ウィブランド・デ・ヘースト

ウィブランド・デ・ヘースト(Wybrand Simonsz. de Geest、1592年8月16日 - 1661年頃)はオランダの画家である。主に肖像画を描いたことで知られる。

ウィブランド・デ・ヘースト
Wybrand de Geest
Wybrand de Geest, zelfportret.jpg
自画像(1629年)
生誕1592年8月16日
オランダ、レーワルデン
死没1661年
オランダ、レーワルデン

略歴編集

オランダ、フリースラントレーワルデンに生まれた。父親はステンドグラスの職人で、父親から美術を学んだ[1]。その後、ユトレヒトの画家、アブラハム・ブルーマールトの弟子になった。1614年から1618年の間、フランスやローマで修行した。1616年にフランスのエクス=アン=プロヴァンスレオナールト・ブラーメルと知り合い[2]、ともにローマに移った。

ローマで活動するオランダやフランドル出身の画家達たちのグループ、「Bentvueghels」のメンバーになり、「De Friesche Adelaer(フリースラントのアドラー:鷲)」という仇名で呼ばれた。

レーワルデンに帰国した後、フリースラントのオランダ総督(stadhouder:知事)の公式画家になり、エルンスト・カシミールヘンドリック・カシミールらの歴代の総督の肖像画を描いた。

レンブラント・ファン・レインと結婚することなるサスキア・ファン・オイレンブルフの親類の娘と1622年に結婚した。レンブラントはサスキアと結婚する前の1634年にデ・ヘーストを訪ねている[3]

骨董品、美術品の収集家としても知られ、1636年にフランスの宰相、リシュリューの秘書で著述家のシャルル・オジェ(Charles Ogier)がそのコレクションを訪れたことを記録している[4]

弟子には Jan Jansz. de Stommeen やJacob Potmaがいて、2人の息子も画家になった。娘は画家のアダム・ペイナッケルと結婚した。

作品編集

脚注編集

参考文献編集

  • Vries, L. de (1982) Wybrand de Geest. 'De Friessche Adelaar'. Leeuwarden, De Tille.