オレクサンドル・アリエフ

ウクライナのサッカー選手

オレクサンドル・オレクサンドロヴィチ・アリエフウクライナ語: Олександр Олександрович Алієв, ラテン文字: Oleksandr Oleksandrovych Aliyev, 1985年2月3日 - )は、ソビエト連邦(現ロシア連邦)・ハバロフスク出身のウクライナの元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ウクライナ国籍を持つが民族上はアゼルバイジャン系である。

オレクサンドル・アリエフ
名前
本名 オレクサンドル・オレクサンドロヴィチ・アリエフ
ラテン文字 Oleksandr Oleksandrovych Aliyev
ウクライナ語 Олександр Олександрович Алієв
基本情報
国籍  ウクライナ
生年月日 (1985-02-03) 1985年2月3日(39歳)
出身地 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ハバロフスク
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 ウクライナの旗 ボルィースピリ-2 10 (4)
2002 ウクライナの旗 ディナモ-3 キエフ 1 (0)
2002-2005 ウクライナの旗 ディナモ-2 キエフ 102 (53)
2005-2006 ウクライナの旗 メタルルフ (loan) 8 (1)
2006-2010 ウクライナの旗 ディナモ・キエフ 49 (17)
2010 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 25 (14)
2011-2013 ウクライナの旗 ディナモ・キエフ 35 (7)
2012 ウクライナの旗 ドニプロ (loan) 12 (2)
2014-2015 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ 22 (3)
2015 ウクライナの旗 ルフ・ヴィンニキ (アマチュア) 23 (11)
2016 ウクライナの旗 Katandzaro Kyiv (アマチュア)
2016 カザフスタンの旗 タラズ 9 (1)
2017 ウクライナの旗 Katandzaro Kyiv (アマチュア)
2018 ウクライナの旗 Khmelnytskyi (アマチュア)
2018 ウクライナの旗 Meliorator Bucha (アマチュア)
2019-2020 ウクライナの旗 Juniors Shyptky (アマチュア)
代表歴
2001-2002  ウクライナ U-17 8 (5)
2003-2006  ウクライナ U-21 30 (8)
2008-2012 ウクライナの旗 ウクライナ 28 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ディナモ・キエフでプレーするアリエフ

経歴 編集

FCボルィスフェン・ボルィースピリ-2 (2軍チーム) を経て2002年にディナモ・キエフに入団。ディナモ-3 キエフを経て同年途中で2軍チームのディナモ-2 キエフに昇格。2005年まで在籍し、通算102試合に出場して53得点を挙げた。この実績が評価されたアリエフは、同年ウクライナ・プレミアリーグ所属のFCメタルルフ・ザポリージャに1シーズンの契約でローン移籍した。リーグ戦では8試合に出場して1得点を挙げるにとどまったが、在籍中にザポリージャのウクライナカップ (Кубок України з футболу) 決勝戦進出を経験した (試合は0-1でディナモ・キエフに敗れて準優勝に終わった)。アリエフは69分にセルヒーイ・シシュチェンコと交代する形で出場した。

在籍中にアリエフはU-20ウクライナ代表に選出され、2005 FIFAワールドユース選手権に出場。得点王となったリオネル・メッシに次ぐ5得点を挙げた。

ザポリージャとの契約が満了してディナモ・キエフに戻ってきたアリエフを待っていたのはトップチームへの昇格だった。昇格後、アリエフは出場機会を与えられるようになり、特に2008年に就任したユーリ・セミン監督在任中にはレギュラーとして起用された。UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09にディナモ・キエフが出場した時のアリエフはクラブのキープレーヤーとなった。10月21日に行われた1次リーグのFCポルトとの試合では、27メートルを超えるかという距離から直接フリーキックを決めた。この得点が決勝点となり、1-0でディナモ・キエフは勝利した。一方で11月25日に行われたアーセナルFCとの試合中、主審のアラン・ハメル (Alain Hamer) を押してしまい、87分に退場処分を受けるという経験もした。後アリエフはインタビュー中でハメルの事を、「うすのろ・とんちき」という意味合いを込めて"козел" (山羊の意) という言葉で呼び表している。[1]

1次リーグを3位で終えたディナモ・キエフは、ウィンターブレイク後にUEFAカップ 2008-09に出場する事となった。この大会では殆どの試合に出場し、ディナモ・キエフの準決勝進出に貢献した (試合は同じくウクライナから出場し、同大会で優勝したシャフタール・ドネツクに破れてベスト4に終わっている)。リーグ戦ではこの借りを晴らし、優勝を飾った。

代表においてはワールドユースに続き、2006年に開催されたU-21欧州選手権にウクライナ代表の一員として出場し、準優勝を経験した (ただし決勝戦では先発出場を逃した)。アリエフは現在もなお、U-21ウクライナ代表における歴代最多得点者 (8得点) である。

2008年9月6日、2010 FIFAワールドカップの欧州地区予選、ベラルーシ戦にて、アリエフは後半途中でマクシム・カリニチェンコと交代する形でA代表デビューを飾った。

2009年12月、FCロコモティフ・モスクワへの移籍が報じられた[2]が、交渉決裂により一度はディナモ・キエフ残留を表明していたが[3]、2010年2月、正式にロコモティフ・モスクワの一員となった。

2010年5月26日の親善試合・リトアニア戦で、代表初ゴールを含む2得点を挙げた。

個人成績 編集

所属 シーズン リーグ戦 カップ戦 UEFA大会 スーパー杯 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ディナモ・キエフ 2002-03 2 0 2 0 0 0 0 0 4 0
2003-04 2 0 1 0 0 0 0 0 3 0
2004-05 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
メタルルフ・ザポリージャ 2005-06 6 1 3 1 1 0 1 0 11 2
ディナモ・キエフ 2006-07 3 0 1 0 1 0 0 0 5 0
2007-08 10 3 3 1 0 0 1 0 14 4
2008-09 26 13 1 0 16 4 1 0 44 17
2009-10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ロコモティフ・モスクワ 2010 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
合計 49 17 11 2 18 4 3 0 81 23

獲得タイトル 編集

クラブ 編集

  FCディナモ・キエフ

脚注 編集

  1. ^ Алиев: "Повторяю: судья - козел!" (ロシア語) FOOTBALL.UA 2008年11月28日付記事 2009年10月18日 12:14 (UTC) 閲覧
  2. ^ Алиев подпишет контракт с "Локо" после нового года (ロシア語) ua-football.com 2009.12.30付記事
  3. ^ Александр Алиев: "Остаюсь в "Динамо" (ロシア語) ua-football.com 2010.1.8付記事

外部リンク 編集