エドマンド・デュラック
エドマンド・デュラック(Edmund Dulac、1882年10月22日 - 1953年5月25日)は、フランス出身のイギリスの挿絵画家。いわゆる「挿絵の黄金時代」(20世紀の第1四半期頃)にイギリスで活躍した。本名エドモン・デュラック(Edmond Dulac)。トゥールーズ生まれ。
エドマンド・デュラック Edmund Dulac | |
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生誕 | 1882年10月22日![]() |
死没 | 1953年5月25日![]() |
出身校 | エコール・デ・ボザール アカデミー・ジュリアン |
運動・動向 | オリエンタリズム |

生涯編集
生い立ち編集
フランス、トゥールーズ生まれ。トゥールーズ大学で法学を学ぶが、中退し、エコール・デ・ボザールに通う。1903年には奨学金を得てパリのアカデミー・ジュリアンに通うも、パリやアカデミー・ジュリアンに幻滅し、3週間でトゥールーズに帰郷した。1904年、挿絵の仕事をするためにロンドンに渡り、以後生涯をロンドンで過ごした。
挿絵の黄金時代編集
22歳でJ・M・デント社のブロンテ姉妹全集の挿絵画家に抜擢される。1907年、ハイネマン社に移ったアーサー・ラッカムの後任としてホッダー・アンド・スタウトン社の挿絵画家となる。この頃には年に一冊ほど挿絵本が出版され、レスター画廊で原画が展示された。挿絵を担当した本には『アラビアン・ナイト』(1907年)、『テンペスト』(1908年)、『ルバイヤート』(1909年)、『眠り姫』(1910年)、『アンデルセン童話集』(1911年)、エドガー・アラン・ポーの『鐘』(1912年)などがある。第一次世界大戦中には『フランス赤十字社のためのエドマンド・デュラックの絵本』(1915年)などを無償で執筆、描画し、本の収益を戦争の義捐金に当てた。
第一次世界大戦後から晩年まで編集
第一次世界大戦後は豪華な挿絵本は稀なものになり、代わりに新聞の風刺漫画、肖像画、舞台衣装、セット・デザイン、蔵書票、チョコレート箱、メダルなど、幅広い分野で活動するようになる。
晩年はイギリスにおける郵便切手や預金通帳のデザインの第一人者となっており、第二次世界大戦中はド・ゴールの依頼により、自由フランス(亡命政府)の紙幣、郵便切手のすべてをデザインした。
主な文献編集
- 『神秘なる挿絵画家 エドマンド・デュラック』海野弘解説、マール社、2011年
- 『挿絵画家 エドマンド・デュラックの世界』平松洋監修、角川書店・ビジュアル選書、2014年
- 『図説「千夜一夜物語」』A・J・ルスコーニ編、谷口伊兵衛訳、而立書房、2015年