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オーストラリアグランプリ(オーストラリアGP, : Australian Grand Prix)はオーストラリアで行われている自動車レースで、1985年以降はF1世界選手権の1戦となっている。

Flag of Australia.svg Australian Grand Prix
アルバート・パーク・サーキット
Albert Lake Park Street Circuit in Melbourne, Australia.svg
レース情報
周回 58
コース長 5.303 km (3.295 mi)
レース長 307.574 km (191.071 mi)
開催回数 84
初回 1928年
最多勝利
(ドライバー)
オーストラリアの旗 レックス・デイヴィソン英語版 (4)
ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ (4)
最多勝利
(コンストラクター)
イギリスの旗 マクラーレン (12)
イタリアの旗 フェラーリ (12)
最新開催(2019年):
ポールポジション イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:20.486
決勝順位 1. フィンランドの旗 バルテリ・ボッタス
メルセデス
1:25:27.325
2. イギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
+20.886s
3. オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダ
+22.520s
ファステストラップ フィンランドの旗 バルテリ・ボッタス
メルセデス
1:25.580

1985年から1995年まではアデレードアデレード市街地コースにて、1996年からはメルボルンアルバート・パーク・サーキットにて行われている。

概要編集

オーストラリアは元々イギリスからの移住者が多い土地柄もあり、フォーミュラカーのローカルレースが様々なサーキットで開催されていた。1928年にはフィリップ・アイランドで最初のオーストラリアGPが開催された。1957年には国内選手権 (Australian Drivers' Championship) が創設され、1964年には国内トップフォーミュラ (Australian National Formula) が制定された。

南半球のモータースポーツシーズンは北半球ではオフシーズンにあたるため、当時の世界の一流ドライバーを招き、地元のドライバーが挑戦し競争した。1960年代にはタスマンシリーズの主要なイベントとなり、ジャック・ブラバムブルース・マクラーレンクリス・エイモンといった地元出身のF1ドライバーがウィナーとなった。1970年以降はF5000フォーミュラ・パシフィックフォーミュラ・モンディアルといった国際的な車両規格を取り入れて行われた。

オーストラリアGPがF1世界選手権の一部になったのは1985年である。季節が逆転する南半球で行われるこのレースは冬を避けるため、シーズン最終戦として開催された。アデレード市街地コースはモナコのモンテカルロ市街地コースほどではないにしろ、ドライバーやギヤボックスにとって厳しく、ドライバー・チーム双方からは不評を買っていた。その一方で、市街地レースとしては抜きどころが多く、観戦ポイントが整備されているなど、観客には最も人気のあった市街地サーキットのひとつであった。また、アデレード市街地コースになってから、盛大にチェッカーフラッグを振る名物オフィシャルがいた。

1996年以降はアルバートパーク・サーキットでシーズン開幕戦として開催されている。緑樹の美しい公園内の特設コースで行われ、新シーズンの始まりを盛り上げるイベントも充実している。ただし2006年はコモンウェルスゲームズ(英連邦大会)開催の関係で、また2010年もバーレーンGPに開幕戦を譲ることとなった。

近年、開催赤字幅が拡大しており、ビクトリア州の財政支援が議会で批判されている。赤字幅拡大の理由は、市街地(公園)サーキットであるために毎年ガードレールなどの設置をする必要があること、観戦者の消費が減少していること、開催権費用が高騰していることなどである。このためフィリップ・アイランド・サーキットへの移転計画が伝えられていた(ただしF1基準のサーキットではないため、開催には大幅な改修が必要となる)が、2014年8月に2020年までの延長契約を締結し、翌2015年9月にはさらに2023年まで[1]、そして2019年7月には2025年まで開催契約が延長されている[2]

また、ヨーロッパとの時差の関係上[3]、ヨーロッパでのテレビ観戦が未明になってしまうことから、バーニー・エクレストンはナイト・レース開催を要求している。2018年からは現地時間16時10分スタート[4]のトワイライトレースとして開催されているが、セーフティカー出動や雨天による中断などにより時間が長引くと日没が迫り、視界不良になってしまうという懸念もある。

過去のレース編集

1986年
ウィリアムズナイジェル・マンセルネルソン・ピケマクラーレンアラン・プロストら3人が最終戦でタイトルを争った。ポイントリーダーだったマンセルはタイヤバーストによりリタイアし、ピケもタイヤ交換のためピットイン。この間にトップに立ったプロストが優勝し、逆転で2度目のチャンピオンを獲得した。
1987年
気温35度という猛暑の中行われたレースをフェラーリのゲルハルト・ベルガーが予選1位からそのまま優勝している。2位には同じくフェラーリのミケーレ・アルボレートが入り、4年ぶりの1-2フィニッシュとなった。アルボレートの前で2位でゴールしたロータスのアイルトン・セナが、レース後の車検で車両規定違反でと裁定され失格になり、同3位に終わっている。
1989年
土砂降りの雨の中、危険であるとの多くのドライバーの主張を退け強行された。そのため、強行したフォーメーションラップでは、順番がバラバラになるなど大混乱のスタートとなった。プロストはこの決定を不服としてレースを棄権している。ドライバーの主張は間違っておらず、コース各所で接触・追突・スピンなどが多発した。その中で23位からスタートした中嶋悟ファステストラップを連発しながら前走車を次々と追い抜いた。終盤で3位走行のリカルド・パトレーゼを猛烈に攻めるがエンジントラブルが発生して抜くには至らず。しかし中嶋は4位でゴールし、この年唯一のポイントを獲得するとともにこのレースのファステストラップを記録した。優勝したのはウィリアムズのティエリー・ブーツェン、完走は全26台中8台だった。
1991年
1989年同様大雨に見舞われ、レースは14周で中止。走行距離52.9km、25分で終了した過去最短のグランプリとなった。このレースをもって引退することを発表していた中嶋はスピン、リタイア。また、結果的にネルソン・ピケのF1最終レースともなった。
1992年
ホンダの第2期活動に幕を閉じるレースとなった。このレースでゲルハルト・ベルガーが優勝したが、これはホンダにとって通算71勝目で、第2期活動で最後の勝利となっている。
1993年
アラン・プロストの引退レースとなった。1988年から続いたセナ・プロスト対決のラスト・レース。ポールポジションからスタートしたセナが優勝し、プロストが2位に入った。表彰台では長年に渡り対峙し、敵対してきた両者が握手を交わした。また、翌1994年に事故死したセナにとってもこれが最後の優勝となった。
1994年
1ポイント差でチャンピオンを争う、ミハエル・シューマッハデイモン・ヒルに注目が集まる。開始直後からこの2人が他を大きく突き放して接近戦を演じる緊迫の展開となるが、36周目に両者の接触・リタイアにより、シューマッハの初のチャンピオン獲得が決定した。レースはポールポジションからスタートしたナイジェル・マンセルが制したが、これはマンセルの通算31勝目であり、最後のF1優勝となった。
1995年
アデレードでの最後の開催となったこの年、決勝は上位陣が次々と脱落する展開で、優勝したデイモン・ヒルからエンジン不調を抱えながら2位に入ったオリビエ・パニスまで実に2周半もの大差がつく珍事となる。F1史上において優勝者が2位以下を2周以上周回遅れにした、現時点で唯一のレースである。
1996年
ビクトリア州政府の誘致により、メルボルンのアルバートパークサーキットに開催地が変更された。この決定は論争を巻き起こした。一連の抗議は、レースが公共の公園を個人的な遊び場に変えたと主張するアルバートパーク保護グループによって組織された。レース主催者と州政府は、州への経済的利益が費用よりも大きく、レース開催のための工事によって公園の公共的な快適さが増大したと主張した。一部からの批判があったが、参加者からは市街地レースよりも安全であるとして概ね好評である。
レースはこの年ウィリアムズからデビューのジャック・ヴィルヌーヴがデビュー戦で初ポールポジションを獲得(史上3人目)を達成、決勝も終盤までトップを維持したが、オイル漏れにより2位に後退した。
1997年
過去3シーズン勝利から遠ざかっていたマクラーレンがデビッド・クルサードにより、1993年の同GP以来50戦ぶりの優勝を飾ることとなった。また、メルセデスエンジンも1955年イタリアGP以来、42年ぶりの優勝を飾った。
1998年
この年からブリヂストンタイヤを装着した、マクラーレンのミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードが圧倒的な速さを見せレースを席巻したが、レース途中にピットとの無線のやり取りの行き違いから予定外のピットストップを行い2位に後退したハッキネンを、クルサードがホームストレート上で「チームオーダー」により先行させるという場面があった。
1999年
予選から前年と同じようにマクラーレン勢が圧倒的な強さを見せレースを支配していたが、中盤にミカ・ハッキネンデビッド・クルサードに相次いでマシントラブルが発生し両者リタイア。フェラーリのミハエル・シューマッハもスタートのトラブルなどで順位を落とす中、シューマッハのチームメイトであるエディ・アーバインが参戦82戦目にして初優勝を成し遂げた。
2001年
スタート直後に発生したラルフ・シューマッハとジャック・ヴィルヌーヴのクラッシュにより吹き飛んだタイヤがフェンスの隙間を通って、ボランティアで参加していたコースマーシャル(レース運営に携わる係員)を直撃し、マーシャルは死亡した。
2002年
地元オーストラリア出身のマーク・ウェバーがデビュー戦で大活躍。ウェバーは絶えず競争力の劣るミナルディに乗っていたが、他のチームの不運を味方につけ、5位でフィニッシュした。ウェバーとミナルディのオーナーであるオーストラリア出身のポール・ストッダートは、FIAの特別な計らいで、表彰式終了後に2人で表彰台へ登壇して喜びを爆発させ、モーターレース界を超えて国民的な有名人になった。
2009年
撤退したホンダからチームを受け継いだブラウンGPが1-2フィニッシュを達成。コンストラクターのデビュー戦勝利は1955年のメルセデス、1977年のウルフ以来[5]。3位でチェッカーを受けたルイス・ハミルトンは偽証を行ったとして失格処分となった。

過去の結果と開催サーキット編集

 
アデレード市街地コース(1985-1995)

F1世界選手権として開催された1985年以降の結果について記載する。

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム 結果
1985 11月03日 16 アデレード   ケケ・ロズベルグ ウィリアムズ 詳細
1986 10月26日 16 アデレード   アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1987 11月15日 16 アデレード   ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 詳細
1988 11月13日 16 アデレード   アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1989 11月05日 16 アデレード   ティエリー・ブーツェン ウィリアムズ 詳細
1990 11月04日 16 アデレード   ネルソン・ピケ ベネトン 詳細
1991 11月03日 16 アデレード   アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1992 11月08日 16 アデレード   ゲルハルト・ベルガー マクラーレン 詳細
1993 11月07日 16 アデレード   アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1994 11月13日 16 アデレード   ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1995 11月12日 17 アデレード   デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1996 03月10日 1 メルボルン   デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1997 03月09日 1 メルボルン   デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
1998 03月08日 1 メルボルン   ミカ・ハッキネン マクラーレン 詳細
1999 03月07日 1 メルボルン   エディ・アーバイン フェラーリ 詳細
2000 03月12日 1 メルボルン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2001 03月04日 1 メルボルン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2002 03月03日 1 メルボルン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2003 03月09日 1 メルボルン   デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
2004 03月07日 1 メルボルン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2005 03月06日 1 メルボルン   ジャンカルロ・フィジケラ ルノー 詳細
2006 04月02日 3 メルボルン   フェルナンド・アロンソ ルノー 詳細
2007 03月18日 1 メルボルン   キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2008 03月16日 1 メルボルン   ルイス・ハミルトン マクラーレン 詳細
2009 03月29日 1 メルボルン   ジェンソン・バトン ブラウン 詳細
2010 03月28日 2 メルボルン   ジェンソン・バトン マクラーレン 詳細
2011 03月27日 1 メルボルン   セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2012 03月18日 1 メルボルン   ジェンソン・バトン マクラーレン 詳細
2013 03月17日 1 メルボルン   キミ・ライコネン ロータス 詳細
2014 03月16日 1 メルボルン   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2015 03月15日 1 メルボルン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2016 03月20日 1 メルボルン   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2017 03月26日 1 メルボルン   セバスチャン・ベッテル フェラーリ 詳細
2018 03月25日 1 メルボルン   セバスチャン・ベッテル フェラーリ 詳細
2019 03月17日 1 メルボルン   バルテリ・ボッタス メルセデス 詳細

複数回優勝したドライバー編集

回数 ドライバー 優勝年
4   レックス・デイヴィソン英語版 1954, 1957, 1958, 1961
  ミハエル・シューマッハ 2000, 2001, 2002, 2004
3   ビル・トンプソン英語版 1930, 1932, 1933
  ダグ・ホワイトフォード英語版 1950, 1952, 1953
  ジャック・ブラバム 1955, 1963, 1964
  グラハム・マクレー英語版 1972, 1973, 1978
  ロベルト・モレノ 1981, 1983, 1984
  アラン・プロスト 1982, 1986, 1988
  ジェンソン・バトン 2009, 2010, 2012
  セバスチャン・ベッテル 2011, 2017, 2018
2   レス・マーフィー英語版 1935, 1937
  ブルース・マクラーレン 1962, 1965
  フランク・マティック英語版 1970, 1971
  マックス・スチュワート英語版 1974, 1975
  ゲルハルト・ベルガー 1987, 1992
  アイルトン・セナ 1991, 1993
  デイモン・ヒル 1995, 1996
  デビッド・クルサード 1997, 2003
  キミ・ライコネン 2007, 2013
  ルイス・ハミルトン 2008, 2015
  ニコ・ロズベルグ 2014, 2016

複数回優勝したコンストラクター編集

回数 コンストラクター 優勝年
12   マクラーレン 1970, 1986, 1988, 1991, 1992, 1993, 1997, 1998, 2003, 2008,
2010, 2012
  フェラーリ 1957, 1958, 1969, 1987, 1999, 2000, 2001, 2002, 2004, 2007,
2017, 2018
6   ウィリアムズ 1980, 1985, 1989, 1994, 1995, 1996
5   クーパー 1955, 1960, 1961, 1962, 1965
4   ブガッティ 1929, 1930, 1931, 1932
  MG 1935, 1937, 1939, 1947
  ローラ 1974, 1975, 1977, 1979
  ラルト 1981, 1982, 1983, 1984
  メルセデス 2014, 2015, 2016, 2019
2   タルボ・ラーゴ 1952, 1953
  マセラティ 1956, 1959
  ブラバム 1963, 1964
  BRM 1966, 1967
  マティック英語版 1971, 1976
  マクレー英語版 1973, 1978
  ルノー 2005, 2006
  • 太字2019年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

冠スポンサー編集

脚注編集

  1. ^ "メルボルン、F1オーストラリアGP開催契約を2023年まで延長". TOPNEWS. (2015年9月14日)
  2. ^ 今後も開幕戦の代名詞に? オーストラリアGP、2025年まで開催契約を延長”. motorsport.com (2019年7月19日). 2019年8月3日閲覧。
  3. ^ 開催時期の3月下旬はオーストラリア東部夏時間(UTC+11)を採用している。
  4. ^ F1、各レース開始時間を刷新。欧州では多くが15時10分決勝スタートに”. motorsport.com (2018年2月2日). 2018年2月3日閲覧。
  5. ^ F1選手権の第1号戦となった1950年イギリスグランプリで優勝したアルファロメオも記録上はデビューウィン扱いとなる。

関連項目編集

外部リンク編集