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エスタジオ・ド・マラカナン

エスタジオ・ジョルナリスタ・ド・マリオ・フィーリョは、ブラジルリオデジャネイロにある世界最大規模のサッカー・スタジアムである。正式名称はマリオ・フィーリョスタジアム。

エスタジオ・ド・マラカナン
Estádio do Maracanã
Estádio Jornalista Mário Filho
Maracana internal view april 2013.jpg詳細地図
エスタジオ・ド・マラカナンの位置(リオ・デ・ジャネイロ内)
エスタジオ・ド・マラカナン
リオデジャネイロ市における位置
施設情報
所在地 Rio de Janeiro, Brazil
位置 座標: 南緯22度54分43.80秒 西経43度13分48.59秒 / 南緯22.9121667度 西経43.2301639度 / -22.9121667; -43.2301639
起工 1948年8月2日
開場 1950年
修繕 2007年2013年
所有者 リオデジャネイロ州
グラウンド
ピッチサイズ 110 x 75 metres
設計者 Waldir Ramos
Raphael Galvão
Miguel Feldman
Oscar Valdetaro
Pedro Paulo B. Bastos
Orlando Azevedo
Antônio Dias Carneiro
使用チーム、大会
フラメンゴ
フルミネンセ
FIFAコンフェデレーションズカップ2013
2014 FIFAワールドカップ
リオデジャネイロオリンピック
収容能力
78,639

概要編集

 
1950年ワールドカップの前に、マラカナースタジアムのオープニングゲーム。

1950年に開催されたワールドカップ・ブラジル大会の主会場で、この時優勝のかかったブラジル代表ウルグアイ代表との試合で逆転負けを喫して優勝を逸し、これはマラカナンの悲劇と呼ばれている。

その後は地元・リオデジャネイロのクラブ・CRフラメンゴのホームスタジアムとして使用された。ジーコがこのスタジアムで開催された公式戦(全国リーグ、リオ州選手権、ブラジル代表)で333得点を挙げ、この記録は未だ破られていない。スタジアムの正面入口には歴代の名選手の写真が飾られており、ジーコの写真もある。

以前は20万人もの収容人員を誇っていたが、1992年ブラジル全国選手権決勝に発生したスタンド落下事故を機に大幅に削減。現在は、全席椅子席で約80000人である。298 × 260 mの楕円形[1]

スタジアムの正面入口の床には、2000年にマラカナンスタジアム50周年を記念して作られた、カウサーダ・ダ・ファマと呼ばれる歴代ブラジル代表の名選手の足形が飾られている。

スタジアム内の両サイドのゴール裏には公衆電話が設置されていた。この公衆電話は国際電話にも対応しており、取材に来たメディア関係者が仕事で使うため、或いはゴールを決めた選手が家族や恋人にその場で報告する(実際にやると審判からイエローカードを貰うこともある)ためなどの理由で設置されていたが、携帯電話が普及したことで2007年にリオデジャネイロでパンアメリカン競技大会を開催するために改修工事が行われた際に撤去された。

隣には体育館のマラカナンジーニョがあり、バレーボールや格闘技などが行われる。

2014年にブラジルで64年ぶりに開催されたFIFAワールドカップ決勝戦も、前回同様このスタジアムで同年7月13日に行われた。

そのプレ大会である2013年サッカーコンフェデレーションズカップ(2013年6月)の会場としても利用されるため、改装工事を行った。

2016年8月に開催された第31回夏季オリンピックリオデジャネイロ大会の開会式/閉会式とサッカー競技も、エスタジオ・ド・マラカナンで挙行された。なお、サッカー専用競技場がメインスタジアムに使われたのは初の試みでもあった。

2016年8月20日にマラカナンでリオデジャネイロオリンピックの男子サッカーの決勝戦が開催され、自国開催のブラジルと2年前のワールドカップでブラジルに大勝したドイツの決勝カードとなった。27分にネイマールがフリーキックを決めたが、59分にドイツのマックス・マイヤーが追いつき1-1の同点に追い込んだ。その後は両チームとも一進一退の攻防で死闘を繰り広げ、PK戦にまでもつれ込み両チーム共に4人目まで成功させたが、5人目のドイツのニルス・ペーターゼンが失敗、ブラジルの最後のキッカーであるネイマールが成功させ、ブラジルがオリンピックサッカーとして初の金メダルを獲得した。なお、この出来事はマラカナンの悲劇になぞらえ「マラカナンの歓喜」とも呼ばれた。マラカナンはブラジルサッカーの聖地とも呼ばれているが、同時に鬼門でもあった。だが、この結果によりそれに終止符を打ったのだった。

2017年1月、競技場内部が荒廃している様子が報道された。これはスタジアムの管理について、オリンピック組織委員会とリオデジャネイロ州、民間企業との間で争いがあり、事実上管理がなされていないためであり、報道された時点では芝生が大部分枯れ上がっているほか、スタジアムの備品が多数盗難に遭った。[2]

しかしその後は復旧が進み、リーグ戦やカップ戦で現在も使用中。コパ・アメリカ2019でも決勝戦で使用予定となっている。

サッカー以外編集

リオデジャネイロオリンピック編集

2016年8月、リオデジャネイロオリンピック開会式が開催された。夏のオリンピックの開会式が陸上競技場以外で開催されるのは1900年の第2回パリオリンピック以来で116年ぶり(29大会ぶり)2回目であった。この他、サッカー決勝及び閉会式が開催された。パラリンピックでも同じ様に開閉会式の式典会場として使用された。

格闘技編集

 
エリオ・グレイシー(下)を寝技で圧倒する木村政彦(上)

1951年10月23日、日本からやってきた柔道史上最強を謳われる伝説の柔道家・木村政彦がプロ柔道家として3人でブラジル遠征してきた。その一行にグレイシー柔術の祖であるエリオ・グレイシーが挑戦、一行の1人である加藤幸夫が戦ったが1試合目は引き分け、2試合目でエリオの絞め技で失神負けという醜態をさらしてしまい、ブラジル日系人たちの間で大問題になった。

日系人が暴動を起こしそうな空気となったため木村がエリオの挑戦を受け、カフェ・フィーリオ副大統領などVIP多数が観戦するなか戦った。結果、木村が得意の大外刈りで投げ、最後は腕緘みでエリオの肘関節を骨折させて勝った。世界の格闘技史の中でも最も大きな事件である。グレイシー一族はこの敗戦を「マラカナンの屈辱」と呼ぶ。

当時はブラジル国内にプロサッカーリーグがまだなく、最も人気の高いプロスポーツ興行は格闘技だったので、ブラジル人、日系人、双方が熱狂した。

その他の国際スポーツ大会編集

1980年と1983年にバレーボールのソ連戦が行われた[3]

コンサート編集

その他編集

改修前のマラカナン編集

脚注編集

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  1. ^ Anticipation: Maracanã Stadium in Rio de Janeiro - DETAIL-online.com
  2. ^ 荒れ放題のリオ五輪スタジアム、管理責任で関係団体が対立 CNN 2017年2月3日
  3. ^ GloboEsporte.com - Final do vôlei no Maracanã divide opiniões”. 2008年2月6日閲覧。
  4. ^ >Х> FRANK SINATRA - Era uma vez um mito chamado Frank Sinatra >”. Duplipensar.Net. 2009年5月26日閲覧。
  5. ^ Suderj, http://www.suderj.rj.gov.br/maracana.asp 
  6. ^ Jet February 8, 1988 - Vol. 73, n. 19, p.60. ISSN 0021-5996
  7. ^ One Year Ago: Internet Gives McCartney All-Time Largest Album Promo”. E-Commerce Times (2000年12月14日). 2010年3月9日閲覧。
  8. ^ Klar for take-off /”. Massiv.no. 2011年6月7日閲覧。
  9. ^ Stjerne. Punktum. /”. Massiv.no. 2011年6月7日閲覧。
  10. ^ Et slags monster /”. Massiv.no. 2011年6月7日閲覧。
  11. ^ JB Online: Rio festeja memória de João Paulo II”. 2008年2月6日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集

先代:
FIFAクラブワールドカップ
決勝戦会場

2000
次代:
横浜国際総合競技場
横浜