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エドウィン・マートンEdvin Marton, 本名: Lajos Csűry Edvin, 1974年2月17日 - )は、ハンガリー作曲家ヴァイオリニスト。「マルトン」の表記もある。ブダペスト在住。

エフゲニー・プルシェンコステファン・ランビエールなど多くのフィギュアスケート選手に楽曲を提供していることでも知られる。

略歴編集

1974年、ハンガリー人の音楽家の両親のもとに生まれる。
両親の仕事の都合で欧米のウクライナのTiszaujlakで生誕した。

身長:約180cm
家族:(妻)ミスコン優勝者のAdrienn Gombosi(長男)Maxim
自宅:ハンガリーのブダペストとモナコのモンテカルロにそれぞれ所有している。
操る言語:ハンガリー語、ウクライナ語、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語イタリア語を少々。

2003年に祖母イロナ・マートンの苗字を名乗り、芸能活動名をエドウィン・マートンに改めた。


ヴァイオリンについての略歴編集

5歳の誕生日プレゼントで貰った30cmのヴァイオリンを始める。音楽家である両親に師事しヴァイオリンを学んだ。

1983年から1990年
8歳で親元を離れ名門モスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学。寄宿舎で生活しながらEugenia Tchougaevaに師事。12歳の時モスクワ交響楽団と最初のコンサートを行う。

1990年から1997年
17歳でブダペストリスト音楽院に入学、ゲザ・カパシュ(Geza Kapas)の指導を受ける。

ルッジェーロ・リッチのマスタークラスに参加し、best participant賞を獲得。また、同じくリッチによるベルリンでのInternational Course Competitionではグランプリを獲得。

1993年、ハンガリーのNational Philharmonic Concert Agencyでヤングソリスト(young soloist)に選出される。その後、ハンガリーにおける主なオーケストラのほとんど全てで演奏を行い、オーストリアイタリアドイツスイスなどでもコンサートを実施。

1994年5月、国際的に著名なヴァイオリニストドロシー・ディレイが彼をアメリカ合衆国コロラド州で開催されたアスペンミュージックフェスト(w:Aspen Music Festival)に招待し、そこでスリランカの名ピアニストロハン・デ・シルヴァ(w:Rohan de Silva)と競演した。

その後、ニューヨークで奨学金を獲得、ジュリアード音楽院のドロシー・ディレイのクラスに入る。

1996年カナダモントリオールで行われたコンクールに勝利し、スイス銀行から1697年に製造されニコロ・パガニーニが生前実際に使用していたストラディバリウス(名称不明)の生涯貸与を受けた[1]。約4億円相当とも言われている。 このストラディバリウスの名称は不明だが、エドウィン本人はストラディバリウスのことを彼女と呼び、"Cunci"と呼称している。 その他にも合計16本のヴァイオリンを所有(もしくは貸与)している。


趣向等編集

【車】ポルシェカレラカブリオレが好き。
以前、雨の日に日産フェアレディZロードスターを時速120kmで運転していて、事故を起こしそうになったことがある。[1]

脚注編集