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1957年
地図

カリバタ英雄墓地(カリバタえいゆうぼち、インドネシア語: Taman Makam Pahlawan Kalibata、略: TMP Kalibata)は、インドネシア南ジャカルタ市にある国立追悼施設である。

インドネシア独立戦争中に戦死した将兵、そして戦後に亡くなった元将兵が埋葬されており、同様の施設はスラバヤメダンなど、インドネシア国内の各地に存在している。

概要編集

インドネシア国内の国立英雄墓地に埋葬されているのは、インドネシア独立戦争に参加した戦績のある者で、性別・宗教・種族は問われない。カリバタ英雄墓地には約7千人が埋葬されていて、戦後生き残った元戦士も、没後はここか国内各地の英雄墓地に埋葬されることになっている。葬儀の費用やその後の管理の費用はすべて国家が負担する。

カリバタ英雄墓地の敷地は、イスラームキリスト教仏教など、埋葬者の信仰ごとに区分されており、また、氏名不詳の戦没者が眠る無名戦士の墓もある。

独立の英雄としてこの墓地に埋葬されることはインドネシアで最高の栄誉とされており、その葬儀にはインドネシアの国防省代表、インドネシア国軍の葬儀委員、儀仗兵軍楽隊が参加して、厳粛に執り行われる[1]

日本人埋葬者編集

インドネシア独立戦争に参加した日本人(インドネシア残留日本兵)のうち、戦死が確認され、遺体が収容された者は各地の英雄墓地に埋葬されており、カリバタ英雄墓地には27人の日本人戦没者が埋葬されている。戦死を確認されながらも名前が判明していない者は無名戦士として英雄墓地に埋葬されている。ただし、独立戦争に参加しつつも、その後行方不明となっている元日本兵の数も少なくないと思われる。

独立戦争を生き抜いた日本人元兵士にはインドネシアによってゲリラ勲章が授与され、英雄墓地に埋葬される権利を得るが、本人が望まない場合や書類不備などの場合、一般墓地に埋葬される。

こうした一般墓地の整備(日本人墓地納骨堂の建設など)や、日本人戦没者の遺骨収集、そして行方不明者の確認作業は、独立戦争後にインドネシアに残留した日本人らによってすすめられている[2]

日本の政治家・皇族がカリバタ英雄墓地を訪れ、参拝・献花を行った例としては、中谷元防衛庁長官2001年9月11日)、小泉純一郎首相2002年1月13日[3]秋篠宮文仁親王紀子夫妻(2008年1月19日[4]がある。また安倍晋三首相は2007年8月21日及び2015年4月22日の2回、カリバタ英雄墓地参拝を行った[5][6]。2015年4月22日アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年では、開会式を終えた安倍首相は墓地を訪問しインドネシア独立戦争の英雄である日本人(衛藤七男)の墓前にも献花した。

マルガ英雄墓地編集

マルガ英雄墓地(Taman Makam Palahwan Marga)は、1946年11月20日オランダ軍との壮絶な戦闘により全滅したグスティ・ングラライ将軍率いる義勇軍部隊94名ほかインドネシア独立戦争で戦死した1372名を埋葬した戦没者墓地で、バリ島タバナン県マルガにある。チャンディ・マルガナラ墓苑ともいう。その中には終戦後も残留してングラライ部隊に属して戦死した12名の日本人も含まれている。毎年11月20日には戦死者を追悼する儀式が行われている。

日本人の墓碑編集

墓碑番号 日本名 墓碑記載名 出生年月日・出身地
No.221 梶原(陸軍 Bung Ali
No.300 高木米治兵曹長 I Made Putera 1919年7月3日生まれ 宮崎県東臼杵郡出身
No.320 松井久年兵曹長 I Wayan Sukera 1920年1月1日生まれ
No.321 荒木武友上曹 I Made Sukeri 1920年9月1日生まれ 長崎県南高来郡出身
No.332 神戸陸軍曹長 Bung Selamat
No.339 海軍軍属 オタテ Ketut Sunia
No.483 木村(? 陸軍 ) I Ketut
No.429 氏名不詳 I Gede
No.553 美馬芳夫二曹 I Ketut Mima 1925年1月14日生まれ
No.554 中野(陸軍) I Mada
No.824 氏名不詳 I Wayan Gede Wadya
No.1372 工藤栄もしくはソガ 1913年9月27日生まれ

クスマネガラ英雄墓地編集

クスマネガラ英雄墓地(Taman Makam Pahlawan Kusumanegara)は別名スマキ英雄墓地(Taman Makam Pahlawan Semaki)とも呼ばれる、ジョグジャカルタのスマキにある英雄墓地。1,914人の軍人・軍属・民間人を含む戦没者が埋葬されている。終戦後も残留して戦死した6名の日本人も埋葬されている。

その他の日本人兵士が眠る英雄墓地編集

ボゴール英雄墓地(ボゴール)、テビチンギ英雄墓地(中部ジャワ)、チレボン英雄墓地(中部ジャワ)、タシクマラヤ英雄墓地(西ジャワ州)、スラバヤ英雄墓地(スラバヤ)、PEMATANG SIANTAR英雄墓地(スマトラ)、マラン英雄墓地(スマトラ)には多数の日本人が眠っている。

脚注編集

  1. ^ 奥、1987年、24頁。
  2. ^ インドネシアに残留した元日本兵らは1979年、会員相互の福祉と親睦を目的とする「福祉友の会」 (Yayasan Warga Persahabatan) を結成し、戦没者の遺骨収集や日本人墓地の建設、整備などに尽力している。奥、1987年、26-27頁、長、1994年、20頁、を参照。
  3. ^ 外務省「小泉総理大臣の東南アジア諸国訪問日程」2002年1月9日
  4. ^ 秋篠宮ご夫妻、インドネシア訪問AFP、2008年1月20日
  5. ^ 石井孝明インドネシアの独立を支えた日本軍人 アジアの「独立と民族自決」を強調」zakzak、2015年6月14日
  6. ^ PM Shinzo Abe Berdoa di Taman Makam Pahlawan Kalibata Liputan6 on 22 Apr 2015 at 16:45 WIB

参考文献編集

  • 後藤乾一 『火の海の墓標 ある<アジア主義者>の流転と帰結』、時事通信社、1977年(オンデマンド版、2007年 ISBN 9784788706750
  • 奥源造『インドネシア 独立戦争を生き抜いて - 残留日本人と二世の記録 - 』、三信図書、1987年 ISBN 4879210587
  • 長洋弘『帰らなかった日本兵』、朝日新聞社、1994年 ISBN 4022565608

関連項目編集