エンツォ (サルデーニャ王)

エンツォ(Enzo もしくはEnzio、1220年?[1]/25年?[2] - 1272年3月14日[1])は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の庶子で、ハインリヒ7世コンラート4世の異母弟、アンティオキア公フリードリヒ3世、マンフレーディの異母兄。

エンツォ
Enzo
サルデーニャ王
ボローニャによって投獄されるエンツォ
在位 1238年 - 1249年

出生 1220/25年
死去 1272年3月14日
ボローニャ
埋葬 ボローニャ、サン・ドメニコ教会
配偶者 アデラシア・ディ・トッレ
家名 ホーエンシュタウフェン家
父親 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世
母親 アデライデ
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父と同じ鷹匠であったため[3]、あるいは勇気と行動力を称えられて[4]、若鷹(ファルコネッロ、Falconello)と呼ばれた。フリードリヒ2世の子供たちの中で最も父に似た容姿であると言われ、フリードリヒ自身もエンツォが自分と瓜二つであると述べた[4]

北イタリアでのゲルフとギベリンの抗争においてギベリンの指導者の一人として活躍したが、1249年に敵対するボローニャの捕虜となった。

エンツォは詩人としても知られ、父フリードリヒを超える詩の才能を持っていたと評価され[5]、獄中でも詩を吟じ続けた[4]

生涯 編集

青年時代、エンツォはパレルモの宮廷で数年間を過ごした[6]

1238年10月に父フリードリヒによってクレモナで騎士に列せられた。刀礼の典礼で騎士に列せられた後、エンツォはサルデーニャの相続権を有するトッレの公女アデラシア(en)と結婚し、そのためにサルデーニャ王と呼ばれた[7]1243年より、エンツォはサルデーニャ王を自称する[1]。エンツォの結婚によってサルデーニャの領有が問題となり、神聖ローマ帝国とローマ教皇の対立は深刻化した[8]

フリードリヒ2世はエンツォをイタリアにおける自身の代理人とし[9]1245年のリヨン公会議でフリードリヒ2世の破門が確認された後はヴェローナエッチェリーノ3世・ダ・ロマーノと共にイタリアの反皇帝派と交戦した[10]

後にエンツォとアデラシアの結婚は無効であると宣言され、1249年にエッチェリーノの姪と再婚した[11]。結婚式の後、エンツォはボローニャの攻撃を受けていたモデナの救援に向かうが、行軍中にボローニャ軍の奇襲を受けて側近とともに捕縛された。ボローニャに入城したエンツォは金の鎖で繋がれて馬にまたがり、王にふさわしい華美な装束を身にまとっていたと伝えられる[12]。フリードリヒはエンツォの釈放のため、人質の交換、身代金の引き渡しを提案したが、ボローニャ側はフリードリヒの申出を拒絶した[12]

ボローニャでの警備は厳重であったもののエンツォの尊厳は守られており、大広間が与えられていた[13]。外部との書簡のやり取りと面会の自由が認められており、夜間は広間の中央にある鉄製の牢に入った[13]。エンツォが資金を使い果たした後は、ボローニャが彼の生活費を負担した[13]。伝承によれば教養ある若いボローニャ市民たちはたびたびエンツォの元を訪れ[14]、詩を吟じて看守たちを感動させたと言われる[15]

1270年にエンツォは脱獄を試み、樽職人を買収し、空き樽に隠れての脱走を企てた。街路まで脱出することができたが、樽の栓から髪がはみ出ていたために脱獄が発覚し、監視はより厳しくなった[16]

1272年3月14日に没し、ボローニャ市民によって王としての葬儀が挙げられた[16]。遺体はボローニャのサン・ドメニコ教会に埋葬された。

脚注 編集

  1. ^ a b c 『岩波西洋人名辞典』、281頁
  2. ^ 『ドイツ史 1 先史〜1648年』収録(木村靖二成瀬治山田欣吾編, 世界歴史大系, 山川出版社, 1997年7月)、索引6頁
  3. ^ Mühlbacherer, Josef. Lebenswege und Schicksale staufischer Frauen.、205頁
  4. ^ a b c カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、502頁
  5. ^ 藤沢『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』、110頁
  6. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、349頁
  7. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、502-503頁
  8. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、503頁
  9. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、523頁
  10. ^ 藤沢『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』、108-109頁
  11. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、714頁
  12. ^ a b カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、715頁
  13. ^ a b c カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、716頁
  14. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、364頁
  15. ^ カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、359-360頁
  16. ^ a b カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、722頁

参考文献 編集

  • 藤沢道郎『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』(中公新書, 中央公論社, 1991年10月)
  • エルンスト・カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』(小林公訳, 中央公論新社, 2011年9月)
  • 『岩波西洋人名辞典』(岩波書店, 1981年12月, 増補版)

関連項目 編集