エステルゴム
エステルゴム(Esztergom, スロバキア語 Ostrihom, ドイツ語 Gran, ラテン語 Strigonia)は、ハンガリー北部にある、ブダペストから40km北西に位置する都市である。コマーロム・エステルゴム県の首都。人口はおよそ3万人。市内にハンガリー・カトリック教会の総本山の大聖堂があることで知られる。また、実質的にはブダペストに施設を置くハンガリー憲法裁判所は、名目的にはエステルゴムに設置されていることになっている。
エステルゴム Esztergom | |||||
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座標 : 北緯47度47分8秒 東経18度44分25秒 / 北緯47.78556度 東経18.74028度 | |||||
歴史 | |||||
最初に文献に登場した年 | 972年頃 | ||||
行政 | |||||
国 | ![]() | ||||
県 | ![]() | ||||
エステルゴム | |||||
市長 | Tétényi Éva | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
域 | 100.35 km2 | ||||
標高 | 105 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2008年現在) | ||||
域 | 30,523人 | ||||
人口密度 | 304人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
公式ウェブサイト : [1] |
地勢編集
ドナウ川右岸沿いに位置する。対岸はスロヴァキア領であり、橋を越えて移動することが可能である。ドナウ対岸のスロヴァキア領シュトゥーロヴォ(パールカーニ Štúrovo/Párkány)とエステルゴムを結ぶ、マーリア・ヴァレーリア橋は第二次世界大戦中の1944年にドイツ軍に破壊され残骸のままであったが、2001年に復旧工事が終了し[1]、現在は徒歩で渡っていけるようになった。1990年より、日本の自動車会社スズキ(マジャールスズキ)がエステルゴムに進出している。
歴史編集
エステルゴムは、ハンガリーのなかでも最も歴史のある街の1つであり、その起源はローマ帝国の時代にまでさかのぼる。都市名はゲルマン語オステルリングム (Osterringum) に由来する。
1000年頃、神聖ローマ皇帝オットー3世の同意のもと、ローマ教皇のシルウェステル2世からこの地の大聖堂で戴冠され、イシュトヴァーン1世が正式にハンガリー王となった。歴代のアールパード朝の王は、この都市を王国支配の拠点とした。
大聖堂は、オスマン帝国の襲撃によって一度破壊されたが、19世紀に再建された。フランツ・リストはその再建した大聖堂のこけら落としのために「グランのバジリカ落成のためのミサ・ソレムニス」(Missa solennis zur Einweihung der Basilika in Gran)を作曲している。
姉妹都市編集
出身者編集
- ハイナル・タマーシュ:サッカー選手
- イシュトヴァーン一世:ハンガリー王
脚注編集
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年8月12日閲覧。
外部リンク編集
この記事は、主にde:Esztergom rev. 20:42, 9. Mär 2005 と en:Esztergom rev. 16:51, 22 Jan 2005 からの翻訳と、日本語版独自の加筆で構成されています。