ガブリエル・ギフォーズ

ガブリエル・ディー・ギフォーズ英語: Gabrielle Dee Giffords1970年6月8日 - )は、アメリカ合衆国政治家実業家アリゾナ州選出連邦下院議員ピマ郡ピナル郡サンタクルス郡)、同州上院議員及び下院議員を歴任した。民主党指導者会議のメンバーで新民主党グループに所属していた。また彼女は中道的だったため、ブルー・ドッグと呼ばれる穏健派グループメンバーであった。ユダヤ教改革派の信徒である。2022年7月7日にはアメリカ合衆国で文民に贈られる最高位の勲章である大統領自由勲章を受章した[1]

ガブリエル・ギフォーズ
Gabrielle Giffords
Gabrielle Giffords official portrait.jpg
2010年3月24日
生年月日 (1970-06-08) 1970年6月8日(52歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アリゾナ州ツーソン
出身校 スクリプス大学
コーネル大学
前職 実業家
所属政党 民主党
称号 Presidential Medal of Freedom.svg 大統領自由勲章
配偶者 マーク・E・ケリー
サイン Signature of Gabrielle Giffords.jpg

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Seal of the United States House of Representatives.svg 下院議員
選挙区 アリゾナ州の旗 アリゾナ州第8区
在任期間 2007年1月3日 - 2012年1月25日

アリゾナ州の旗 アリゾナ州
上院議員
選挙区 第28区
在任期間 2003年1月8日 - 2006年1月9日
州知事 ジャネット・ナポリターノ

アリゾナ州の旗 アリゾナ州
下院議員
選挙区 第13区
在任期間 2001年1月1日 - 2003年1月8日
州知事 ジェーン・ディー・ハル
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経歴編集

誕生から大学院修了まで編集

1970年6月8日にアリゾナ州ツーソンで誕生した。彼女はユダヤ教徒の父親とキリスト教徒の母親という宗教的に混交した家庭環境で育った。祖父はリトアニアからアメリカへ移住したユダヤ人であった。ツーソンの地元高校を卒業後はスクリプス大学英語版へ進学し、社会学ラテンアメリカ史の分野で学士号(Bachelor of Arts)を取得して卒業した。その後、メキシコフルブライト奨学生として1年間過ごした。その後、1996年コーネル大学大学院で地域開発計画分野の修士号を取得した。研究はアメリカ合衆国とメキシコの関係に関するものであった。大学院修了後にニューヨーク市のプライスウォーターハウスで地域経済開発の専門家として勤務した。

政界入り編集

2001年から2003年までアリゾナ州下院議員を務め、2005年まではアリゾナ州上院議員を務めた。2006年11月の中間選挙ではアリゾナ州第6区で共和党のジム・コルビーに勝利した。2007年アメリカ海軍大尉の宇宙飛行士であるマーク・E・ケリーと結婚した。

銃撃事件編集

2011年1月8日にアリゾナ州ツーソンでジャレッド・リー・ロフナーによる発砲事件により、頭部を撃たれて重体となる[2][3]。犯人のロフナーがなぜ銃を乱射したのかは、本人が黙秘しているためによく分かっていないが、ロフナーは政府に不満があると発言していた。また、2010年の中間選挙でギフォーズの事務所へ頻繁に嫌がらせをしていたと言う。さらに、ロフナーは軍に志願したが認められなかったことへの憤りや、以前から犯罪歴があり、精神的な不安定からマインドコントロールナチス共産主義思想の本を愛読していたと言う)に関心を持っていたことから、ロフナーは精神的な問題を抱えていた可能性があるという。

この発砲事件に関連して、大統領選挙で元副大統領候補であった共和党のアラスカ州のサラ・ペイリン州知事が、2010年の選挙の際に「再装弾(リロード)せよ!」とツイッターで発言したり、選挙戦対抗馬を表すターゲットマップとしてギフォーズを含む民主党候補をライフルの的でフェイスブックに表現していた(その後、ギフォーズは事務所のガラスを割られたり、脅迫を受けるようになった)ことが、この事件に繋がったのではないかと議論されている[4]。ペイリンは、事件後直ちに「再装弾せよ!」ツイート、標的マップを削除している[5]

ギフォーズは銃規制反対派であり、ワシントンD.C.の銃規制法令にも反対していた。個人でグロック社製の銃も所持している。しかし、ギフォーズは全米ライフル協会(NRA)から「D+」の評価があり、米国銃所有者協会(GOA)からは「D-」の評価だった(アリゾナ州は全米でもアラスカ州・バージニア州などと並んで銃規制が最も弱い州の1つである)。

なお、ギフォーズは銃容認などが一部の左派からも批判対象となっており、特に同党のナンシー・ペロシ議長との対立後はそれが顕著だった。ペイリンを銃撃事件の扇動者として批判していた左派有名サイトの「デイリー・コス」もペイリンと同様の「標的マップ」を2008年の選挙で掲載し、しかも左派の立場からギフォーズを「標的」としていたことが後に分かって議論を呼んだ[6]

 
事件後初登院するギフォーズ

6月16日、銃撃の傷が癒えたため、リハビリ先の病院を退院した。今後はテキサス州の自宅で24時間看護を受けながら通院治療に専念するとしている。8月1日、アメリカ債務上限引き上げ法案の採決を行うため、事件後初めて下院本会議に出席した。議場では民主・共和党の議員らから復帰を祝福され、彼女も同僚議員の肩を抱くなどして感謝の意を示した。なお、採決では賛成票を投じた[7]。2012年1月25日、回復を最優先してリハビリに専念するため下院議員を辞職した[8]

頭部負傷から復帰を果たしたギフォーズの不屈の闘志と「苦難を克服して勝利する資質」を称えて、2012年2月10日にアメリカ海軍は新造のインディペンデンス級沿海域戦闘艦に『ガブリエル・ギフォーズ英語版』と命名することをレイ・メイバス英語版海軍長官の名で発表した[9]

ギフォーズを銃撃して6人を射殺したロフナーは、司法取引を経て2012年11月8日ニューヨーク連邦地方裁判所終身刑を言い渡された[10]

かねてより銃規制反対派であったが、事件後は銃規制について理解・共感を示すようになり、公聴会にて「あまりにも多くの子供たちが犠牲になっている。議会の行動を望む」と発言している[11]

政策編集

脚注編集

  1. ^ “Biden presents Presidential Medal of Freedom to Simone Biles, Gabrielle Giffords and 14 others”. CBS. (2022年7月7日). https://www.cbsnews.com/live-updates/biden-medal-of-freedom-watch-live-stream-today-2022-07-07/ 2022年7月8日閲覧。 
  2. ^ 当初は死亡したという報道もあったが、一命は取り留めた。
  3. ^ “米議員らに銃乱射 政治集会中 6人死亡 負傷者多数”. 朝日新聞社. http://www.asahi.com/international/update/0109/TKY201101090003.html 2011年1月9日閲覧。 
  4. ^ Palin slammed over Democrats 'target map' The Age 2011-1-17
  5. ^ アリゾナ銃乱射事件と分裂するアメリカ Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~ 2011年1月13日
  6. ^ Sarah Palin and Daily Kos Have Not “Scrubbed” Posts With “Target” Imagery of Giffords’District Media ITE 2011-1-8
  7. ^ “米乱射で重傷の議員、債務法案採決で事件後初登院” (日本語). ロイター. (2011年8月2日). http://jp.reuters.com/article/usPresidentialElections/idJPJAPAN-22487120110802 2011年8月2日閲覧。 
  8. ^ 頭部撃たれたギフォーズ議員が辞職 奇跡の回復、リハビリに専念「回復して戻りたい」 産経新聞 2012年1月26日
  9. ^ 米議員の名前、軍艦に 乱射事件克服たたえる 産経新聞 2012年2月11日閲覧
  10. ^ 西島太郎 (2012年11月10日). “米女性議員銃撃 終身刑 夫の元宇宙飛行士「人生変わった」”. 読売新聞・朝刊: p. 7 
  11. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2924673?pid=10193910

外部リンク編集

アメリカ合衆国下院
先代
ジム・コルビー
アリゾナ州選出下院議員
アリゾナ州第8選挙区

2007年1月3日 - 2012年1月25日
次代
ロン・バーバー