ウィリアム・ディーン (技術者)

ウィリアム・ディーン英語: William Dean、1840年1月8日 - 1905年9月4日)はイギリスグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の3代目の機関車・客貨車総監督である。ロンドン・ニュークロスにあるホーズ石鹸工場の管理者、ヘンリー・ディーンの二男として生まれた。ウィリアムはヘイバーダッシャーズ・カンパニー・スクール (Haberdashers' Company School) で教育を受けた。彼はジョセフ・アームストロングの後を継いで、1877年にグレート・ウェスタン鉄道の機関車・客貨車総監督に就任した。彼は1902年に引退して、ジョージ・チャーチウォードが後を継いだ。彼が設計した有名な蒸気機関車は、3252形3300形、長く使われた2301形などである。

ウィリアム・ディーン
William Dean
生誕 (1840-01-08) 1840年1月8日
死没 (1905-09-04) 1905年9月4日(65歳没)
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見習い期間 編集

彼は、15歳の時からグレート・ウェスタン鉄道ウルヴァーハンプトン工場のジョセフ・アームストロングの下で見習いをした。8年の見習い期間中、彼は夜間のウルヴァーハンプトン労働者大学に出席し、数学と技術に優れていた。1863年に見習い期間を終えて、アームストロングの主任助手となった。

グレート・ウェスタン鉄道における地位 編集

1年後、ジョセフ・アームストロングはグレート・ウェスタン鉄道の機関車総監督の地位に昇任し、スウィンドン工場に赴任した。ジョセフの弟のジョージ・アームストロング英語版が北部局の機関車総監督の地位を引き継ぎ、その下でディーンはスタッフォード・ロード工場の管理者をしていた。この組み合わせは1868年まで続き、ジョセフ・アームストロングがその年にディーンをスウィンドン工場における主任助手に任命した。1877年にジョセフ・アームストロングが心臓発作によって突然死去すると、ディーンが総監督に就任した。

改軌可能な機関車 編集

当時、グレート・ウェスタン鉄道ではまだ広軌が使われていたが、標準軌への改軌が進行中であった。ディーンの初期の設計のうちのいくらかは、改軌可能になっており、標準軌への改造が容易であった。

死去 編集

ディーンは機関車総監督を務めた最後の数年間病気になっており、次第にチャーチウォードに責任を委ねて行った。彼は1902年6月に引退して、自分のために購入しておいたフォークストン英語版にある家に引っ越したが、そこで3年後に亡くなった。

参考文献 編集

  • Allan, Ian, compiler (March 1944). The ABC of Great Western Locomotives. McCorquodale and Co., Ltd., London 
  • Daniel, John. “William Dean”. The Great Western Archive. 2006年1月2日閲覧。
  • Joseph Armstrong, his son, and William Dean”. steamindex.com. 2006年1月2日閲覧。
ビジネス
先代
ジョセフ・アームストロング
グレート・ウェスタン鉄道機関車・客貨車総監督
1877年 - 1902年
次代
ジョージ・チャーチウォード