オルコメノス (アルカディア)

オルコメノス古希: Ὀρχομενός, Orchomenos, : Orchomenus)は、古代ギリシアアルカディア地方の都市である。トゥキディデスアルカディアのオルコメノス古希: Ὀρχομενός ὁ Ἀρκαδικός)と呼んでボイオティア地方の同名の都市オルコメノスと区別した[2]

Japanese Map symbol (Historical site-Place of scenic beauty-Natural monument-Protected animal plant).svg オルコメノス
Ορχομενός
Orchomenos+karst-depression Arcadia Greece.jpg
オルコメノスのアクロポリスの古代劇場跡。
オルコメノスの位置(ギリシャ内)
オルコメノス
オルコメノス
オルコメノスの位置
オルコメノスの位置(ペロポネソス半島内)
オルコメノス
オルコメノス
オルコメノスの位置
所在地 ペロポネソス, アルカディア県
種類 アクロポリスアゴラ、古代劇場跡)
アルテミス・メソポリティス神殿跡
初期キリスト教の教会
歴史
時代 ミケーネ時代, 古代ギリシャ
ローマ時代
追加情報
発掘期間 20世紀初頭以降
アテネ・フランス学院
テオドール・スピロプーロス英語版
一般公開 冬(要相談)
夏(月曜日-金曜日:08.00-15.00)
夏(土曜日-日曜日:要相談)[1]

オルコメノスは先史時代から存在する集落であり、マンティネイア英語版の北方に位置し、テゲアとマンティネイアとともに西アルカディアの強力な都市の1つになった。都市の全盛期は紀元前7世紀から紀元前6世紀の間にあり、独自の貨幣を鋳造した豊かな都市に成長した。そのアクロポリスの遺跡はオルコメノスの近代的な村落の背後の山上にある。

地理編集

オルコメノスは当初、アクロポリスのふもとの四方を山に囲まれた平野に建設された。そののち町の最も重要な遺跡が発見された西の山上に集落が建設された。対してオルコメノスの近代的な村落がある低い平野はアンキシア(Anchisia)と呼ばれる低い丘によって南を囲まれており、マンティネアの領土から分離されている。北にはオリグリトス(Oligyrtus)と呼ばれる非常に高い山地があり、ペネオスステュムパロスに通じる道があり、東と西には南北に並行して連なる2本の山々がある。

平野は東部と西部域から突き出た丘によって2つに分割され、2つの丘はその間に渓谷ほどのわずかなスペースしか許さないほど接近している。西部の丘の頂上にはオルコメノスのアクロポリスがあり、高さ900m(3,000フィート)近く、メッセニア地方のイトメ英語版の強力な要塞に似ており、後者と同様に2つの平野を支配していた。平野の南部の水域は渓谷を通って平野の北部に流れ込み、地表に水が流れ出る場所がないために大きな湖が形成された。2つの平野は閉じた盆地(カルスト地形の窪地)として特徴づけられ、今日でも雨水を排水するための大規模な溝とポナー英語版と呼ばれる自然の地下排水口および人工のトンネルがある。しかしその排水能力は不十分であり、パウサニアスの時代(2世紀頃)にあった湖は現在はなくなっているが、冬の降水量が非常に多い場合、現在でも一部の農地が浸水したり、一時的に湖ができることがある。

 
オルコメノスの平野の北西辺のコトゥッサ(Chotoussa)に残る古代の排水施設

歴史編集

オルコメノスについて最初に言及しているのはホメロスの『イリアス』2巻の軍船表で、トロイア戦争に参加したアルカディア地方の都市の1つとして、「家畜が豊かな(ポリュメロス、πολύμηλος, polymelos)」と歌われている[3]オウィディウスは「肥沃な、実り豊かな(ferax)」と歌い[4]ロドスのアポロニオスは「富んだ」と歌っている[5]

パウサニアスはアルカディア王リュカオンの息子である同名の英雄オルコメノスによって都市が建設されたと述べている[6]。しかしアルカス王の死後、彼の支配権は3人の息子の間で分割され、そのうちエラトスはオルコメノスを領土として得たという伝承があった[7]。オルコメノスの王はアルカディア地方のほぼ全域を支配したとも言われている[8]。パウサニアスはまたオルコメノスの王のリストを伝えている。これらの王の1人、アイクミスの息子アリストクラテスはアルテミス・ヒュムニア(賛歌祭のアルテミス)の幼い未婚の女神官に手を出そうとしたが、少女は終始抵抗したため王は彼女に乱暴を働いた。これを知ったアルカディア人は王を石打ちの刑に処した[9]。王権は息子のヒケタス、さらにその息子アリストクラテス2世に受け継がれた。アリストクラテス2世は第二次メッセニア戦争の際にスパルタ人から賄賂を受け取って、メッセニアを陥れたため、祖父と同じ形で処刑された[10]。彼はアルカディアを支配した最後のオルコメノス王だったようだが、しかし息子のアリストデモスが都市の王として描かれているのを見つけることができるので、彼の一族はいくつかの典拠で述べられているようにオルコメノスの王国を奪われていなかった[11]。実際、地理学者テオピロス英語版は、オルコメノスの王ペイシストラトス英語版ペロポネソス戦争の貴族によって殺害されたと語っているため、他のほとんどのギリシャの都市で王政が廃止された後もオルコメノスでは長期にわたって王権が存在し続けたらしい。

ペルシア戦争では、オルコメノスは120人をテルモピュライの戦い[12]、600人をプラタイアの戦いに送った[13]。ペロポネソス戦争では、スパルタ人はアルカディア地方の人質をオルコメノスに預けた。しかしそのとき都市の城壁は荒廃した状態だったので、紀元前418年にアテナイ人ペロポネソス同盟が都市に対して進軍したとき、オルコメノス人はあえて抵抗せず、人質を手放した[2]

メガロポリス英語版が建設されたとき、オルコメノス人は(リュカイオン山山麓の同名の都市とは別の)テイソア(Theisoa)、メテュドリオン、およびテウティス(Teuthis)を支配していた。これらの都市の住民はメガロポリスに移され、その領土はメガロポリスに割り当てられた[14]。オルコメノス人はマンティネイアに対する敵意からアルカディア同盟英語版への参加を拒否し、マンティネイアと戦争をした[15][16]。それ以降、オルコメノスは政治的重要性を失ったが、その支配的な状況からその領土は後の時代にしばしば交戦国の標的となった。

マケドニアカッサンドロスポリュペルコンの戦争では、前313年に前者の軍事力の前に陥落した[17]。その後、アイトリア人の側を支持し、紀元前234年頃にネアルコス(Nearchus)という支配者の下でアカイア同盟に合意した[18]。前229年にアイトリア人の黙認でスパルタクレオメネス3世に引き継がれたが[19]、前223年にマケドニア王アンティゴノス3世ドソンに奪取され、マケドニアの守備隊が配置された[20][21]。その後、ローマの圧力の下でフィリップ5世によってアカイア人に返還された[22]

ストラボンはアルカディアの諸都市の間でオルコメノスの名前を言及したが、それらの都市は消滅したか、痕跡がほとんど残らないほど小さくなっていた[23]。しかしこれはパウサニアスから判断すると誇張のように見える。パウサニアスは他の遺跡の中でも泉とポセイドンおよびアプロディテの神域は見応えがあり、また都市の近くに立つ大きなの巨木の中にアルテミス・ケドレアティス(杉の女神アルテミス)と呼ばれるアルテミスの木彫神像があったと述べている[24]

考古学編集

 
オルコメノスのコイン

オルコメノスの発掘はアテネ・フランス学院のメンデル(Mendel)らの指揮のもと、また後にテオドール・スピロプーロス英語版によって行われた。発掘によって多くの遺跡の存在が明らかにされ、現在では古代の劇場、アゴラ、市の城壁や、アルテミス・メソポリティス神殿を含む遺跡を見ることができる。また発掘中に確認された他の遺跡には、ブレウテリオン先史時代の墳墓、アルカイック期の橋などがある[1]

これらのうち最も重要な遺跡は4,000人を収容できる劇場である(紀元前4世紀から3世紀)。アクロポリスのある山の東側の斜面、標高800メートルの位置に建設された劇場からは文化的な行事の際中に壮観な景色を眺めることができた。

南から町に近づくと左側にパウサニアスによって記述された石で築かれた墳丘墓がある[25]。アクロポリスの下には貴族の墳墓があり、その向こうにはパウサニアスがその場所で最も注目すべきものの1つとして言及しているテネエイアイ(Τενεῖαι)と呼ばれる泉があり、少し先にヘレニズム時代のアミロス(Amilos)の遺跡がある[26]

南部の平野には古代の運河があり、周囲の山から渓谷を通って北部の平野に水が流れている[25]。カタリマタ(Katalimata)には先史時代の排水施設を備えた先史時代の集落があり、近隣のパレイオピルゴス英語版にある「ミティカス(Mytikas)」の丘にはミケーネ時代の定住地と古代の聖域がある。オルコメノスの山の北側の斜面にあるアンキシアはアルテミス・ヒュムニアの神殿であり、最も古くからすべてのアルカディア人によって崇拝されていた[27]。その位置はおそらくレヴィディ英語版の東にある聖母マリア教会がある場所と考えられる。

ギャラリー編集

脚注編集

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  1. ^ a b Ορχομενός Αρκαδίας”. Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού. 2020年2月27日閲覧。
  2. ^ a b トゥキディデス『戦史』5巻61。
  3. ^ 『イリアス』2巻605行。
  4. ^ オウィディウス『変身物語』6巻416行。
  5. ^ ロドスのアポロニオス、3巻1073行。
  6. ^ パウサニアス、8巻3・3。
  7. ^ ディオニュシオス・ペリエゲテス英語版、415への古註。
  8. ^ ディオゲネス・ラエルティオス、1巻94。
  9. ^ パウサニアス、8巻5・11-5・12。
  10. ^ パウサニアス、8巻5・13。
  11. ^ ポリュビオス、4巻3。
  12. ^ ヘロドトス、8巻102。
  13. ^ ヘロドトス、9巻28。
  14. ^ パウサニアス、8巻27・4。
  15. ^ クセノポン『ギリシア史』6巻5・11。
  16. ^ シケリアのディオドロス、15巻62。
  17. ^ シケリアのディオドロス、19巻63。
  18. ^ Michel Austin 2006, p.145f.
  19. ^ ポリュビオス、2巻46。
  20. ^ ポリュビオス、2巻54。
  21. ^ プルタルコスシキュオンのアラトス英語版伝」5。
  22. ^ リウィウス、27巻5。
  23. ^ ストラボン、8巻8・2。
  24. ^ パウサニアス、8巻13・2。
  25. ^ a b パウサニアス、8巻13・3。
  26. ^ パウサニアス、8巻13・5。
  27. ^ パウサニアス、8巻13・1。

参考文献編集

  • オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳、岩波文庫(1981年)
  • オデュッセイアアルゴナウティカ松平千秋岡道男訳、講談社(1982年)
  • ホメロスイリアス(上)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
  • ストラボンギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年)
  • パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
  • ヘロドトス『歴史(下)』松平千秋訳、岩波文庫(1972年)
  • Michel Austin, The Hellenistic World from Alexander to the Roman Conquest: A Selection of Ancient Sources in Translation, 2nd edition. Cambridge University Press (2006)
  •   この記事には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Smith, William, ed. (1854–1857). "Orchomenus". Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray.