メインメニューを開く

ウィレム4世 (オラニエ公)

生涯編集

父ヨハンの死の6週間後、レーワルデンで生まれた。そのためウィレムは生まれるとすぐにオラニエ公を継承したが、1713年にオランジュ(オラニエ)公国はフランスによって正式に併合されたため、以後オラニエ公の称号は名目上のみのものとなった。

1702年ウィレム3世が後継者なしに死去した後、父ヨハン・ウィレム・フリーゾはナッサウ家傍系(ウィレム1世の弟ナッサウ=ディレンブルク伯ヨハン6世の家系)からオラニエ=ナッサウ家を継承していたが、ホラント州他4州の総督職には就かず(これらの州は総督を置かず無総督時代になった)、フリースラント州フローニンゲン州の総督を父から受け継いだのみであった。ウィレムは2州の総督の地位を母の後見の下に継承し、1722年にはヘルダーラント州の総督にも任じられた。なお、オラニエ=ナッサウ家の継承については1702年以来プロイセン王家との間で対立が続いていたが、1732年にようやく決着がついた。

1739年1743年にウィレムは、ナッサウ家傍系のナッサウ=ディレンブルク伯家とナッサウ=ジーゲン伯家の所領を相続した。

1747年4月、オーストリア継承戦争に巻き込まれてフランス軍の侵攻を受けた連邦共和国は、イギリスの後押しもあって、ウィレム4世を7州全ての総督に選出して陸海軍総司令官とし、その地位の世襲を宣言した。政務の経験はほとんどなかったものの、ウィレムは有能な顧問官と民衆の人気に支えられ、1748年アーヘンの和約で、連邦共和国は少なくとも損失は免れた。また、1747年にはルートヴィヒ・エルンスト・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク英語版と出会い、1750年に彼を総司令に任命した。これにより、ルートヴィヒ・エルンストは後に幼いウィレム5世の摂政団の1人になる。

ウィレム4世は1751年デン・ハーグで死去した。オラニエ公は幼い息子ウィレム5世が母アンの後見の下に継承し、成人後に世襲になった全州総督の地位に就くこととなる。

家族編集

1734年3月25日、ウィレムはセント・ジェームズ宮殿グレートブリテン王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の長女アンと結婚した。2人は1男4女をもうけ、うち1男1女が成人した。

栄典編集

1720年、ガーター勲章を授与された。

脚注編集

  1. ^ Suzanna van Dijk; Jo Nesbitt (1 January 2004). I Have Heard about You: Foreign Women's Writing Crossing the Dutch Border : from Sappho to Selma Lagerlöf. Uitgeverij Verloren. p. 168. ISBN 90-6550-752-3. https://books.google.com/books?id=Mjw2CNUIiQkC&pg=PA168. 
ウィレム4世
ナッサウ分家

1711年9月1日 - 1751年10月22日

オランダの爵位
先代:
ヨハン・ウィレム・フリーゾ
オラニエ公
1711年 - 1751年
空位
次代の在位者
ウィレム5世
爵位
先代:
ヨハン・ウィレム・フリーゾ
オラニエ=ナッサウ公英語版
ブレダ男爵

1711年 - 1751年
次代:
ウィレム5世
先代:
フランツ・アレクサンダー英語版
ナッサウ=ハダマール公
1739年 - 1751年
先代:
クリスティアン英語版
ナッサウ=ディレンブルク公
1739年 - 1751年
先代:
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世英語版
ナッサウ=ジーゲン公
1743年 - 1751年
公職
先代:
ヨハン・ウィレム・フリーゾ
フリースラント州フローニンゲン州総督
1711年 - 1747年
全ての総督職が1つに併合
空位
最後の在位者
ウィレム3世
ヘルダーラント州総督
1722年 - 1747年
ホラント州ゼーラント州ユトレヒト州オーファーアイセル州総督
1747年
新設 オランダ(全州)総督
1747年 - 1751年
次代:
ウィレム5世