ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)

ウィリアム・アルフレッド・ギブソン(William Alfred Gibson、1869年 - 1929年10月6日)は、 オーストラリア映画プロデューサー、映画館経営者で、ミラード・ジョンソンとの共同事業によって最もよく知られた。1906年の映画The Story of the Kelly Gang』のプロデューサーのひとりであり、アマルガメイテッド・ピクチャーズ英語版の設立に参画した[1][2]

オーストラリアの映画プロデューサー、実業家、ウィリアム・アルフレッド・ギブソンの似顔絵。

もともとギブソンは、ウィリアム・ジョンソン (William Johnson) の下で、化学者として働き、初期の映画興行者たちに化学薬品類を供給していた。やがて、ジョンソンの息子ミラードと共に、自ら映画館経営に乗り出し、さらにフィルムの現像処理や、撮影も手がけるようになっていった[3]

ギブソンはジョンソンと協力して、『The Story of the Kelly Gang』の制作を支援したが、この作品は、一説には世界最初のフィーチャー映画(長編映画)とされている。この作品は、テイト兄弟英語版が制作したが、彼らはその後、ギブソンやジョンソンとともにアマルガメイテッド・ピクチャーズを設立することとなった。

アマルガメイテッド・ピクチャーズは、後に他の会社との合併を重ね、オーストラリアン・フィルムズ英語版とユニオン・シアターズ (Union Theatres) となり、両者が結びついた、通称「コンバイン英語版」は、1920年代のオーストラリアにおける映画配給と上映を実質的に支配した。ギブソンは、その経営責任者であった[4]

栄誉 編集

ギブソンは、1920年10月19日に、大英帝国勲章 (OBE) を受章した[5]

脚注 編集

外部リンク 編集