カナダ植民地立法議会 (カナダしょくみんちりっぽうぎかい、英語:Legislative Assembly of the Province of Canada) はカナダ植民地の下院である。カナダ植民地は、1840年の連合法によってカナダ・イースト(それまではロワー・カナダ、現在はケベック州となっている)とカナダ・ウェスト(それまではアッパー・カナダ、現在はオンタリオ州となっている)が統合してできたものである。議員は、カナダ・イーストとカナダ・ウェストからそれぞれ42名ずつ選出される。日本語では立法議院や代表議会と訳されることもある[1]。これに対して上院のことは立法評議会という。

最初の議会は1841年にカナダ・ウェストのキングストンで開催された。第2回議会と第3回議会の初めの会期はモントリオールで開催された。1849年4月25日、反乱損害補償法に抗議する暴徒が議事堂に火をつけたため、残りの会期はトロントで開かれることになった。その後の議会はケベック・シティやトロントで開かれたが、オタワがカナダ自治領首都に選ばれたことで、1866年の第8議会はオタワで行われた。

議事堂 編集

 
ボンスクール・マーケット(カナダ植民議会、1849年)
 
アッパー・カナダ及びオンタリオ州議会議事堂(カナダ植民地議会、1849年-1850年

連合カナダ植民地の議事堂はトロント、キングストン、モントリオール、ケベック・シティ、オタワを転々としている。

  • 1841年-1843年 キングストンで開かれる。第1議会の3会期は3階建てのキングストン総合病院で行われた。
  • 1843年 モントリオールに移る。修復されたセントアン・マーケットで開催されるが、1849年に火事で焼失する。その後市場機能のみを残して再建されるも、1902年にふたたび火事にあう。その後は駐車場になり、現在はプラース・デュービル広場になっている。
  • 1849年 一時的にモントリオールのボンスクール・マーケットとフリーメイソンズ・ホールを使う。
  • 1849年-1850年 トロントに移る。フロント通りとシムコー通りの交差点にある議事堂を使う。
  • 1851年 ケベック・シティに移る。1854年に議事堂が火事で焼失する。
  • 1854年-1859年 ケベック・シティに留まるも、ケベック音楽ホールやケベック市裁判所で開かれる。
  • 1859年 トロントに戻る。前回の同じ議事堂を使う。
  • 1860年-1865年 ケベックに戻る。この時使用されたパルク・モンモランシーの新議事堂は、その後1867年から83年までケベック州議会として再利用された。
  • 1866年-1867年 オタワに移る。パーラメント・ヒルに新しく完成したセンター・ブロックを以後、拠点と定める。ただしこのときの議事堂は1916年の大火で消失している。

議会の一覧 編集

議長の一覧 編集

議長はイギリス系とフランス系が交互に就任する。この伝統はカナダ議会下院の議長にも受け継がれている。

議長 任期 議会 所属 出身
w:Austin Cuvillier 1841–1843 第1議会 Parti Canadian カナダ・イースト
Allan Napier MacNab 1844–1847 第2議会 Reformer カナダ・ウェスト
w:Augustin-Norbert Morin 1848–1851 第3議会 Parti patriote カナダ・イースト
w:John Sandfield Macdonald 1852–1853 第4議会 Liberal-Conservative カナダ・ウェストt
w:Louis-Victor Sicotte 1854–1857 第5議会 無所属 カナダ・イースト
Henry Smith 1858–1861 第6議会 Tory カナダ・ウェスト
w:Joseph-Édouard Turcotte 1862–1863 第7議会 Reformer カナダ・イースト
w:Lewis Wallbridge 1863–1866 第8議会 無所属 カナダ・ウェスト

参考文献 編集

  • Upper Canadian politics in the 1850's, Underhill (and others), University of Toronto Press (1967)

脚注 編集

  1. ^ 日本カナダ学会編『新版 史料が語るカナダ』(2008年)は「立法議会」、齋藤憲司『各国憲法集(4) カナダ憲法』(2012年)は「立法議院」、松井茂記『カナダの憲法』(2012年)は「代表議会」と訳している。

関連項目 編集

外部リンク 編集