7月26日)
外部リンク編集
- ウィキメディア・コモンズには、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーに関するカテゴリがあります。