エリナー・オブ・イングランド (バル伯爵夫人)
イングランド王エドワード1世と最初の王妃エリナー・オブ・カスティルの間の娘
エリナー・オブ・イングランド(Eleanor of England, 1264/9年 - 1297/8年)は、イングランド王エドワード1世と最初の王妃エリナー・オブ・カスティルの間の娘[1]。
エリナー・オブ・イングランド Eleanor of England | |
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バル伯爵夫人 | |
家系図に描かれたエリナーの肖像 | |
出生 |
1264/9年 イングランド王国、バークシャー、ウィンザー城 |
死去 |
1297/8年 フランドル伯国、ヘント |
埋葬 | イングランド王国、ロンドン、ウェストミンスター寺院 |
配偶者 | バル伯アンリ3世 |
子女 |
エドゥアール1世 ジャンヌ エレオノール |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王エドワード1世 |
母親 | エリナー・オブ・カスティル |
生涯
編集両親にとっては四女、実質的な長女にあたる。両親が第8回十字軍に参加して1270年から1274年までイングランドを留守にしたため、幼少期は祖母の王太后エリナー・オブ・プロヴァンスの手元で養育された。アラゴン王ペドロ3世の長男アルフォンソ(3世)の許婚となったが、アラゴン王室がシャルル・ダンジューとの間でシチリア王位を争っていた関係で、父エドワード1世が娘の輿入れに難色を示した。結局、婚姻が実現しないままアルフォンソが1291年に死去した。
1293年9月29日、フランス人諸侯のバル伯アンリ3世に嫁した。この縁組はフランス王室に対するエドワード1世の牽制策の一環だった。伯爵夫妻の間には(少なくとも)3人の子女が生まれた。
- エドゥアール1世(1294年 - 1336年) - バル伯
- ジャンヌ(1295年 - 1361年) - 1306年、第7代サリー伯爵ジョン・ド・ワーレンと結婚
- エレオノール(1296年 - 1340年) - ウェールズ人領主ルウェリン・アプ・オウェイン(Llewelyn ap Owain)と結婚