オスカー・ホモルカ

オスカー・ホモルカ(Oskar Homolka, 1898年8月12日1978年1月27日)は、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のオーストリアウィーン出身の俳優。 強いヨーロッパ訛りとスラブ風の響きがある名字から東欧出身と思われることが多く、そのため東欧人やロシア人の役を演じることが多かったが、実際にはウィーン出身のオーストリア人。またずんぐりとした体格と濃い眉毛というアクの強いルックスから悪役を演じることが多かった。

オスカー・ホモルカ
Oskar Homolka
Oskar Homolka
1932年撮影
本名 Oskar Homolka
別名義 Oscar Homolka
生年月日 (1898-08-12) 1898年8月12日
没年月日 (1978-01-27) 1978年1月27日(79歳没)
出生地 Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
死没地 イギリスの旗 イギリスサセックス
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 1926年 - 1976年
配偶者
グレーテ・モースハイム英語版
(m. 1928; div. 1937)

Vally Hatvany
(m. 1937; d. 1938)

フローレンス・メイヤー
(m. 1939; div. 1948)

ジョーン・テッツェル英語版
(m. 1949; d. 1977)
テンプレートを表示

略歴編集

1898年1901年または1903年との資料もある[1]8月12日オーストリア=ハンガリー帝国(現在のオーストリアウィーンに生まれる。

第一次世界大戦に従軍した後、ウィーン国立音楽大学に通い、オーストリアの舞台でキャリアをスタートさせる。その後ドイツの演劇界に加わり、1924年にはミュンヘンベルトルト・ブレヒトの作品に出演。また1925年以降はベルリンマックス・ラインハルトの下で働くようになる。

1926年ドイツ映画Die Abenteuer eines Zehnmarkscheines(英題:Adventures of a Ten Mark Note)』で映画デビュー。その後は多くのドイツ映画に出演する。

1930年代に入ってナチス・ドイツが台頭してくると、イギリスに渡る。その後はイギリス映画のみならずハリウッド映画にも出演するようになる。

1948年の映画『ママの想い出』で第21回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。

1950年代以降はテレビドラマにも出演するようになる。

1977年10月31日に4番目の妻ジョーン・テッツェル英語版を亡くし、その3ヶ月後の1978年1月24日に入院。直後の1月27日[1]1月28日との資料もある[2][3])に肺炎で死去。79歳。

主な出演作品編集

出典編集

  1. ^ a b HOMOLKA, Oscar” (英語). Film Reference. 2011年10月13日閲覧。
  2. ^ Oskar Homolka - Biography” (英語). IMDb. 2011年10月13日閲覧。
  3. ^ 訃報欄 オスカー・ホモルカ(映画・舞台俳優)『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月30日朝刊、13版、23面

外部リンク編集