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エリザベス・スマイリー

エリザベス・スマイリー(Elizabeth Smylie, 1963年4月11日 - )は、オーストラリアパース出身の元女子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られている。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス5位。WTAツアーでシングルスは3勝と少ないが、ダブルスで35勝を挙げた。フルネームはエリザベス・セイヤーズ・スマイリー(Elizabeth Sayers Smylie)という。旧姓エリザベス・セイヤーズ(Elizabeth Sayers)というが、コーチのピーター・スマイリー(Peter Smylie)との結婚後は夫の姓だけを使用して「エリザベス・スマイリー」と名乗った。リズ(Liz)という愛称で親しまれ、リズ・スマイリーと呼ばれることも多かった。

エリザベス・スマイリー
Elizabeth Smylie
Tennis pictogram.svg
基本情報
フルネーム Elizabeth Sayers Smylie
愛称 リズ
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・パース
生年月日 (1963-04-11) 1963年4月11日(56歳)
身長 170cm
体重 58kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1980年
引退年 1997年
ツアー通算 38勝
シングルス 3勝
ダブルス 35勝
生涯通算成績 664勝428敗
シングルス 181勝213敗
ダブルス 483勝215敗
生涯獲得賞金 1,701,837 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1987)
全仏 2回戦(1983)
全英 4回戦(1984・85)
全米 2回戦(1986・87・89)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1993)
全仏 ベスト4(1984)
全英 優勝(1985)
全米 準優勝(1987)
優勝回数 1(英1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全英 優勝(1991)
全米 優勝(1983・90)
優勝回数 3(英1・米2)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 20位
ダブルス 5位
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
1988 ソウル ダブルス

エリザベス・セイヤーズの競技経歴は、1980年末の全豪オープンから始まる。1983年全米オープン混合ダブルスで、セイヤーズは同じオーストラリアジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、ファーディ・テイガン&バーバラ・ポッター(ともにアメリカ)組を破って初優勝を飾った。その直後、9月末の「バージニアスリムズ・カンザス」大会で単複優勝を果たす。1984年11月10日にピーター・スマイリーと結婚。1985年ウィンブルドン女子ダブルス優勝は、エリザベス・スマイリーのテニス経歴を通じて最も顕著な勝利であった。この時スマイリーはアメリカキャシー・ジョーダンとペアを組み、決勝でマルチナ・ナブラチロワパム・シュライバーのペアを 5-7, 6-3, 6-4 の逆転で破ったのである。ナブラチロワとシュライバーはそれまで女子ダブルスで前人未到の「109連勝」の記録を樹立していたが、スマイリーとジョーダンがこの記録を止めた。

1987年全豪オープンでスマイリーは4大大会のシングルス自己最高記録を出し、ベスト8に進出した。当時のスマイリーはシングルスの世界ランキング82位から勝ち上がり、準々決勝で第5シードのクラウディア・コーデ=キルシュ西ドイツ)に 6-7, 6-4, 2-6 で敗れた。同年の全米オープン女子ダブルスで、スマイリー&ジョーダン組は(2年前に連勝記録を止めた)ナブラチロワ&シュライバー組に 7-5, 4-6, 2-6 で敗れて準優勝になった。1988年、スマイリーは全豪オープンの女子ダブルスでシュテフィ・グラフとペアを組んで準決勝に進み、同年のソウル五輪にもオーストラリア代表として出場した。スマイリーとウェンディ・ターンブルのペアは、準決勝でアメリカ代表のジーナ・ガリソンパム・シュライバー組に敗れた。このソウル五輪では、準決勝敗退選手(ペア)による銅メダル決定戦は行われず、両方に銅メダルが授与されたため、スマイリーとターンブルはオーストラリアにテニス女子ダブルスの銅メダルをもたらした。

エリザベス・スマイリーは1988年以後、4大大会の女子シングルスでは3回戦以上に勝ち進めなかったが、ダブルスでさらに成績を伸ばし、1990年全米オープンで7年ぶり2度目の混合ダブルス優勝を飾った。パートナーのトッド・ウッドブリッジは当時まだ19歳の若者であったが、8歳の年齢差があった2人は決勝でジム・ピューアメリカ)&ナタリア・ズベレワソ連)組を 6-4, 6-2 で破っている。1991年ウィンブルドンで、スマイリーは混合ダブルスで再びジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、前年の全米混合決勝と同じピュー&ズベレワ組を 7-6, 6-2 で破って優勝した。スマイリーにとっては、1985年の女子ダブルス優勝以来6年ぶりに獲得した2つ目のウィンブルドン・タイトルであった。

スマイリーのシングルス成績はダブルスほど目立たないが、日本の「ジャパン・オープン」で1989年1990年の2年連続シングルス準優勝がある。1989年の決勝戦では岡本久美子に、1990年カタリナ・リンドクイストスウェーデン)に敗れた。ダブルスでも日本のトーナメントに数多く出場したことから、日本にも多くのファンを持っていた。

スマイリー夫妻には長い間子供がいなかったが、1991年末にようやく妊娠が分かった。スマイリーは出産後、1992年6月から直ちに現役復帰をし、1993年全豪オープンパム・シュライバーと組んで初めての女子ダブルス決勝進出を決めた。このペアは決勝で第1シードのジジ・フェルナンデスナターシャ・ズベレワ組に 4-6, 3-6 で敗れて準優勝になった。スマイリーは1994年のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、1996年にダブルスのフルシーズンをこなし、ウィンブルドン女子ダブルスでリンダ・ワイルドアメリカ)と組んで準決勝に進出している。最後の大舞台では、スマイリーのペアはマルチナ・ヒンギスヘレナ・スコバの組に敗れた。1997年全豪オープンウィンブルドンの2大会のみに出場し、最後はどちらもパム・シュライバーと組んだ。こうしてエリザベス・スマイリーは、出産後も34歳まで現役を続行し、十数年間にわたってダブルスの第一線で活躍を続けたのである。

スマイリーは引退後も、女子テニスツアーの運営に携わった。引退の翌年、1998年からは母国オーストラリアゴールドコーストで開催されていたツアー大会「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」のトーナメント・ディレクターの職に就任し、同大会が終了となった2008年までその職務を務めた。

4大大会ダブルス優勝編集

参考文献編集

外部リンク編集