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カール=ハインツ・ホフマンKarl-Heinz Hoffmann, 1910年11月28日 - 1985年12月2日)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の政治家軍人ドイツ社会主義統一党(SED)政治局員。国家人民軍(東ドイツ軍)参謀総長、国防相を務めた。上級大将

カール=ハインツ・ホフマン
Karl-Heinz Hoffmann
Bundesarchiv Bild 183-1982-1217-023, Heinz Hoffmann.jpg
カール=ハインツ・ホフマン(1982年)
生誕 1910年11月28日
マンハイム
死没 (1985-12-02) 1985年12月2日(75歳没)
シュトラウスベルク
所属組織 Emblem of the Ground Forces of NVA (East Germany).svg国家人民軍地上軍
(Landstreitkräfte)
軍歴 1952年-1985年(地上軍)
最終階級 上級大将(Armeegeneral)
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ホフマンは1910年、マンハイム労働者家庭に生まれ、義務教育修了後は1925年から1928年にかけて機械工としての訓練を受けた。1926年から1930年にかけてはドイツ共産主義青年連盟(Kommunistischer Jugendverband Deutschlands)に所属し、1930年ドイツ共産党に入党。この間にデモ参加と暴力沙汰により、短期間の拘留を経験している。

1933年にはナチス政権を掌握したため、共産主義者であったホフマンは弾圧を逃れるため潜伏。ゲシュタポにより手配され、1933年〜1935年、ソ連亡命1935年にはスイスに逃れるが、同年再びソ連に移住した。1936年リャザンの士官学校に入校し、中尉に任官。1936年〜1937年、第2国際旅団ハンス・バイムラー大隊の政治委員として、スペイン内戦に従軍し、1937年1940年に第11国際旅団に配属された。1941年には内務人民委員部(NKVD)の要員となり、パルチザンの教練を担当し、独ソ戦勃発後は赤軍に入り、ドイツ軍と戦った。

1946年1月、東ベルリンに戻り、ヴィルヘルム・ピークおよびヴァルター・ウルブリヒトの個人的な協力者となる。その後、ドイツ人民警察の副総局長。1950年から内務省の総局長、1952年7月1日には兵営人民警察(Kasernierte Volkspolizei)隊長となり、中将(Generalleutnant)に叙された。1950年、人民議会議員となり、1952年にはドイツ社会主義統一党中央委員に選ばれた。1957年にはソ連軍参謀本部軍事アカデミーを卒業し、同年12月には国防第一次官となった。1958年3月に第一次官職が廃止されると、彼は国防次官兼国家人民軍参謀総長となった。

表敬訪問した軍事アカデミーの卒業生を出迎えるエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長とホフマン国防相(1980年10月)

1959年大将(Generaloberst)に昇進し、翌1960年、国防相に任命された。1961年には上級大将(Armeegeneral)に昇り、1969年にソ連軍参謀本部軍事アカデミー附属高等学術課程を修了。1975年、党政治局員に選出。1985年のその死まで国防相を務め、国家人民軍の頂点に立ち続けた。

関連項目編集