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ウィリアムズFW14 (Williams FW14) は、ウィリアムズ1991年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーパトリック・ヘッドエイドリアン・ニューウェイが設計した。1992年にはアクティブサスペンションを搭載したFW14Bを使用した。

ウィリアムズ・FW14
ウィリアムズ・FW14B
展示されるウィリアムズ・FW14B
展示されるウィリアムズ・FW14B
カテゴリー F1
コンストラクター ウィリアムズ
デザイナー パトリック・ヘッド(テクニカルディレクター)
エイドリアン・ニューウェイ(チーフデザイナー)
先代 ウィリアムズ・FW13B
後継 ウィリアムズ・FW15C
主要諸元[1][2]
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット
サスペンション(前) プッシュロッド, インボード・スプリング / ダンパー
サスペンション(後) プッシュロッド, インボード・スプリング / ダンパー
エンジン ルノー RS3C / RS4, 3493cc, 67度 V10, NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ウィリアムズ製 6速 セミAT
燃料 エルフ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム キヤノン ウィリアムズ・チーム
ドライバー 5. イギリスの旗 ナイジェル・マンセル
6. イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ
コンストラクターズ
タイトル
1 (1992年)
ドライバーズタイトル 1 (1992年 ナイジェル・マンセル)
初戦 1991年アメリカグランプリ
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
32 17 21 19
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目次

FW14編集

レイトンハウスから移籍してきたニューウェイとヘッドの共同体制から生まれた第1作目。FW13Bをベースに、ニューウェイの空力デザインを融合させた。ノーズの先端を若干持ち上げ、コクピット開口部はドライバーの肩が露出するニューウェイ独特の5角形デザインとなった。

駆動系にはフェラーリに続いてF1では2チーム目となるセミオートマチックトランスミッションを採用した(フェラーリは縦置き7速、ウィリアムズは横置き6速仕様)。フェラーリと同様に、ステアリング裏のパドルで変速操作を行う。

エンジンはジョイント3年目となるルノーV型10気筒エンジン。シーズン中、RS3からRS3Bに換装された。圧搾空気でバルブ開閉を制御するニューマチックバルブシステムを搭載し、14,200回転で770馬力を発生[3]。また、エルフ製の特殊燃料も使用し、ホンダやフェラーリのV12エンジンに対抗した。

スポンサーにキャメルが加わった。序盤2戦はコクピット前部のみキャメル・イエローにペイントされ、エンジンカバー部は白い空きスペースだったが、第3戦以降はエンジンカバーもキャメル・イエローにペイントされた。

第7戦フランスGPよりロングノーズと改良型のフロントウィングが導入された[4]。最終戦オーストラリアGPでは翌年へ向けての先行開発として、スペアカーアクティブサスペンションが搭載された[5]

1991年シーズン編集

序盤戦は導入したばかりのセミオートマチックトランスミッションにトラブルが多発した。序盤4戦両ドライバー合わせてリタイヤ6回を喫し、同じく優勝4回と2位と3位が1回ずつのマクラーレン勢に大きく引き離されていた。

第5戦カナダGPでは、ナイジェル・マンセルが首位を独走するも、ファイナルラップにストップして勝利を逃した。しかし第6戦メキシコGPリカルド・パトレーゼがシーズン初勝利かつウィリアムズの1-2フィニッシュで飾った。ここからポテンシャルを発揮し、第7戦フランスGPから第9戦ドイツGPまでマンセルが3連勝を達成。マクラーレンとのポイント差を一気に詰め、終盤戦までタイトル争いを繰り広げた。

シーズン全16戦中、マクラーレンの8勝に対し、ウィリアムズは7勝(マンセル5勝、パトレーゼ2勝)を獲得。ホンダエンジンのパワーに依存するマクラーレンに対してトータルパッケージの優秀さを示したものの、序盤戦の不振やハンガリーGPベルギーGPのマシントラブルで逃したポイント、特にポルトガルGPのピット作業での失策でマンセルが黒旗失格となったことが致命的となってしまい、最終的にはマクラーレンの逃げ切りを許してしまった。

スペック編集

 
1991年のアメリカGPでパトレーゼがドライブするFW14
 
1991年イギリスGPでマンセルがドライブするFW14に乗るセナ
 
プロモーション用にFW16のカラーリングを施したFW14[6](1994年)

シャーシ編集

エンジン編集

  • エンジン名 ルノーRS3,RS3B
  • 気筒数・角度 V型10気筒・67度
  • 排気量 3,500cc
  • 最高回転数 14,400回転
  • 最大馬力 770馬力
  • スパークプラグ チャンピオン
  • 燃料・潤滑油 エルフ

記録編集

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
USA
 
BRA
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
MEX
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
JPN
 
AUS
 
1991 5   マンセル Ret Ret Ret 2 6 2 1 1 1 2 Ret 1 DSQ 1 Ret 2 125 2位
6   パトレーゼ Ret 2 Ret Ret 3 1 5 Ret 2 3 5 Ret 1 3 3 5

FW14B編集

アクティブサスペンション編集

 
FW14Bのフロントサスペンション
アクティブサス収納部分のバルジが膨らんでいる

FW14をベースにアクティブサスペンション[7]を搭載し、1992年に向けた改修を加えたマシン。

当初は暫定改造車として序盤戦のみ使用し、第4戦スペインGPからフルモデルチェンジしたFW15を投入する予定だったが、他チームのマシンを引き離す圧倒的なポテンシャルを持つことが判明したため、計画を変更して1992年シーズン一杯使用することになった[8]

アクティブサスペンションの搭載は1988年のFW12以来となる。当時はシステムを確立できずシーズン途中に放棄してしまったが、その後もパディ・ロウを中心として地道に開発を続けていた。テストドライバーのマーク・ブランデルデイモン・ヒルによってテスト走行を重ね、信頼性を高めた上で実戦投入に踏み切ることになった。パトリック・ヘッドはこれらのデバイスの投入を当初から1992年からと決めていた。これは仮に前倒しに投入した場合、信頼性に難が見られた時の対策にチームのリソースを食う事になり、開発計画に狂いが生じるのを懸念した為である、

FW14Bのシステムはロータス・99Tのような完全油圧制御(フルアクティブ)ではなく、ガスシリンダー(パッシブ)と油圧式アクチュエータ(アクティブ)を組み合わせたセミアクティブ方式であった[9]。路面のバンプを通過する際、高い波長(大きな揺れ)にはパッシブサスが対応し、低い波長(小さな揺れ)をアクティブサスで制御した[9]。ソフトなサスペンション特性を持ちながらも、車体姿勢や車高を最適に維持する、という相反する要素を兼ね備えることで、FW14が元来持つ優れた空力性能をいかなる状況でも発揮できるようになり、異次元のコーナリング性能が実現した。また、直線走行時にはフロントの車高を上げ、ウィングの迎角を抑えることでドラッグを減らし、トップスピードを高めることもできた[4]

レースでの走行にあたっては、GPSが存在しなかった当時、各サーキットでの走行ライン上の路面状態や縁石を全て事前に調査したうえでサスペンションの動作プログラムを作成する手法が採られていた[10]

チームは機密保持に神経を遣っており、ピットでの整備時にはガードマンを配置したり、アクティブ装置の上にカバーを被せるなどして、写真撮影されることを避けていた。

FW14製作時にはアクティブサスペンションの搭載が考慮されていなかったため、フロントサスペンションのプッシュロッドを接続するモノコック上部にアクチュエータを収めるバルジが追加された。また、システムの搭載に伴い、マシン重量も増加している。シャシーはホイールベースが100mm以上延長され、前後トレッドも拡大された。

エンジンはルノー・RS3Cを搭載しつつ、第5戦サンマリノGPから予選用にRS4を投入し[4]、第11戦ハンガリーGP以降は決勝レースでもRS4を使用した[5]。電子制御で点火タイミングを調節し、駆動力を最適化するトラクションコントロールシステムの採用も話題となった。

1992年シーズン編集

 
1992年モナコGPでパトレーゼがドライブするFW14B。

セミATギアボックス、アクティブサス、トラクションコントロールというハイテク装備で武装したFW14Bは、開幕戦から3戦連続ワンツーフィニッシュを果たし、ライバルチームに衝撃を与えた。第2戦メキシコGPが開催されたエルマノス・ロドリゲス・サーキットは路面がバンピーなことで知られたが、FW14Bはアクティブサス効果で姿勢を乱すことなく駆け抜けた。マクラーレンは第3戦ブラジルGPにて新車MP4/7Aを緊急投入したが、ウィリアムズの優位は崩れることなく、マンセルは開幕から5連勝という当時の新記録を達成した。

第6戦モナコGPはホイールトラブルでアイルトン・セナに勝利を献上し、第7戦カナダGPでは初のダブルリタイアを喫したが、第8戦フランスGPからマンセルが再び3連勝し、第11戦ハンガリーGPでは年間16戦で行われていた当時の最短記録でドライバーズチャンピオンを獲得した。

その後はRS4エンジンのトラブルなどによりマンセルとパトレーゼが1勝ずつをあげるにとどまったが、ウィリアムズは16戦10勝という成績で1987年以来のコンストラクターズタイトルを獲得した。ポールポジションは第7戦以外はウィリアムズコンビが獲得し、翌1993年にかけて23戦連続ポールポジションというコンストラクター記録を樹立することになる。マンセルは個人としても年間14ポールポジションという記録を残した[11]

スペック編集

シャーシ編集

エンジン編集

記録編集

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
RSA
 
MEX
 
BRA
 
ESP
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
AUS
 
1992 5   マンセル 1 1 1 1 1 2 Ret 1 1 1 2 2 Ret 1 Ret Ret 164 1位
6   パトレーゼ 2 2 2 Ret 2 3 Ret 2 2 8 Ret 3 5 Ret 1 Ret

「最強マシン」の実態編集

FW14とFW14Bでは、マンセルとパトレーゼの個人記録の違いが目立つ。1991年はマンセル5勝2PP、パトレーゼ2勝4PPという成績だが、パトレーゼの方が先に優勝し、3連続ポールポジションを含めて16戦中9戦でパトレーゼがマンセルを上回った。ところが、1992年はマンセルが9勝14PP、パトレーゼは1勝1PPと圧倒的な差がついた。予選では1〜2秒差という、同じマシンとは思えないギャップが開いたケースもあった。

エイドリアン・ニューウェイは「アクティブカーはナイジェルのような、クルマを信頼して振り回すアグレッシブな乗り方に合っていた[12]」と語っている。アクティブカーは従来のパッシブサスカーの限界よりも攻め込むことができるが、その感覚の違いをドライバーが克服しなければ、その性能を完全に活かすことはできなかった。マンセルは「こんなに速いとバリアにぶつかってしまうぞ、という頭の中の"アラーム"を乗り越えることが大変だった[13]」と語っている。一方でパトレーゼはマシンの反応を感じながらスムースに操るタイプのドライバーだったため、アクティブカーへの順応が思うようにできず、「ナイジェルのほうが僕よりも慣れるのが早かったから、とにかく自分の考えを変えなくてはいけないと思った」「ドライビングが難しいというのではなく、すべてにおいて別物だった」と語っている[8]パトリック・ヘッドは「普通のクルマとはロール剛性の感触が違う」と説明し、「コーナーに入る際、短い期間ではあるもののマシンは浮遊するような感じになり、その上安定していた。ナイジェルはこの短い間に、より多くのグリップがあることを掴んだ。しかしチームメイトのリカルドは、いつもよりしっかりとした感触を欲しがっていたんだ」と述べている[14]

また、当時F1のレースに耐えうる油圧式のパワーステアリングは存在したが、電動式は実用化されていなかった。そのため、その搭載分だけマシンの重量増となる事を嫌っていたため、FW14Bでも搭載されていなかった。そのため、高速コーナーではステアリングが非常に重くなり、上半身の筋肉が発達したマンセルに有利だった[12]。当時ベネトンに在籍していたマーティン・ブランドルは「パトレーゼはまともにステアリングさえ操縦出来ていなかったんじゃないかな」と評している。

マンセル自身はロータス時代に初期のアクティブカーで怖い体験を経験したことから、システムに良い印象をもっていなかったが、1992年はシーズン前に減量するなど、悲願のチャンピオン獲得へ決意を持っていた。また、パトレーゼを最大のライバルと目し、アドバンテージを与えないようにしていた。レース中はチームに告げずアクティブの設定を手動調節し、フロントの車高を下げて走っていた[12]。また、ブリーフィングでは担当エンジニアと共謀してでたらめな報告をし、ホテルに帰ってからふたりで話し合っていたという[12]。チームのアナリストすら見破れなかったほどのマンセルの巧妙な偽装工作をニューウェイが気付いたのはシーズンの終盤であったと言う[12]

マンセルは記者会見でアクティブカーの操縦がいかに困難であるか伝えようとしたが、逆にマシン性能に自身が助けられていると解釈され、皮肉にも「誰が乗っても勝てる」マシンという評価を招くことになった。それに目を付けたセナや当時休養中だったアラン・プロストがウィリアムズのシート争いに加わり、セナに至っては「ノーギャラでいいから」とまで発言するほどにヒートアップ。その結果、チームの態度に不信感を募らせたマンセルとパトレーゼは揃って去ることになり、翌1993年はプロストとそれまでテストドライバーだったデイモン・ヒルの体制となった(後にヒルにも「最強マシン」乗りが故の過小評価が付きまとう事になった)。

脚注編集

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  1. ^ AT&T Williams F1”. Attwilliams.com. 2010年8月23日閲覧。
  2. ^ http://www.statsf1.com/en/williams/modeles.aspx
  3. ^ 『F1倶楽部 Volume.29』、双葉社、2000年、p.37
  4. ^ a b c 『F1 Modeling Vol.15』 山海堂、2002年、p.18。
  5. ^ a b 『F1速報PLUS Vol.8 2007 Spring』 ニューズ出版、2007年、p.31。
  6. ^ ノーズの全長が下画像のFW14Bに比べて明らかに短く、フロントウィングのくびれ方が上の2枚の画像同様小さいため、前期型とわかる。
  7. ^ ロータスが商標を取得していたため、ウィリアムズでは「リアクティブサスペンション」と呼んだ。
  8. ^ a b 『F1速報PLUS Vol.8 2007 Spring』、p.34。
  9. ^ a b 『F1速報PLUS Vol.8 2007 Spring』、pp.33-34。
  10. ^ アクティブ・サスペンション FORMULA1-DATA 2018年4月17日、同8月18日閲覧。
  11. ^ 2011年セバスチャン・ベッテルが15ポールポジションを挙げて年間最多記録を更新したが、年間占拠率に換算するとマンセルが16戦中14回で87.5%、ベッテルが19戦中15回で78.9%となり、この場合はマンセルの記録は未だ破られていない。
  12. ^ a b c d e 「開発メンバーが語る、FW14秘話」『F1 Modeling Vol.15』、p.22 -23。
  13. ^ 『F1 Modeling Vol.15』、p.20。
  14. ^ “ウイリアムズFW14Bを当時TDを務めたパトリック・ヘッドが解説”. motorsport.com. (2017年11月12日). https://jp.motorsport.com/f1/news/%E5%90%8D%E8%BB%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BAfw14b%E3%82%92%E5%BD%93%E6%99%82td%E3%82%92%E5%8B%99%E3%82%81%E3%81%9F%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%8C%E8%A7%A3%E8%AA%AC-987680/2130106/ 2018年12月28日閲覧。