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概要編集

ジミー・カーター政権による、航空規制緩和によってフロリダ州内のローカル航空会社から、全米・欧州に路線を拡大し、急成長したが、1982年エア・フロリダ90便墜落事故をきっかけに利用客が激減し、設立後わずか12年で倒産してしまった。規制緩和後幾つも生まれては消えた新興航空会社の一つである。

歴史編集

フロリダのローカル航空会社編集

 
マイアミ国際空港に到着したエア・フロリダのロッキード L-188(1976年)

エア・フロリダは1972年、マイアミに設立された。設立当初は中古のロッキード L-188エレクトラや、ボーイング727DC-9などを使ってフロリダ州内の路線を運航する、小さなローカル航空会社であった。

規制緩和とエア・フロリダの急成長編集

 
ダグラス DC-10(1981年)
 
ボーイング737-200

この小さな航空会社の転機となったのは、1978年にカーター政権によって行われた航空規制緩和ディレギュレーション)であった。エア・フロリダはその年の12月には初の州外路線であるマイアミ-ワシントンD.C.間の路線を開設。エア・フロリダを率いた元ブラニフ航空のエドワード・C・アッカーは新規路線や新機材の投入を積極的に行い、わずかの間に全米へ路線網を拡大した。

さらに、1980年には初の国際線となるマイアミ-ロンドン線をDC-10を使って開設。同じ年にはアムステルダムブリュッセルへ定期便を就航したほか、欧州各地へチャーター便を運航するなど急成長を遂げていった。

行き詰まり編集

わずか数年で急成長を遂げたエア・フロリダだったが、そんな急成長にも陰りが見えるようになってきた。アッカーは古巣ブラニフ航空の南米路線を買収し、さらには西ベルリンを拠点にしていたエア・ベルリンにも資本参加し、買収を狙ったが失敗してしまった。

さらに、そのアッカー自身がライバルである名門大手のパンアメリカン航空(パンナム)へ移り、社長になってしまった。アッカーの後のエア・フロリダの経営陣は短い間に交代して安定せず、一方パンナムに移籍したアッカーは、今度はエア・フロリダに対して値下げ攻勢を行うようになった。こうして、エア・フロリダの行く手には暗雲が漂い始めた。

破局編集

そんな中の1982年1月13日ワシントン・ナショナル空港を離陸したフォートローダーデール行きの90便がポトマック川に墜落、乗客乗員74人と地上で巻き込まれた4人の計78人が死亡するという大事故(エア・フロリダ90便墜落事故)を起こしてしまった。この事故によって利用客は激減し、エア・フロリダは定期国際線からの撤退を余儀なくされた。

こうして、急成長を遂げたエア・フロリダも、事故後は坂を転がり落ちるように衰退、路線も縮小していき、1984年には倒産。その年の7月3日には全ての運航を停止し、消滅してしまった。

所有していた機材編集

 
ボーイング737-200
 
ボーイング737-200(エア・ユーロピア塗装)
 
ダグラス DC-9-15
 
ダグラス DC-9-15RC
 
マクドネル・ダグラス DC-10

参考文献編集

  • 賀集章『消えたエアライン』(2003年 山海堂)

関連項目編集