カーブル陥落
アフガニスタン紛争アフガニスタン侵攻

カーブル市街全景(2011年)
2001年11月13–14日
(1日間)
場所アフガニスタン
カーブル州カーブル
結果 北部同盟アメリカ合衆国の勝利
衝突した勢力
アフガニスタンの旗 北部同盟
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アフガニスタン・イスラム首長国タリバン
指揮官
不明
戦力
98,000名 58,000名
被害者数
  • 死亡 528名
  • 負傷 205名
  • 死亡 2,314名
  • 負傷 646名
  • 捕虜 1,345名
アフガニスタン紛争
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)

2001年のカーブル陥落(カーブルかんらく)は、アフガニスタン紛争中、2001年11月に北部同盟軍によって、ターリバーンが支配していたアフガニスタンの首都・カーブルが陥落した出来事である。北部同盟軍は11月13日に同市への攻撃を開始し、米英の空爆によって大きく弱体化したターリバーン軍に向かって速いスピードで前進した。進撃は計画よりも早く進み、翌14日には特殊部隊の支援を受けた北部同盟軍[1]がカーブルに入った。市内では抵抗を受けることなく、ターリバーン軍は南部のカンダハールに退却した[2]

この5日前にあったマザーリシャリーフ陥落とも相まって、カーブル陥落はターリバーンのアフガニスタン支配に大きな打撃を与えた。

これらの敗北の結果、ターリバーンとアルカーイダの残党メンバーは、ターリバーン運動の精神的な発祥地であり本拠地でもあるカンダハール、そしてトラボラに向かって退却した[1]

関連項目 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b Neville, Leigh, Special Forces in the War on Terror (General Military), Osprey Publishing, 2015 ISBN 978-1472807908, p.43
  2. ^ The United States Army in Afghanistan - Operation ENDURING FREEDOM - October 2001-March 2003 Archived February 16, 2008, at the Wayback Machine.