エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファー (1954-)

エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファードイツ語: Ernst August von Hannover, 1954年2月26日 - )は、ハノーファー王国およびブラウンシュヴァイク公国の王族の子孫。1987年より「エルンスト・アウグスト5世」(ドイツ語: Ernst August V)としてハノーファー家の家長となっている。

エルンスト・アウグスト5世
Ernst August V
ハノーファー家

全名
称号 ハノーファー王子
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
出生 (1954-02-26) 1954年2月26日(70歳)
西ドイツの旗 西ドイツニーダーザクセン州ハノーファー
配偶者 シャンタル
  カロリーネ
子女
父親 エルンスト・アウグスト4世
母親 オルトルート
宗教 キリスト教ルーテル教会カトリック教会
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経歴 編集

1954年2月26日、ハノーファー家家長エルンスト・アウグスト(4世)とその最初の妻であったオルトルート・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク英語版の間に長男(第2子)としてハノーファーで生まれた。ハノーファー王家の男系男子としてハノーファー王子(Prinz von Hannover)とブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(Herzog zu Braunschweig und Lüneburg)の称号および殿下Königliche Hoheit)の敬称を、イギリス王ジョージ3世の男系子孫としてグレートブリテン及びアイルランド王子(Prince of Great Britain and Ireland)の称号を持つ。これらの称号や敬称はドイツイギリスアイルランドのいずれの法律にも現在は根拠がないものの伝統的に認められており、またモナコ国内においては公式に用いられている。

子女 編集

これまでに2度結婚している。最初の妻はスイス人のシャンタル・ホフリポルトガル語版で、式は民事婚が1981年8月28日ニーダーザクセン州ハノーファー広域連合パッテンゼンで、宗教婚が同年8月30日にハノーファーのマリエンブルク城英語版で行われた。シャンタルとの間には以下の2男を儲けたが、1997年10月23日に離婚した。

2人目の妻はモナコレーニエ3世の長女カロリーヌ(ドイツ語名カロリーネ)で、式は1999年1月23日にモナコで行われた。この結婚に先立ち、エルンスト・アウグストはイギリスにおいて婚姻が無効となるのを避けるために1772年王族婚姻法英語版に基づく勅許をエリザベス2世に求めた[1]。カロリーネとの間には以下の1女を儲けている。

脚注 編集

  1. ^ この再婚に際して、カトリックに改宗したためイギリスの王位継承権を失っている(息子たちは改宗していないため王位継承権を保持している)。

外部リンク 編集

先代
エルンスト・アウグスト(4世)
ハノーファー家家長
1987年 -
次代
-