ウィリアムズ・FW08 (Williams FW08) は、ウィリアムズが開発したフォーミュラ1カーパトリック・ヘッドが設計し、1982年から1983年にかけて使用された。

ウィリアムズ・FW08
ウィリアムズ・FW08C
ウィリアムズ・FW08、2009年撮影
ウィリアムズ・FW08、2009年撮影
カテゴリー F1
コンストラクター ウィリアムズ
デザイナー パトリック・ヘッド
先代 ウィリアムズ・FW07C
後継 ウィリアムズ・FW09
主要諸元[1][2]
シャシー アルミニウム ハニカム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー, アンチロールバー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー, アンチロールバー
エンジン コスワース DFY, 2993cc, 90度 V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド FGA 400 5速 MT
燃料 モービル
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム TAG ウィリアムズ・レーシングチーム
ドライバー アイルランドの旗 デレック・デイリー
フィンランドの旗 ケケ・ロズベルグ
フランスの旗 ジャック・ラフィット
イギリスの旗 ジョナサン・パーマー
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 1(1982年 - ケケ・ロズベルグ
初戦 1982年ベルギーグランプリ
出走優勝表彰台ポールFラップ
272720
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FW08 編集

成功作FW07の後継として開発されたFW08は、従来よりもすんぐりした無骨なデザインとなった。アルミ製モノコックはコクピット両脇が高くなり、車体剛性が増している。フロントサスペンションはロッキングアーム式からプルロッド式に変更された。

FW08は6輪車への移行を前提として設計されたため、極端なショートホイールベースとなっている。エンジンパワーではターボエンジンに対して劣勢だったが、ショートホイールベースと軽量なフォード・コスワース・DFVエンジンのマッチングで操縦性の優れたマシンとなった。

1982年シーズンは開幕3戦をFW07Dで戦い、第5戦ベルギーGPからFW08が投入された[3]。1982年は優勝者11人を数える大混戦のシーズンとなったが、ウィリアムズに新加入したケケ・ロズベルグは着実にポイントを稼ぎ、第14戦スイスGPで挙げた初優勝の1勝のみでドライバーズチャンピオンを獲得した。

FW08B 編集

 
6輪車FW08Bのリアタイヤ

FW08Bはフロントタイヤ2輪・リアタイヤ4本を装着する6輪車のテストカーである。ウィリアムズは1981年末にFW07Dを6輪車に仕立ててテストし、1982年には2作目となるFW08Bを開発した。リアにはフロントの15インチよりも小さな13インチのホイールが4つ装着された。

6輪F1マシンの先駆けであるティレル・P34はフロント4輪・リア2輪だった。リア4輪車はウィリアムズより先にマーチ2-4-0(1976年)が発表されていたが、テストのみで終わった(フェラーリも後輪の2連装タイヤをテストした)。

リア4輪はタイヤを小径化することで空気抵抗を減らし、4輪駆動でトラクションを稼げるというメリットがあった。加えて、サイドポンツーン内部のベンチュリ構造を延長して、より強力なグラウンド・エフェクト・カーにすることが可能だった。複雑な駆動系と重量超過という課題はあったが、テストではまずまずの結果を残した。

しかし1982年末に、FIAがグラウンド・エフェクト・カーの禁止とタイヤは4本までという新レギュレーションを発表したため、6輪車の可能性は潰え、FW08Bはウィリアムズのファクトリーにある博物館行きとなった。

1994年、FW08Bはグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードヒルクライムに登場し、ジョナサン・パーマーの運転で最速ラップを記録した[4]。このタイムは1999年ニック・ハイドフェルドマクラーレン・MP4-13が更新するまで破られなかった[4]

FW08C 編集

 
ウィリアムズFW08C

FW08Cは1983年から導入されたフラットボトム規定に適合するようFW08を修正したマシンである。サイドポンツーンが小型になり、重量配分をリア寄りにするため、ラジエーターを車体後方に配置した。ヒューランドギアボックスは6速仕様となった[5]。シーズン途中から、コスワースDFVエンジンの改良型、DFYに換装したが、ターボエンジンとのパワー差は埋め難かった。

第5戦モナコGPでは、前年王者のケケ・ロズベルグが濡れた路面をスリックタイヤで快走し優勝した。しかし、シーズンを通して、ターボエンジン勢のタイトル争いには加われなかった。チームはホンダと契約し、最終戦南アフリカGPではホンダV6ターボエンジンを搭載するFW09を投入した。なおこのFW08Cは、イギリスF3に参戦していたアイルトン・セナが初めてウィリアムズのF1を運転したマシンでもある。

記録 編集

シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1982年 FW08 Cosworth DFV
V8 NA
G RSA
 
BRA
 
USW
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
USE
 
CAN
 
NED
 
GBR
 
FRA
 
GER
 
AUT
 
SUI
 
ITA
 
CPL
 
58 4th
6   ロズベルグ 2 Ret 4 Ret 3 Ret 5 3 2 1 8 5
5   デイリー Ret 6 5 7 5 5 7 Ret Ret 9 Ret 6
1983年 FW08C Cosworth DFV
Cosworth DFY
V8 NA
G BRA
 
USW
 
FRA
 
SMR
 
MON
 
BEL
 
USE
 
CAN
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
EUR
 
RSA
 
38 4th
1   ロズベルグ DSQ Ret 5 4 1 5 2 4 11 10 8 Ret 11 Ret
2   ラフィット 4 4 6 7 Ret 6 5 Ret 12 6 Ret Ret DNQ DNQ
42   パーマー 13

脚注 編集

  1. ^ STATS F1 - Williams FW08”. Statsf1.com. 2010年8月23日閲覧。
  2. ^ STATS F1 - Williams FW08C”. Statsf1.com. 2010年8月23日閲覧。
  3. ^ 第4戦サンマリノGPFISAFOCAの対立から、FOCA系チーム不参加のまま開催された。
  4. ^ a b Six-Wheel Appeal” (英語). AT&T Williams (2011年8月8日). 2011年11月11日閲覧。
  5. ^ 林信次『F1全史 第2集 1981-1985』三栄書房、1992年、67頁。ISBN 4938495031 

関連項目 編集

外部リンク 編集