エリクトニオス
エリクトニオス(古希: Ἐριχθόνιος, Erichthonios)は、ギリシア神話の人物である。有名な人物が2人知られており、
がいる。以下に説明する。
アテーナイの王編集
この人物はアテーナイの神話的な王である。父は鍛冶神ヘーパイストスで、母は女神アテーナーとも[1]、大地(ガイア)とも[2][3][4]、あるいはアテーナイ王クラナオスの娘アッティスであるとも言われる[1]。水のニュンペーのプラークテシアーとの間にパンディーオーンをもうけた[1]。初代アテーナイ王ケクロプスと同じく上半身が人間で下半身が蛇だったといわれる。
誕生編集
神話によるとアテーナーはヘーパイストスの工房に武器を鍛えてもらおうとやって来たが、その頃ヘーパイストスは妻のアプロディーテーにすっかり相手にされなくなっていたので、女神に欲情して迫ったが、アテーナーは拒んで逃げた。ヘーパイストスは不自由な足でアテーナーを追いかけた末に、女神の足に射精した。女神が精液を羊毛でふき取って大地に捨てると、大地は身ごもって1人の赤子エリクトニオスを生んだ[1]。
別の話によると、ヘーパイストスは母ヘーラーが醜い自分を天から地上に投げ捨てたことをうらんでいたので、神々の椅子を作ったときヘーラーの椅子に罠をしかけておいた。そのためヘーラーが椅子に座るとヘーラーは縛り上げられて、天から宙吊りにされてしまった。ヘーパイストスはオリュンポスに連れてこられ、母を解放するかわりにどんな物でも得ることを要求し、認められた。それを見たポセイドーンはアテーナーと敵対していたので、ヘーパイストスにアテーナーを妻とするよう助言した。そこでヘーパイストスはアテーナーを得て、女神の部屋を訪れたが、アテーナーが拒んだので格闘になり、ヘーパイストスの精液は大地に落ち、そこからエリクトニオスが生まれたという[5]。
ケクロプスの娘たち編集
アテーナーはこの子供を不死にしようと考え、1匹(あるいは2匹[6])の大蛇とともに箱の中に入れ、アテーナイ王ケクロプスの娘たち(パンドロソス、ヘルセー、アグラウロス)に預けた。ところがヘルセーとアグラウロスは「中を見ないように」という女神の言いつけを破って箱を開き、大蛇によって殺された。あるいはアテーナーの怒りによって[1]、またあるいはエリクトニオスを見たことによって気が狂い、アクロポリスから身を投げて死んだ[7]。悲劇詩人エウリーピデースは『イオーン』の中で、エレクテウスの子孫はエリクトニオスの故事にちなんで、黄金の蛇を護符として赤子に持たせたと述べている[8]。
その後、エリクトニオスはアテーナーによって育てられ、アムピクテュオーンを追放して自ら王となり[1][4]、アクロポリスにアテーナーの木像を置いて、パンアテーナイア祭を創始した[1]。また馬を最初に軛につないだとされ[9]、スキタイの王インドスが発見した銀をアテーナイにもたらしたとも伝えられている[10]。
系図編集
ギャラリー編集
ピーテル・パウル・ルーベンス『ケクロプスの娘たちによって発見されたエリクトニオス』1616年頃 リヒテンシュタイン美術館所蔵
ヤーコブ・ヨルダーンス『ケクロプスの娘たちによって発見されたエリクトニオス』1617年 アントワープ王立美術館所蔵
ヤーコブ・ヨルダーンス『エリクトニオスを発見したケクロプスの娘たち』1640年 美術史美術館所蔵
ウィレム・ヴァン・エルプ『ケクロプスの娘たちによって発見された幼いエリクトニオス』1650年頃 個人蔵
トロイアの王編集
この人物はトロイアの王で、ダルダノスとテウクロスの娘バテイアの子、イーロスと兄弟。河神シモエイスの娘アステュオケーとの間に、トロイアの名祖であるトロースをもうけた[11]。一説にはガニュメーデースの父[12]。
『イーリアス』によると、エリクトニオスは大変裕福で、3000頭の牝馬を持っていたが、北風神ボレアースが牡馬の姿となって交わり、12頭の優れた馬が生まれた。この馬たちは田畑を荒らすことなく穀物の上を飛び跳ねたり、また海上を自由に走ることが出来たという[13]。
系図編集
脚注編集
参考文献編集
研究案内編集
- B.Powell,Erichthonius and tha Three Daugthers of Cecrops,Cornell Studies of Classical Philology,1906