エレオノーラ・ゴンザーガ
エレオノーラ・ゴンザーガ(Eleonora Gonzaga, 1598年9月23日 - 1655年6月27日)は、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の2度目の妻で皇后。
エレオノーラ・ゴンザーガ Eleonora Gonzaga | |
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神聖ローマ皇后 | |
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別称号 |
ボヘミア王妃 ハンガリー王妃 |
出生 |
1598年9月23日 マントヴァ公国、マントヴァ |
死去 |
1655年6月27日(56歳没) 神聖ローマ帝国 チロル伯領、インスブルック |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、シュテファン大聖堂 |
結婚 | 1622年2月2日 インスブルック |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝フェルディナント2世 |
家名 | ゴンザーガ家 |
父親 | マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世 |
母親 | エレオノーラ・デ・メディチ |
生涯
編集ゴンザーガ家の出身で、マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世とエレオノーラ・デ・メディチの末子として生まれる。当時、きわだった美しさで有名な女性だった。
1622年に皇帝フェルディナント2世と結婚した。エレオノーラの父方の祖母エレオノーラおよび母方の祖母ジョヴァンナ、フェルディナントの父カールおよび母方の祖母アンナのいずれもが、皇帝フェルディナント1世の子女という関係であった。また、夫の伯父かつエレオノーラの大伯父にあたるオーストリア=チロル大公フェルディナント2世の妃アンナ・カテリーナ・ゴンザーガは、エレオノーラの叔母であったが、前年の1621年に死去していた。
2人の間に子は生まれなかった。
エレオノーラはグラーツとウィーンにカルメル会の施設を建てた。
1637年に夫フェルディナント1世と死別した。
フェルディナント1世と最初の妃マリア・アンナ・フォン・バイエルンの子のフェルディナント3世が1651年に3度目の皇后としたエレオノーラ・マグダレーナ・ゴンザーガは、エレオノーラの兄マントヴァ公フランチェスコ4世の孫にあたる。この姪孫との区別のため、エレオノーラはÄltere(ドイツ語で「年長の」)と呼ばれた。
1655年にインスブルックで死去した。
系図
編集神聖ローマ皇帝 フェルディナント1世 | アンナ・ヤギエロ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マントヴァ公 グリエルモ・ゴンザーガ | エレオノーラ | トスカーナ大公 フランチェスコ1世・デ・メディチ | ジョヴァンナ | アンナ | バイエルン公 アルブレヒト5世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前方オーストリア大公 フェルディナント2世 | アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ | マントヴァ公 ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ | エレオノーラ | 内オーストリア大公 カール2世 | マリア・アンナ | バイエルン公 ヴィルヘルム5世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マントヴァ公 フランチェスコ4世・ゴンザーガ | エレオノーラ・ゴンザーガ | 神聖ローマ皇帝 フェルディナント2世 | マリア・アンナ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア・ゴンザーガ | カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エレオノーラ・マグダレーナ・ゴンザーガ | 神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||