カール・デモンティ・クロフォードCarl Demonte Crawford, 1981年8月5日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。同じプロ野球選手のJ.P.クロフォードは従弟にあたる。息子のジャスティン・クロフォードもプロ野球選手である。[2]

カール・クロフォード
Carl Crawford
ロサンゼルス・ドジャース時代
(2013年4月21日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ヒューストン
生年月日 (1981-08-05) 1981年8月5日(42歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 左翼手
プロ入り 1999年 MLBドラフト2巡目(全体52位)でタンパベイ・デビルレイズから指名
初出場 2002年7月20日
年俸 $20,750,000(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

幼いころはスラム街で育ち、周りは不良だらけだったという。しかし、マイケル・ボーンの父であるレイが子供たちを非行でなく野球に導く優れた指導者だったおかげで犯罪者にならなくて済んだ。このことにクロフォードは感謝しており、当時チームメイトだったマイケルとも親交がある[3]

UCLAからバスケットボールの選手として、ネブラスカ大学からはアメリカンフットボールの選手としてそれぞれ奨学金を提示されたが、最終的には野球の道へ進んだ。

レイズ時代 編集

1999年MLBドラフト2巡目(全体52位)でタンパベイ・デビルレイズから指名され、プロ入り。

2002年7月20日のトロント・ブルージェイズ戦で球団史上最年少(当時)でメジャーデビューを果たし[4]、打率.259、9盗塁を記録した。

2003年は開幕から1番打者として出場していたが、6月には月間打率が2割5分を下回り、1番打者から外されるようになったが、7月以降は3割を超える打率をマークした[5]。リーグ最多の55盗塁を記録し、史上4番目の若さで最多盗塁のタイトルを獲得した[6]

2004年には、自己最多の59盗塁と19三塁打を記録し、初めてオールスターゲーム選出を果たした。また、オフの日米野球にもMLB選抜として来日した。

2005年4月1日、デビルレイズと最大6年総額3100万ドル(最初2年でFAとなる選手側オプションと5年目以降の契約更新の球団オプション付)で契約延長した。また、クロフォードはこの契約のうち、デビルレイズの財団に40万ドルを寄付した[7]。9月以降に打率.371を記録し、シーズン通して打率.301を記録し、初めて打率3割に到達した[5]

 
タンパベイ・デビルレイズ時代
(2006年5月1日)

2006年は前年の手首痛を引きずったまま開幕を迎え[8]、4月は打率.269だったが5月以降は調子を上げ、自己最高の打率.305、18本塁打を記録した。

2007年も手首痛により6月5日以降42試合連続で本塁打を打てず、7月30日のブルージェイズ戦の試合前にはMRI検査を受けドクターストップがかかっていた[9]。しかし、試合が延長戦となり、延長11回に代打として出場し、サヨナラ本塁打を記録した[9]。そしてこの試合から10試合の間に4本塁打を記録している。痛みがひどくなったため、9月16日の試合を最後に戦線離脱し、治療に専念しシーズンを終えた[9]。シーズン通しては打率.315を記録し、オーブリー・ハフが2002年に記録した打率.313の球団記録を更新し[10]ブライアン・ロバーツとリーグ最多タイの50盗塁を記録。2回目の選出となったオールスターゲームでは、フランシスコ・コルデロから本塁打を記録した[11]

2008年は右中指の亜脱臼で8月10日に自身初の故障者リスト入りで離脱して成績を落としたものの[12]、チームが大躍進するのを見て早期復帰に臨み、ポストシーズンで復帰してシーズン当初の2番から5番に打順を変更して活躍を見せた。

 
タンパベイ・レイズ時代
(2009年5月12日)

2009年5月3日のボストン・レッドソックス戦で1試合6盗塁のMLB最多タイ記録を達成。1900年以降では1996年に記録したエリック・ヤング以来史上4人目(5度目)となる記録である。なお、近代野球が成立したとされる1900年以前のものを含めた大リーグ1試合最多盗塁記録7には1つ及ばなかった[13]。3回目のオールスターゲーム出場を果たし、7回の守備でブラッド・ホープが放った本塁打性の打球を好捕。このプレーでMVPに輝いた[14]

2010年、2年連続で3割以上の打率を記録。得点は自己ベストの110、4年ぶりのリーグ三塁打1位、自己最多の19本塁打・90打点を記録した。オフの11月1日にFAとなった。

レッドソックス時代 編集

2010年12月11日にレッドソックスと総額1億4200万ドルの7年契約を結んだ[15]

 
ボストン・レッドソックス時代
(2011年4月3日)

2011年は新天地で新たなスタートを切ったものの、打撃不振に陥る。シーズン開始当初は1番を打っていたものの、後に6番に降格される。また、ワイルドカード進出が懸かったシーズン最終戦、ボルチモア・オリオールズ戦では同点の9回裏2死2塁の場面で、レフトに飛んできた球に対しスライディングキャッチを試みるものの(難しいところではあったが)ボールを落とし(記録はヒット)、2塁走者が生還、チームはサヨナラ負けを喫した。そして、レッドソックスとワイルドカードを争っていたタンパベイ・レイズがこの日のニューヨーク・ヤンキース戦でサヨナラ勝ちを収めたため、チームはワイルドカード2位に終わり、ディビションシリーズ進出はならなかった。最終的な成績は打率.255、11本塁打、18盗塁。打率は自己最低、盗塁数はメジャーデビューした年以来20盗塁を下回った。

2012年は開幕から故障者リスト入りし、復帰を目指してのリハビリ中に負傷。戦列に復帰したのは7月16日になってからで、左肘のトミー・ジョン手術を受けた後は残りのシーズンを全休した[16]。この年は31試合しか出場できず、その後ドジャースへの移籍が決まった。

ドジャース時代 編集

2012年8月25日にジョシュ・ベケットエイドリアン・ゴンザレスニック・プントと金銭と共に、ジェームズ・ローニーイバン・デヘスース・ジュニアアレン・ウェブスタールビー・デラロサジェリー・サンズとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[17]。移籍後は同年の手術の影響で出場はなかった。

2013年は開幕ロースター入りしたが、4月30日に右ハムストリングの故障で離脱。5月に復帰したものの、6月2日に再発し、3日に15日間の故障者リスト入りした[18]。7月5日に復帰[19]。この年は116試合に出場して打率.283、6本塁打、31打点、15盗塁の成績を残した。

 
ロサンゼルス・ドジャース時代
(2014年9月19日)

2014年は前年と同様に正左翼手として開幕から44試合に出場していたが、5月28日に左足首の故障で15日間の故障者リスト入りした[20]

2016年6月5日に戦力外となり[21]、13日に自由契約となった。

引退後 編集

引退後にレコード会社「1501サーティファイド・エンターテインメント」を立ち上げた。

2020年5月16日午後(現地時間、日本時間17日)、自身のレコード会社での撮影中、ノース・ヒューストンの自宅プールで5歳の少年と25歳の女性が溺死する事故に見舞われた[22]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2002 TB 63 278 259 23 67 11 6 2 96 30 9 5 6 1 9 0 3 41 0 .259 .290 .371 .661
2003 151 661 630 80 177 18 9 5 228 54 55 10 1 3 26 4 1 102 5 .281 .309 .362 .671
2004 152 672 626 104 185 26 19 11 282 55 59 15 4 6 35 2 1 81 2 .296 .331 .450 .781
2005 156 687 644 101 194 33 15 15 302 81 46 8 5 6 27 1 5 84 11 .301 .331 .469 .800
2006 151 653 600 89 183 20 16 18 289 77 58 9 9 2 37 3 4 85 8 .305 .348 .482 .830
2007 143 627 584 93 184 37 9 11 272 80 50 10 1 2 32 5 5 112 11 .315 .355 .466 .820
2008 109 482 443 69 121 12 10 8 177 57 25 7 0 5 30 1 2 60 10 .273 .319 .400 .718
2009 156 672 606 96 185 28 8 15 274 68 60 16 2 5 51 1 8 99 7 .305 .364 .452 .816
2010 154 663 600 110 184 30 13 19 297 90 47 10 3 5 46 3 3 104 2 .307 .356 .495 .851
2011 BOS 130 539 506 65 129 29 7 11 205 56 18 6 2 4 23 1 3 104 7 .255 .289 .405 .694
2012 31 125 117 23 33 10 2 3 56 19 5 0 1 2 3 0 2 22 1 .282 .306 .479 .785
2013 LAD 116 469 435 62 123 30 3 6 177 31 15 4 0 2 28 2 3 66 4 .283 .329 .407 .736
2014 105 370 343 56 103 14 3 8 147 46 23 6 0 4 16 0 6 55 5 .300 .339 .429 .767
2015 69 193 181 19 48 9 2 4 73 16 10 2 0 0 10 1 0 41 3 .265 .304 .403 .707
2016 30 87 81 8 15 2 1 0 19 6 0 1 0 1 4 0 1 11 3 .185 .230 .235 .464
MLB:15年 1716 7178 6655 998 1931 309 123 136 2894 766 480 109 34 48 377 24 47 1067 79 .290 .330 .435 .765
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 編集



左翼(LF) 中堅(CF)
























2002 TB 63 160 5 1 1 .994 -
2003 137 318 10 3 1 .991 13 34 0 0 0 1.000
2004 122 274 5 1 1 .996 30 76 0 1 0 .987
2005 147 341 3 2 1 .994 8 20 0 0 0 1.000
2006 148 302 9 3 0 .990 2 2 1 0 0 1.000
2007 139 286 3 4 1 .936 -
2008 108 231 2 4 0 .983 1 2 0 0 0 1.000
2009 154 327 6 4 1 .988 -
2010 147 306 7 2 0 .994 -
2011 BOS 127 235 1 3 0 .987 -
2012 30 42 0 1 0 .977 -
2013 LAD 107 165 3 4 0 .977 -
2014 94 132 1 3 0 .978 -
2015 51 38 0 0 0 1.000 -
2016 21 28 0 0 0 1.000 -
MLB 1595 3185 55 35 6 .989 54 134 1 1 0 .993

タイトル 編集

MLB
  • 盗塁王:4回(2003年、2004年、2006年、2007年)

表彰 編集

MLB

記録 編集

MiLB
MLB

背番号 編集

  • 8(2002年)
  • 13(2003年 - 2012年)
  • 25(2013年)
  • 3(2014年 - 2016年)

脚注 編集

  1. ^ Carl Crawford Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2016年6月17日閲覧。
  2. ^ Mayo, Jonathan (2013年5月25日). “High school shortstop J.P. Crawford leads way in Draft for middle infielders”. MLB.com. 2013年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月25日閲覧。
  3. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、384頁。ISBN 978-4-331-51439-9 
  4. ^ 『メジャー・リーグ・ベースボールオフィシャルイヤーブック2003』 p33頁。ISBN 4583612230
  5. ^ a b Crawford Biography” (英語). JockBio. 2008年9月11日閲覧。
  6. ^ Crawford Fact” (英語). JockBio. 2008年9月11日閲覧。
  7. ^ Bill Chastain (2005年4月1日). “Crawford inks six-year deal with Rays” (英語). MLB.com. 2016年6月6日閲覧。
  8. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、103頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  9. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、107頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  10. ^ Tampa Bay Devil Rays Batting Leaders - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年2月5日閲覧。
  11. ^ July 10, 2007 All-Star Game at AT&T Park Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年2月5日閲覧。
  12. ^ Crawford placed on 15-day disabled list” (英語). MLB.com (2008年8月10日). 2010年7月22日閲覧。
  13. ^ Alden Gonzalez (2009年5月3日). “Crawford taking thievery to new level” (英語). MLB.com. 2016年6月6日閲覧。
  14. ^ Associated Press (2009年7月15日). “Great catch: Crawford grabs All-Star MVP award” (英語). USA Today. 2010年7月22日閲覧。
  15. ^ "Red Sox Sign Outfielder Carl Crawford to Seven-Year Deal" (Press release) (英語). MLB.com (Boston Red Sox). 11 December 2010. 2016年6月6日閲覧
  16. ^ “レ軍クロフォードがトミー・ジョン手術へ”. 日刊スポーツ. (2012年8月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120821-1004022.html 2016年6月6日閲覧。 
  17. ^ "Dodgers acquire Gonzalez, Beckett, Crawford and Punto from Red Sox" (Press release) (英語). MLB.com (Los Angeles Dodgers). 25 August 2012. 2016年6月6日閲覧
  18. ^ "Dodgers place Carl Crawford on disabled list; recall Stephen Fife" (Press release) (英語). MLB.com (Los Angeles Dodgers). 3 June 2013. 2016年6月6日閲覧
  19. ^ "Dodgers reinstate Carl Crawford from the disabled list, option Scott Van Slyke" (Press release) (英語). MLB.com (Los Angeles Dodgers). 5 July 2013. 2016年6月6日閲覧
  20. ^ "Dodgers place Carl Crawford on the DL, select contract of Jamie Romak" (Press release) (英語). MLB.com (Los Angeles Dodgers). 28 May 2014. 2016年6月6日閲覧
  21. ^ Jack Baer (5 June 2016). "Dodgers designate Crawford, call up Barnes" (Press release) (英語). MLB.com. 2016年6月6日閲覧
  22. ^ 通算480盗塁クロフォード氏、2人死亡の自宅怪事件に沈痛「言葉がない」 Full-Count 2020.05.26 (2020年5月26日閲覧)

関連項目 編集

外部リンク 編集