オーストリア公国
Herzogtum Österreich
オーストリア辺境伯領 1156年 - 1453年 オーストリア大公国
オーストリアの国旗 オーストリアの国章
国旗国章
オーストリアの位置
13世紀のオーストリア公国の地図。
公用語 ドイツ語
バイエルン・オーストリア語
首都 クロスターノイブルク
ウィーン
1156年 - 1177年 ハインリヒ2世
1251年 - 1278年オタカル2世
1278年 - 1282年ルドルフ1世
1358年 - 1359年ルドルフ4世
1439年 - 1453年フリードリヒ5世
アルブレヒト6世
ラディスラウス(1440年-)
ジークムント(1446年-)
変遷
成立 1156年9月17日
ゲオルゲンベルク協定1186年8月17日
ハプスブルク家統治の開始1278年
ノイベルク条約1379年9月25日
大公号の公認1453年

オーストリア公国(オーストリアこうこく、ドイツ語: Herzogtum Österreichハンガリー語: Osztrák Hercegség)は、神聖ローマ帝国内の、現在のオーストリア共和国の領域に存在した領邦1156年の成立から1453年(大公を称したのは1359年)のオーストリア大公国の成立まで、バーベンベルク家ツェーリンゲン家プシェミスル家ハプスブルク家が統治した。

概要 編集

前身はオーストリア辺境伯領、さらにオストマルク東方辺境伯領が最初の起源である。神聖ローマ帝国の南東辺境部の領邦ではあるが、帝国内でも重要な地域で、のちにハプスブルク家当主が神聖ローマ皇帝を世襲した。

1359年にルドルフ4世オーストリア大公を僭称した。皇帝に即位したフリードリヒ3世(オーストリア領主としてはフリードリヒ5世)が1457年に帝国法によってこれを正式の称号として定め、以後はその領国もオーストリア大公国を称するようになった。

歴史 編集

脚注 編集

参考文献 編集

関連項目 編集