ウィリアム・バイロン (第5代バイロン男爵)

第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロン(William Byron, 5th Baron Byron 1722年11月5日 - 1798年5月19日)は、イギリスの貴族。

詩人として著名な第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの大伯父にあたる。

経歴 編集

1722年11月5日、第4代バイロン男爵ウィリアム・バイロンとその後妻フランシス(初代ポートランド伯爵ウィリアム・ベンティンクの娘)の間の長男として誕生。父には先妻との間に男子が3人あったが、いずれも早世していたため、嫡男としての出生だった[1]

1736年8月8日に父の死去により第5代バイロン男爵位を継承し[2]貴族院議員に列した。

1747年から1752年にかけてフリーメイソンイングランド・首位グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[3][4]。しかし職務怠慢な人物であり、彼の在職期間5年の間に傘下のロッジに無気力と不満が広がった。グランドロッジへの納付金の滞納も目立つようになり、バイロン卿は45のロッジに対して納付金滞納で認証を取り消したが、この数は当時の加盟ロッジの3分の1に当たる数で、これが分裂(1751年の古代派グランドロッジ英語版の創設)を促すことになった[4]

1763年から1765年にかけて王室スタッグハウンド管理長官英語版を務めた[2][3]

1765年1月26日には従兄弟にあたるウィリアム・チャーワースと喧嘩して決闘に及び、彼を殺害した。貴族院から殺人罪の有罪判決を受けるも、貴族の特権により釈放された[2][3]

1798年5月19日に死去した。生存している男子がなく、バイロン男爵位は大甥(弟ジョンの孫)にあたるジョージに継承された[3]。この大甥は詩人として著名になる。

保有爵位 編集

家族 編集

1747年に7万ポンドの持参金をうけてエリザベス・ショーと結婚。彼女との間に3男1女を儲けたが、全員に先立たれた[2]。息子のうちウィリアムが男子を1人儲けたものの、早世した。そのため直系の子孫を爵位継承者とはできなかった[2][3]

出典 編集

  1. ^ Lundy, Darryl. “William Byron, 4th Baron Byron of Rochdale” (英語). thepeerage.com. 2015年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e Lundy, Darryl. “William Byron, 5th Baron Byron of Rochdale” (英語). thepeerage.com. 2015年9月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Byron, Baron (E, 1643)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月30日閲覧。
  4. ^ a b 片桐三郎 2006, p. 112.

参考文献 編集

  • 片桐三郎『入門 フリーメイスン全史 --- 偏見と真実』アム アソシエイツ、2006年11月。ISBN 4-903388-20-4 
フリーメイソン
先代
第6代クランストーン卿
イングランド・首位グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1747年–1752年
次代
初代カリスフォート男爵
公職
先代
空席
王室スタッグハウンド管理長官英語版
1763年–1765年
次代
第2代ゴールウェイ子爵英語版
イングランドの爵位
先代
ウィリアム・バイロン
第5代バイロン男爵
1736年–1798年
次代
ジョージ・ゴードン・バイロン