エレバン

アルメニア共和国の首都

エレバンアルメニア語: Երևան、Yerevan [jɛɾɛˈvɑn] ( 音声ファイル))は、アルメニア共和国首都である[1]イェレヴァンエリバン(Erivan)、エレブニ(Erebuni)、エレウン(Ereun)と呼ばれていたこともある。「Erewan」、「Ayrivan」、「Erevan」などの表記も見られる。ロシア語ではかつて"Эривань"(エリヴァニ)と表記されていたが、1930年代頃から原音に近い"Ереван"(イェレヴァン)と綴られるようになった[2]

エレバン
Երևան
Yerevan
Yerevan coll. 2015.jpg
エレバンの市旗 エレバンの市章
市旗 市章
位置
エレバンの位置の位置図
エレバンの位置
位置
エレバンの位置(アルメニア内)
エレバン
エレバン
エレバン (アルメニア)
エレバンの位置(コーカサス山脈内)
エレバン
エレバン
エレバン (コーカサス山脈)
エレバンの位置(西南アジア内)
エレバン
エレバン
エレバン (西南アジア)
エレバンの位置(アジア内)
エレバン
エレバン
エレバン (アジア)
座標 : 北緯40度9分33秒 東経44度30分33秒 / 北緯40.15917度 東経44.50917度 / 40.15917; 44.50917
行政
アルメニアの旗 アルメニア
 市 エレバン
市長 Hayk Marutyan (2018年10月13日 - )
地理
面積  
  市域 227 km2 (87.6 mi2)
標高 989.4 m (3,246 ft)
人口
人口 (2007年現在)
  市域 1,107,800人
    人口密度   5,196.4人/km2(13,458.6人/mi2
その他
等時帯 アルメニア時間 (UTC+4)
公式ウェブサイト : http://www.yerevan.am/

人口約106万人(2004年)。機械製造や金属業、ワインブランデー製造、たばこ製造業が盛ん。フラズダン川が市内を流れる。南にアララト山を臨む。現存する世界最古の都市の一つとされており、また創世記に語られている「エデンの園」が存在していたという伝承のある地でもある。

歴史編集

紀元前8世紀ごろにはすでにウラルトゥエレブニ要塞アルギシュティ1世によって、北カフカースからの攻撃に備え、この地に築かれていた。紀元前4世紀までにはアケメネス朝のアルメニア・サトラップの主要な町になっていた。ヨーロッパと中央アジア、インドを結ぶ交易路の中継地であったため、658年アラブによって征服される。その後、アルメニア人のバグラト朝の中枢として栄える。1387年ティムールによる包囲、略奪に遭う。イルハン朝の中心都市の一つともなる。

 
1672年のエレバン

以後、オスマン帝国サファヴィー朝の角逐の場となっていく。1604年にはアッバース1世の命により、多くの市民がペルシアに連れ去られた。1679年には大地震に見舞われた。サファヴィー朝では、エレバン・ハン国に編入される。1827年第二次ロシア・ペルシア戦争においてロシア帝国ガージャール朝を撃破し、1828年のトルコマンチャーイ条約でロシア領となった。その後、エレバンには多くのアルメニア人がペルシアから帰還してくる。1854年以降、都市計画がなされ、多くの大学が設立され、ギュムリトビリシアゼルバイジャン方面への鉄道建設がなされた。

ロシア帝国が崩壊すると、1918年、中世以来の独立国家となったアルメニア共和国において、エレバンは首都となった。1920年にアルメニアが共産化し、1922年ソビエト連邦構成共和国を構成する共和国の一つとしてアルメニア・ソビエト社会主義共和国が誕生した際にも、エレバンはその首都となり続けていた。エレバンはアルメニア人建築家アレクサンドル・タマニアンの都市計画に基づき、近代都市へと作り変えられていった。1965年アルメニア人虐殺50周年を巡るエレバンでの抗議運動は、ソ連における最初の大規模な反ソ運動へと発展した。1966年に市内のツィツェルナカベルトに虐殺の追悼碑が建立された。

1991年9月21日、ソ連崩壊に伴ってアルメニア共和国が独立を宣言した後も、エレバンは首都であり続けている。

地勢編集

標高1,000m程で、アララト平野の南東に位置する。三方を山に囲まれ、南はフラズダン川に向かって下降している。フラズダン川が市を2つに分けている。

 
エレバン市街とアララト山

気候編集

ケッペンの気候区分では湿潤大陸性気候に属する。内陸で盆地的な地形から夏は極めて暑く、40°C近くまで上がることもある。一方、冬季は寒さが厳しく、-15 °C以下になることも多い。積雪も多く、近郊の山々はスキー場となる。

エレバンの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 19.5
(67.1)
19.6
(67.3)
26.0
(78.8)
35.0
(95)
34.2
(93.6)
38.6
(101.5)
41.6
(106.9)
41.8
(107.2)
40.0
(104)
34.1
(93.4)
28.5
(83.3)
18.1
(64.6)
41.8
(107.2)
平均最高気温 °C (°F) 0.6
(33.1)
3.7
(38.7)
11.7
(53.1)
19.5
(67.1)
24.3
(75.7)
29.6
(85.3)
34.0
(93.2)
33.0
(91.4)
29.0
(84.2)
20.7
(69.3)
12.1
(53.8)
4.5
(40.1)
18.5
(65.3)
日平均気温 °C (°F) −4.1
(24.6)
−1.3
(29.7)
5.6
(42.1)
12.9
(55.2)
17.2
(63)
22.0
(71.6)
26.2
(79.2)
25.3
(77.5)
21.1
(70)
13.2
(55.8)
6.0
(42.8)
−0.2
(31.6)
12.0
(53.6)
平均最低気温 °C (°F) −7.8
(18)
−5.3
(22.5)
0.3
(32.5)
6.9
(44.4)
10.8
(51.4)
14.7
(58.5)
18.8
(65.8)
17.8
(64)
13.3
(55.9)
7.0
(44.6)
1.4
(34.5)
−3.6
(25.5)
6.2
(43.2)
最低気温記録 °C (°F) −27.6
(−17.7)
−26
(−15)
−19.1
(−2.4)
−6.8
(19.8)
−0.6
(30.9)
3.7
(38.7)
7.5
(45.5)
7.9
(46.2)
0.1
(32.2)
−6.5
(20.3)
−14.4
(6.1)
−27.1
(−16.8)
−27.6
(−17.7)
降水量 mm (inch) 22
(0.87)
25
(0.98)
30
(1.18)
37
(1.46)
44
(1.73)
21
(0.83)
9
(0.35)
8
(0.31)
8
(0.31)
27
(1.06)
23
(0.91)
23
(0.91)
277
(10.91)
平均降水日数 (≥ 92) 9 9 8 11 13 8 5 3 4 7 7 8 92
平均月間日照時間 93.0 113.1 161.2 177.0 241.8 297.0 344.1 331.7 279.0 210.8 138.0 93.0 2,479.7
出典: World Meteorological Organisation (UN),[3][4]

民族構成編集

ソ連時代は、ロシア人クルド人アゼリー人イラン人も多く居住していたが、1988年ナゴルノ・カラバフ戦争でアゼリー人の人口は消滅し、アルメニア人と入れ替わった。ロシア人の多くも1990年代の経済不況でエレバンを離れた。従って、住民の多くはアルメニア人となったが、ヨーロッパや北米への移民流出が続き、人口は減り続けた。人口が増加に転じたのは、2007年以降である。

経済編集

アルメニアのGDPの過半はエレバンが生み出す。1990年以降、深刻な経済不況が続いているが、石油化学産業、アルミニウム産業等が盛んである。水力発電も盛んである。ワインブランデー(アルメニアン・コニャック)の生産でも名高い。

文化編集

教育編集

高等教育機関編集

交通編集

ズヴァルトノッツ国際空港
エレバンの西10kmのズヴァルトノッツに位置する国際空港。アルマヴィアの本拠地である。2004年から拡張工事が開始され、新国際線ターミナルは2007年に完成した。もう一つの新ターミナルは2011年に完成。
エレバン駅(サスンティダヴィト駅)
南カフカース鉄道(旧アルメニア国鉄)の鉄道駅である。国際列車は現在、政治的理由からトルコやアゼルバイジャンへは運行されていない。唯一の国際列車はグルジアトビリシ行きである。イラン方面もエレバンからの路線はない。
バス
市の中心部の広場から、トビリシやイランのタブリーズテヘラン行きの長距離バスも出ている。
市内交通
エレバン地下鉄が1路線(13.4 km。10駅)ある。旧ソ連式の豪華な駅舎である。トロリーバスの路線が市内に24路線張り巡らされている。20世紀初頭から運行されてきたエレバン市電は2004年に廃止された。

エレバン出身の人物編集

姉妹都市編集

現在、エレバンは25の姉妹都市を有している:

ギャラリー編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年6月24日閲覧。
  2. ^ ア・イ・ミコヤン『ミコヤン回想録1 バクー・コンミューン時代』小川政邦、上田律訳、河出書房新社、1973年、87頁。
  3. ^ Pogoda.ru.net”. 2012年3月20日04:45(UTC)以前閲覧。
  4. ^ "Climatological Information for Yerevan, Armenia" - pogoda.ru.net

関連項目編集

外部リンク編集