エミール・シャルル・マリー・スナール(Émile Charles Marie Senart、1847年3月26日 - 1928年2月21日)は、フランスインド学者。インドの碑文・古文書や仏教の研究で知られる。

エミール・シャルル・マリー・スナール
人物情報
生誕 (1847-03-26) 1847年3月26日
フランスの旗 フランスランス
死没 1928年3月26日(1928-03-26)(81歳)
学問
研究分野 東洋学(インド学)
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略歴 編集

スナールはランスに生まれた[1]。地元のリセを卒業した後、3年間ドイツのミュンヘン大学ゲッティンゲン大学文献学を学んだ。ゲッティンゲンではテーオドール・ベンファイに学んだ[1]。帰国後、1868年にアジア協会の会員となり、1890年に副会長、1908年以降没するまで会長をつとめた。1882年に碑文・文芸アカデミーの会員に選ばれた[2]

1887年から翌年にかけてインドに渡り、新出のアショーカ王碑文ガンダーラ語で書かれたもの)について調査した[3]

1923年にオックスフォード大学はスナールに名誉博士号を贈った[4]。1928年にパリで没した。

主要な著書 編集

翻訳書に『バガヴァッド・ギーター』と『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』がある。

日本語訳された著書 編集

インドのカーストに関する著書は日本語に翻訳されている。

批判 編集

仏陀の伝記を太陽神話とする説は、ヘルマン・オルデンベルク『仏陀』(1881)の中で詳しく批判されている。

参考文献 編集

外部リンク 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Finot (1928) p.335
  2. ^ Senart, Émile, Académie des Inscriptions et Belles-Lettres, http://www.aibl.fr/societe-asiatique/histoire/membres-illustres-de-la-societe/article/senart?lang=fr 
  3. ^ Finot (1928) pp.339-340
  4. ^ Thomas (1928) p.760