カンクリ
名前の由来編集
起源編集
『集史』部族篇には、オグズ族の分派としてウイグル、キプチャク、カルルク、カラジ、アガチェリとともにその名が記されている。[2]
オグズが自分の父、叔父、兄弟、甥たちと戦い、彼らの国を襲撃し掠奪していたまさにその時、その他の人たちは獲物を駄獣に背負わせていたのに、すべての人々の中で、彼に合流して彼と一緒になった彼の一族から出たこの者たちは皆、自らの知見により、荷馬車を作ってそれに(全ての)鹵獲物を積み込んだ。(荷車をテュルク語で「カンクリ」というので、)そのため、彼らもカンクリの名で呼ばれたのである。カンクリの全枝族は、彼らの子孫から(出ている)。ともあれ、アッラーはもっとよくご存じである! — ラシードゥッディーン『集史』部族篇
村上正二によると、同じ「車」の意味である弓月族や高車族とはおそらく関係はなく、むしろキプチャク族の分派かエメク(Ämäk)族[3]などから分岐したものかもしれないとする。[4]
脚注編集
参考資料編集
- ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(平凡社、1968年、ISBN 4582801102)