ガイスカ・メンディエタ

スペインのサッカー選手

ガイスカ・メンディエタ・サバラGaizka Mendieta Zabara, 1974年3月27日 - )は、スペインバスク州レケイティオ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF

ガイスカ・メンディエタ
2018年のメンディエタ
名前
本名 ガイスカ・メンディエタ・サバラ
Gaizka Mendieta Zabala
ラテン文字 Gaizka Mendieta
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-03-27) 1974年3月27日(50歳)
出身地 レケイティオ
身長 173cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
0000-1992 スペインの旗 カステリョン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992 スペインの旗 カステリョン 16 (0)
1992-1994 スペインの旗 バレンシアB 34 (4)
1993-2001 スペインの旗 バレンシア 230 (44)
2001-2004 イタリアの旗 ラツィオ 20 (0)
2002-2003 スペインの旗 バルセロナ (loan) 33 (4)
2003-2004 イングランドの旗 ミドルズブラ (loan) 31 (2)
2004-2008 イングランドの旗 ミドルズブラ 31 (2)
通算 395 (56)
代表歴
1991  スペイン U-18 5 (0)
1993  スペイン U-20 3 (0)
1992-1996  スペイン U-21 13 (0)
1996  スペイン 五輪 2 (0)
1999-2002 スペインの旗 スペイン 40 (8)
1998-2007 バスク州の旗 バスク 6 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

Gaizkaはバスク語で「救世主」の意味がある。

クラブ経歴 編集

バレンシアCF 編集

バスク自治州ビルバオに生まれ、17歳の時にセグンダ・ディビシオン(2部)のCDカステリョンからデビューした。1991-92シーズンをセグンダで戦った後、CDカステリョンと同じバレンシア州にあるプリメーラ・ディビシオン(1部)のバレンシアCFに移籍した。1992-93シーズンはバレンシアCF・メスタージャでプレーすることが多かったが、1993年6月13日にトップチームデビューを果たした[1]。1995-96シーズンはトップチームで42試合中34試合に出場し、1990年以来の最高成績である2位でシーズンを終えた。1997-98シーズンはクラウディオ・ラニエリ監督が就任し、メンディエタの飛躍の年となった。38試合中30試合に出場して10得点し、スペイン代表デビューを飾った。1999年6月26日コパ・デル・レイ決勝でアトレティコ・マドリードを下し、バレンシアで初となるタイトルを勝ち取った。エクトル・クーペル監督が就任した1999-2000シーズンもまずまずのシーズンであった。スーペルコパ・デ・エスパーニャではFCバルセロナに4-3で競り勝ち、リーグ戦では自己最多の13得点を決め、チームは3位に入った。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグの準決勝ではバルセロナを破って決勝に進出したが、決勝ではレアル・マドリードに0-3で敗れて準優勝に終わった。しかし彼は大会最優秀MFに選ばれた[2]

2000-01シーズンもUEFAチャンピオンズリーグ決勝に到達したが、今度はバイエルン・ミュンヘンにPK戦の末に敗れて2シーズン連続での準優勝に終わった。彼は90分の間にPKを決めている[3]。大会後には再び大会最優秀MFに選ばれた。

SSラツィオ 編集

2001年の移籍市場では引く手あまただったが、7月20日イタリアSSラツィオに移籍した。この際に支払われた移籍金はイタリアのクラブが国外のクラブに支払った史上最高額の900億リラ(約50億円)であり[4]、世界を見渡しても6番目に高額な移籍金であった[5]。しかし、彼のセリエAでの挑戦は失望に終わり、過去に在籍したプレーメーカーのパベル・ネドベドフアン・セバスティアン・ベロンと同等のプレーはできなかった。

2002-03シーズンはFCバルセロナにレンタル移籍してスペイン復帰[6]。多くの試合で先発出場する機会を得たが、リーグ戦は6位に終わった。2003-04シーズンはイングランド・イングランドミドルズブラFCにレンタル移籍した[7]。 移籍直後は主力として活躍し、クラブ初のタイトルとなるカーリング・カップの優勝に貢献し[8]、シーズン終了後にはミドルズブラに完全移籍した。

ミドルズブラFC 編集

ミドルズブラFCでの最後の2シーズンは度重なる怪我に悩まされ、試合に出られる健康状態に戻るまでの長期間ベンチ生活が続いた。2006-07シーズンにはまったくトップチームの試合に出ることはなく、ガレス・サウスゲート監督が彼をもはやトップチームの戦力とはみなしていないことはメンディエタのモチベーションを低下させた。2007年冬の移籍市場ではレアル・ソシエダアスレティック・ビルバオマラガCFなどが彼の獲得に興味を示したが、具体的な契約には至らなかった。同年夏の移籍市場ではロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍の可能性が報じられたが[9]、移籍期限終了間際になってミドルズブラでプレーし続けることを明らかにした。しかし、その翌日にはクラブのキース・ランブ取締役がメンディエタの発言を無視し、彼がトップチームでプレーする機会が「ノー・チャンス」であると答え、2007-08シーズンは背番号さえ与えられなかった。ミドルズブラFCでのラストマッチは2006年12月26日エヴァートンFC戦であった[10]2008年5月13日にクラブとの契約が満了し、多くの成功を収めた17年のプロサッカー選手生活にピリオドを打った[11]

引退後 編集

2009年末、BBCのインタビューで指導者生活に興味があると語った。現役引退後は家族とともにミドルズブラ近郊のYarmという街で暮らしている[12]

代表経歴 編集

1996年夏、U-21スペイン代表の一員としてUEFA U-21欧州選手権に臨み、準優勝の成績を収めた。25歳の誕生日であった1999年3月27日UEFA欧州選手権2000予選のオーストリア戦で、フアン・カルロス・バレロンとの途中交代でスペインA代表デビューを飾った。ベルギーとオランダで共催された本大会のメンバーにも選ばれ、ベスト8進出に一役買った[13]SSラツィオ時代にはスランプに陥ったが、2002 FIFAワールドカップのスペイン代表メンバーに招集された。控え選手の立場であったが南アフリカ戦ではフリーキックで1得点し、アイルランド戦ではPK戦の最終キッカーを務めた[14]。2002 FIFAワールドカップの4ヶ月後のベルギーとの親善試合で40キャップに到達し、その試合が代表での最後の試合となった。

特徴 編集

ポジションはミッドフィールダーバレンシアCFでは主にセンターハーフとしてプレーし、SSラツィオではセンターハーフや右サイドハーフとしてプレーしていたが、スペイン代表では右ウイングとしてプレーすることが多かった[4]

個人成績 編集

クラブ 編集

クラブ シーズン リーグ戦 国内カップ リーグカップ 国際大会 合計
ディヴィジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
カステリョン 1991-92 セグンダ 16 0 0 0 - - 16 0
バレンシアB 1992-93 セグンダB 22 0 - - - 22 0
1993-94 12 4 - - - 12 4
通算 34 4 - - - 34 4
バレンシア 1992-93 プリメーラ 2 0 0 0 - 0 0 2 0
1993-94 20 2 0 0 - 0 0 20 2
1994-95 13 1 3 0 - - 16 1
1995-96 34 0 8 0 - - 42 0
1996-97 30 1 0 0 - 6 0 36 1
1997-98 30 10 5 0 - - 35 10
1998-99 37 7 7 5 - 10 0 54 12
1999-00 33 13 2 1 - 16 5 51 19
2000-01 31 10 0 0 - 16 4 47 14
通算 230 44 25 6 - 48 9 303 59
ラツィオ 2001-02 セリエA 20 0 4 0 - 7 0 31 0
バルセロナ (loan) 2002-03 プリメーラ 33 4 1 0 - 13 2 47 6
ミドルズブラ (loan) 2003-04 プレミアリーグ 31 2 1 0 6 1 0 0 38 3
ミドルズブラ 2004-05 プレミアリーグ 7 0 0 0 0 0 1 0 8 0
2005-06 17 2 6 1 0 0 6 0 29 3
2006-07 7 0 0 0 1 0 0 0 8 0
通算 31 2 6 1 1 0 7 0 45 3
スペイン通算 313 52 29 6 - 65 11 407 69
キャリア通算 395 56 37 7 7 1 75 11 480 71

代表 編集

試合数
  • 国際Aマッチ 40試合 8得点(1999年 - 2002年)


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
1999 9 1
2000 13 3
2001 8 3
2002 10 1
通算 40 8
得点
# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 1999年6月5日   ヴィラ=レアルエスタディオ・エル・マドリガル   サンマリノ 9-0 9-0 UEFA EURO 2000予選
2 2000年6月7日   ルクセンブルク市スタッド・ヨジー・バーテル   ルクセンブルク 0-1 0-1 親善試合
3 2000年6月21日   ブルッヘヤン・ブレイデルスタディオン   ユーゴスラビア 3-3 3-4 UEFA EURO 2000
4 2000年6月25日   ブルッヘ、ヤン・ブレイデルスタディオン   フランス 1-1 1-2 UEFA EURO 2000
5 2001年3月24日   アリカンテエスタディオ・ホセ・リコ・ペレス   リヒテンシュタイン 4-0 5-0 2002 FIFAワールドカップ・予選
6 5-0
7 2001年9月1日   バレンシアエスタディオ・デ・メスタージャ   オーストリア 4-0 4-0 2002 FIFAワールドカップ・予選
8 2002年6月12日   大邱広域市大邱スタジアム   南アフリカ共和国 1-2 2-3 2002 FIFAワールドカップ

タイトル 編集

クラブ 編集

バレンシアCF
ミドルズブラFC

脚注 編集

  1. ^ Middlesbrough profile
  2. ^ Real storm to Cup glory”. BBC Sport (2000年5月24日). 2010年11月16日閲覧。
  3. ^ Bayern crowned European champions”. BBC Sport (2001年5月23日). 2010年11月16日閲覧。
  4. ^ a b 「"期待はずれ"では終われない」Sport Graphic Number、文藝春秋、2002年4月25日号、109頁
  5. ^ Mendieta agrees to Lazio move”. BBC Sport (2001年7月19日). 2010年11月16日閲覧。
  6. ^ Barca seal Mendieta loan deal”. BBC Sport (2002年7月20日). 2010年11月16日閲覧。
  7. ^ Boro sign Mendieta”. BBC Sport (2003年8月21日). 2010年11月16日閲覧。
  8. ^ Boro lift Carling Cup”. BBC Sport (2004年2月29日). 2010年11月16日閲覧。
  9. ^ Boro's Mendieta could be US bound”. BBC Sport (2007年2月6日). 2010年11月16日閲覧。
  10. ^ Everton 0-0 Middlesbrough”. BBC Sport (2006年12月26日). 2010年11月16日閲覧。
  11. ^ Paylor, Eric (2008年10月9日). “I'm glad I came to Boro - Mendieta”. Evening Gazette. http://www.gazettelive.co.uk/boro-fc/boro-fc-news/2008/10/09/i-m-glad-i-came-to-boro-mendieta-84229-21998950/ 2010年11月16日閲覧。 
  12. ^ “What became of Gaizka Mendieta?”. BBC Sport. (2009年11月3日). http://newsimg.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8323143.stm 2010年11月16日閲覧。 
  13. ^ Raul miss sends France through”. BBC Sport (2000年6月25日). 2010年11月16日閲覧。
  14. ^ Heartbreak for South Africa”. BBC Sport (2002年6月12日). 2010年11月16日閲覧。

外部リンク 編集