オレアンダー

ドイツのサラブレッド

オレアンダー (Oleander) とはドイツ競走馬である。同国史上最強馬の1頭。1920年代ドイツフランスオーストリアで走り、バーデン大賞(3連覇)、オーストリア大賞(連覇)などに勝利した。種牡馬としても1930年代から1940年代にかけてドイツで成功した。

オレアンダー
1928年10月7日、ロンシャン競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1924年
死没 1947年
プルヌス
オルシデー
母の父 ガルティーモア
生国 ドイツの旗 ドイツ国
生産者 シュレンダーハン牧場
馬主 シュレンダーハン
調教師 ゲオルク・アルヌル(ドイツ
競走成績
生涯成績 23戦19勝
獲得賞金 580,950マルク
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生涯 編集

プルヌス (Prunus) はダークロナルドの産駒で、ドイツセントレジャー馬に勝ち種牡馬としてもドイツで成功したサラブレッド。母オルシデー (Orchidee) もドイツオークスドイツセントレジャーに勝った名馬で、オレアンダーはその両親の間に1924年シュレンダーハン牧場ドイツ語版で生まれた。馬名はキョウチクトウを意味し、ファミリーライン上からイニシャルO」を受け継ぐとともに、父プルヌス(サクラ属)から連想された単語である。

シュレンダーハン牧場を所有するジーモン・アルフレート・フォン・オッペンハイムドイツ語版男爵が馬主になり、ゲオルク・アルヌル (George Arnull) を調教師とした。1926年初夏にホッペガルテン競馬場でデビューすると、2戦目には早くも重賞を勝利する。しかし、このころ調教中に転倒し、骨盤骨折してしまった。通常なら予後不良として安楽死させられるほどの重傷であったが、この馬に強い期待を寄せていた陣営は懸命に治療し、1年後の5月にはなんとか復帰できるまでに回復した。

復帰後は2戦続けて楽勝したが、重度の故障を負っていたオレアンダーはクラシック登録をしていなかった。そのため、ダービー当日に古馬が相手となるハンブルク大賞に挑んだが3着に敗れてしまう。しかし、フェルシュテンベルク・レネンドイツ語版を10馬身差で勝ったあとに出走したバーデン大賞では、フランスのサカパピエ (Sac à Papier) 、オレアンダーのいなかったドイツダービーを勝ったマージャン (Mah Jong) を下してドイツ最強馬決定戦を制した。

1928年、初戦は敗れるが、3戦目のオーストリア遠征戦、オーストリア大賞を制した。さらにベルリン大賞を勝って、多数の国の遠征馬を迎えたバーデン大賞を5馬身差で圧勝した。こののちフランスに遠征し、凱旋門賞に挑戦しているが5着に敗れている。

1929年。5歳時はオレアンダーの最盛期と言え、オーストリア大賞を10馬身、ベルリン大賞を8馬身差で勝った。バーデン大賞もドイツダービー馬グラフイソラニ (Graf Isolani) を4馬身差で下し、キンチェム以来の3連覇を達成した。このあとは凱旋門賞に出走し、前年の勝ち馬カンタール (Kantar)wikidataとの再戦になった。しかし、伏兵のイタリア馬オルテッロに競り負けカンタールにも交わされ3着に敗れた。

引退後はシュレンダーハン牧場で種牡馬となった。ドイツのクラシックホースを多数輩出し、1930-1940年代にかけて9度のドイツチャンピオンサイアーとなった。1947年にオレアンダーは放牧中に骨折し、安楽死となるが、その後も父系子孫はドイツ・東欧を中心に活躍した。南米ソビエト連邦第二次世界大戦後Raufboldを接収)を初め、一部は南アフリカインド日本にも輸入され、ヒッチコック(ドイツ名馬)、ウイルデイール皐月賞)、エスコリアルブラジル名馬)など1950-1970年代までは活躍馬が出ていた。現在オレアンダーはシュレンダーハン牧場に埋葬されている。

主要産駒 編集

  • シュヴァルツリーゼル(独1000ギニー)
  • シュトュルムフォゲル(ベルリン大賞2回)
  • ドルンロゼ(独オークス)
  • サムライ(ベルリン大賞)
  • アステリオス(独2000ギニー)
  • シラ(独オークス)
  • エスパスヴィタル(コンセイユミニシパル賞)
  • マルシャルフォルヴェルツ(独セントレジャー)
  • エルノ(ジョッケクルブ大賞)
  • アステル(独セントレジャー)
  • ペリアンダー(ウニオンレネン)
  • オルセニゴ(イタリアダービーミラノ大賞
  • ノルトリヒト(独ダービー)

血統表 編集

オレアンダー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ハンプトン系
[§ 2]

Prunuswikidata
鹿毛 1915年
父の父
Dark Ronald
黒鹿毛 1905年
Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Darkie Thuriowikidata
Insignia
父の母
Pomegranate
鹿毛 1901年
Persimmon St. Simon
Perdita
Briar Root Springfield英語版
Eglentyne

Orchidee
栗毛 1910年
Galtee More
鹿毛 1894年
Kendal Bend Or
Windermere
Merganette Springfield
Lady Morgan
母の母
Orseis
鹿毛 1897年
St. Serf St. Simon
Feronia
Orsova Bend Or
Fenella
母系(F-No.) 6号族(FN:6-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Hampton:S4×S5, St. Simon:S4×M4, Springfield:S4×M4, Bend Or:M4×M4, Thormanby英語版:M5×M5  [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[1]netkeiba.com[2]
  2. ^ netkeiba.com[2]
  3. ^ JBISサーチ[1]、netkeiba.com[2]
  4. ^ JBISサーチ[1]

出典 編集

  1. ^ a b c 5代血統表|血統情報|Oleander(GER)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年9月9日閲覧。
  2. ^ a b c Oleanderの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年9月9日閲覧。

外部リンク 編集