メインメニューを開く

ガイ・ヘッカー

ガイ・ジャクソン・ヘッカー(Guy Jackson Hecker 、 1856年4月3日 - 1938年12月3日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ヤングスビル出身のプロ野球選手投手一塁手)。右投げ右打ち。

ガイ・ヘッカー
Guy Hecker
Guy Hecker baseball card.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州ヤングスビル
生年月日 1856年4月3日
没年月日 (1938-12-03) 1938年12月3日(82歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手一塁手
初出場 1882年5月2日
最終出場 1890年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

19世紀のアメリカン・アソシエーションで9年間活躍し、投手部門(三冠)と打撃部門(首位打者)の両方でリーグ1位を記録した。

目次

経歴編集

1882年のアメリカン・アソシエーション創設の際、ルイビル・エクリプスの選手としてメジャーリーグに登場、当初は一塁を守ることが多かったが、投手としても13試合を投げ、1.30という低い防御率を記録し、9月にはノーヒットノーランを達成、翌年から主に投手として登場するようになった。

2年目の1883年は53試合に登板して28勝(23敗)の成績を残す。圧巻は1884年で、この年ユニオン・アソシエーションが活動して各チームの選手層が薄かったこと、またオーバースローが解禁になったこと等も手伝って、ヘッカーは75試合に登板し72完投、670イニングス以上を一人で投げきり、リーグ最多の52勝、385奪三振を挙げただけでなく、1.80の防御率も残し、この年のアメリカン・アソシエーションの三冠投手となった。その後は登板回数を徐々に減らし、登板しない試合では一塁を守るという形で出場していた。

1886年は投手として49試合に登板する一方、打つ方でリーグ最高の.341の打率を残した。[1]しかし翌年からはそれまでの投げすぎもあって投球/打撃の両方の成績が急激に低下、1889年を最後にルイビルからピッツバーグに移籍する。1890年には現在のピッツバーグ・パイレーツの監督をつとめたが、チームは23勝113敗と惨敗し、この年を最後にメジャーリーグを離れた。その後は石油の事業の傍ら、いくつかのマイナーリーグなどのチームの監督をつとめていた。1938年にオハイオ州で死去したが、その7年前に交通事故に遭い、かつて52勝を挙げた右腕は既に自由が利かなくなっていたそうである。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1882 LOU 13 11 10 0 -- 6 6 0 -- .500 403 104.0 75 0 5 -- -- 33 7 0 49 15 1.30 0.77
1883 53 52 51 3 -- 28 23 0 -- .549 2056 469.0 526 4 75 -- -- 164 20 0 298 174 3.34 1.28
1884 75 73 72 6 -- 52 20 0 -- .722 2649 670.2 526 4 56 -- 16 385 27 2 230 134 1.80 0.87
1885 53 53 51 2 -- 30 23 0 -- .566 1988 480.0 454 6 54 -- 18 209 16 2 252 116 2.18 1.06
1886 49 48 45 2 -- 26 23 0 -- .531 1815 420.2 390 6 118 -- 10 133 21 0 273 134 2.87 1.21
1887 34 32 32 2 -- 18 12 1 -- .600 1256 285.1 325 9 50 -- 10 58 12 0 214 132 4.16 1.31
1888 26 25 25 0 -- 8 17 0 -- .320 970 223.1 251 5 43 -- 10 63 6 0 154 84 3.39 1.32
1889 19 16 15 0 -- 5 13 0 -- .278 716 151.1 215 7 47 -- 5 33 15 0 145 94 5.59 1.73
1890 PIT 14 12 11 0 -- 2 9 0 -- .182 562 119.2 160 9 44 -- 3 32 4 0 111 68 5.11 1.71
通算:9年 336 322 312 15 -- 175 146 1 -- .545 12415 2924.0 2922 50 492 -- 72 1110 128 4 1726 951 2.93 1.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1882 LOU 78 345 340 62 94 14 4 3 125 -- -- -- -- -- 5 -- -- -- -- .276 .287 .368 .655
1883 81 344 332 59 90 6 6 1 111 -- -- -- -- -- 12 -- -- -- -- .271 .297 .334 .631
1884 78 328 316 53 94 14 8 4 136 42 -- -- -- -- 10 -- 2 -- -- .297 .323 .430 .754
1885 70 303 297 48 81 9 2 2 100 35 -- -- -- -- 5 -- 1 -- -- .273 .287 .337 .624
1886 84 378 343 76 117 14 5 4 153 48 25 -- -- -- 32 -- 3 -- -- .341 .402 .446 .848
1887 91 407 370 89 118 21 6 4 163 50 48 -- -- -- 31 -- 6 38 -- .319 .381 .441 .821
1888 56 228 211 32 48 9 2 0 61 29 20 -- -- -- 11 -- 6 16 -- .227 .285 .289 .574
1889 81 351 327 42 93 17 5 1 123 36 17 -- -- -- 18 -- 6 27 -- .284 .333 .376 .709
1890 PIT 86 368 340 43 77 13 9 0 108 38 13 -- -- -- 19 -- 9 17 -- .226 .285 .318 .603
通算:9年 705 3052 2876 504 812 117 47 19 1080 278 123 -- -- -- 143 -- 33 98 -- .282 .324 .376 .699
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録編集

監督としての戦績編集

※順位は年度最終順位

年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1890年 PIT NL 138 23 113 .169 8位 選手兼任
通算 138 23 113 .169

脚注編集

  1. ^ 現在の規定を適用すると規定打席に不足するため、ピート・ブラウニングを首位打者とする資料もある。また当時はデーブ・オルがこの年の首位打者と発表されていた。

関連項目編集

外部リンク編集