エレファントジョン

かつての日本のお笑いコンビ

エレファントジョンは、かつてプロダクション人力舎で活動していたお笑いコンビ。略称は「エレジョン」。2004年4月1日結成。2017年3月29日解散。

エレファントジョン
メンバー 加藤憲
ガッテン森枝
別名 エレジョン
結成年 2004年
解散年 2017年
事務所 プロダクション人力舎
活動時期 2004年4月1日 - 2017年3月29日
2019年4月26日
出身 スクールJCA7期
出会い スクールJCA
旧コンビ名 チャップメン(加藤)
アメデオ(森枝)
現在の活動状況 解散(加藤は別トリオで活動、ガッテンは構成作家に転身)
芸種 漫才
ネタ作成者 両者
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
オンバト+
エレファントJoyToy
など
同期 千鳥
天津
レギュラー
ロバート
森三中
インパルス
椿鬼奴
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2008年 第7回漫才新人大賞 優秀賞
2010年 第9回漫才新人大賞 大賞
2014年 THE MANZAI 決勝進出
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メンバー 編集

加藤 憲(かとう けん、 (1976-12-27) 1976年12月27日(47歳) - )ツッコミ担当。立ち位置は右。

ガッテン森枝(がってん もりえだ、本名:森枝 天平(もりえだ てんぺい)、 (1978-06-02) 1978年6月2日(45歳) - )ボケ担当。立ち位置は左。

  • 元「アメデオ」のメンバー(相方は現・鬼ヶ島のおおかわら)。
  • 群馬県高崎市出身。O型。身長171cm。
  • 既婚で息子が二人おり家計を助けるために朝4時からアルバイトに出かけ、嫁の実家に同居している。[5]
  • メガネをかけているがレンズは入っていない伊達である(結成初期はかけていなかった)。
  • 左手を右ひじに添え、右手の人差し指を立てて「ガッテンガッテン」という持ちギャグがあり、漫才でも多く使われている。なお、このポーズは森枝の引退以降、後輩の真空ジェシカ川北や吉住が決めポーズとして使用することがある。
  • ガッツ藤枝」という芸名で活動することもある。
  • 賞レース結果が思ったほど奮わず家族のこれからを考え、芸人引退を切り出したことでコンビは解散。その後は構成作家に転身し、プロダクション人力舎のライブ制作・スクールJCAの講師・たかまつななが設立した会社「株式会社 笑下村塾」のスタッフとして活動している[6]。2020年11月5日『東京03の好きにさせるかッ!』(NHKラジオ第1)で、番組スタッフとして働いていることが紹介されトークにも参加した[7]

概要 編集

  • 2004年4月1日にコンビ結成・初舞台。コンビ名については加藤が「エレファントマン」という名前を付けたかったのだが、「エレファントマン」が以前のコンビ名「チャップメン」を連想させるので避けたかった。二人ともイメージ的に怖いのでかわいい名前がいいと考えてもなかなか決まらず、今日中に決めたいと粘っていたところ横にいた柴田英嗣アンタッチャブル)が「ごきげんジョンってのはどうだい」と提案したところからアイデアをもらって「エレファントジョン」となった。
    • エレファントジョンが定期開催していたトークライブの名前は「ごきげんジョン」であった。また、2010年の漫才新人大賞で大賞受賞時にコンビ名を「エレファントマン」と間違えて呼ばれたことがある。
  • THE MANZAI2012の認定漫才師50組に選ばれる。
  • THE MANZAI2013の認定漫才師50組に選ばれる。
  • THE MANZAI2014の認定漫才師50組に選ばれ、サーキットランキング9位で決勝に進出する。
  • 「爆笑オンエアバトル」に出場し始めたのは2005年度からだが、お互い「エレファントジョン」結成前の別々のコンビで活動していた時から既に「オンバト」には出場経験があり(加藤は「チャップメン」、森枝は「アメデオ」。森枝はアメデオとエレファントジョンの両方でチャンピオン大会に出場経験がある。)、その時の出場回数に更に「エレファントジョン」としての出場回数を加えると加藤は25回、森枝は32回出場していることになる。[8]更に非公式ながら後継番組の「オンバト+」の出場回数も含めれば加藤は43回、森枝に至っては実に50回も挑戦していることになり、森枝に関しては「爆笑オンエアバトル」の個人での最多出演者である豊本明長飯塚悟志(1999年度から2002年度まではアルファルファとして、2003年度から2008年度までは東京03として出場)の記録(46回)をも上回っていることになる[9]
    • 上述のように加藤と森枝は「エレファントジョン」結成前に活動していたコンビの時から「オンバト」に出場しており、これらの時代を含めれば「オンバト」から後継番組の「オンバト+」まで、総合で約13年半もの間[10]出演し続けたことになる。「爆笑オンエアバトル」開始当初から出場し続けた挑戦者が「オンバト+」にも出場し続けたのは極めて珍しい例である[11]
  • 2017年3月29日のトークライブを最後に解散。
  • 解散から2年後の2019年4月26日、森枝の出身地である群馬県内のレストランで行われたライブ『カリーノお笑いライブvol.15』にて漫才を披露、1日限りの復活を果たした[12]

特徴 編集

  • 主に漫才。
  • 2010年頃から加藤が進める話を森枝が邪魔をするというスタイルのネタを披露しており、その年のM-1グランプリでは初めて3回戦を突破した。
  • 漫才の序盤によく森枝の無茶振りに対して加藤がノリツッコミをし、「やらすんじゃないよ」と言った後に今度は森枝がそれにかぶせたボケをして「やらすんじゃないよ」と言うくだりがある。
  • 衣装は加藤が赤のジャージ(上)、森枝が白いシャツに緑のズボン。夏場は、加藤は赤いポロシャツや半袖シャツを、ガッテンは白い半袖シャツを着たりする。
  • 森枝は息子がいることをアピールすることが多く、息子の写真をネタ中に出すこともある。あらびき団ではこの部分を強調したネタを披露した(このネタを見た東野幸治の感想は「子供出したら出れるみたいな…」)。

受賞歴 編集

  • 2008年 第7回漫才新人大賞 優秀賞受賞
  • 2010年 第9回漫才新人大賞 大賞受賞

出演 編集

過去 編集

脚注 編集

  1. ^ ケン・カトウが鈴木奈都とコンビ結成、人力舎から太田プロへ移籍”. お笑いナタリー (2018年5月1日). 2018年5月2日閲覧。
  2. ^ ご報告 3人体制になり、ようやく新しいトリオ名が決まりました”. 稲垣社長(キングヴィオラ)公式Twitter (2021年6月1日). 2021年6月1日閲覧。
  3. ^ 【窓を開けて大きな声で拡散希望】かねてより懸案の我々のトリオ名が『キングヴィオラ』になりました”. 中垣塾長(キングヴィオラ)公式Twitter (2021年6月1日). 2021年6月1日閲覧。
  4. ^ 加藤憲 | DDTプロレスリング公式サイト
  5. ^ 「THE MANZAI2014」のファイナリスト紹介VTRで紹介されている。
  6. ^ 株式会社 笑下村塾オフィシャルサイト(2018年5月3日閲覧)
  7. ^ 東京03「リーダーは東京若手芸人の“親戚のおじさん”」、ガッテン森枝も登場しラママ語る お笑いナタリー(2020年11月5日)
  8. ^ 公式の最多出場記録は同じく32回出場の号泣であり、こちらは同グループでの出場回数である。
  9. ^ 東京03は「オンバト+」には出場経験がない。
  10. ^ 加藤の初出場回は2000年9月30日放送回(チャップメン時代)、森枝の初出場回は2000年7月22日放送回(アメデオ時代)であり、どちらも2000年度からほぼ毎年出場し続けていた(ただし、どちらも2004年度のみ出場経験がない)。
  11. ^ 同じくこの例に当てはまる芸人が、奇しくも加藤と森枝のかつての相方が在籍するグループ・鬼ヶ島のメンバー(アイアム野田、おおかわら、和田貴志)である。
  12. ^ ガッテンガッテン!エレファントジョンが1日限りの復活果たす”. お笑いナタリー (2019年4月27日). 2019年4月28日閲覧。
  13. ^ 唯一チャンピオン大会に出場した2006年度は年間3勝目までは全て450KB以上と好調であったが、年間4勝目を狙った2007年2月9日放送回では357KBと伸び悩んでしまったもののギリギリ20位となりチャンピオン大会に出場出来ている(年間KBは1752KBであり、21位は共に1696KBを記録したオキシジェンストリーク)。また、翌年度の2007年度は年間3勝目までの合計KBが低く、年間4勝目を狙った2008年2月15日放送回で高得点を狙ったが、365KBと伸び悩み、結果彼らは年間4勝目を達成したものの、この時点で年間ランキング21位以下が確定してしまった。

外部リンク 編集