ガヴリール・ハリトノヴィチ・ポポフロシア語: Гаврии́л Харито́нович Попо́в英語: Gavriil Kharitonovich Popov1936年10月31日 - )は、ソビエト連邦及び、ロシア経済学者政治家ギリシア系ロシア人。ゴルバチョフ期のソ連にあっては、エリツィンアナトリー・サプチャークと並ぶ急進改革派の代表的人物であった。

ガヴリール・ポポフ
Гавриил Харитонович Попов
1990
生年月日 (1936-10-31) 1936年10月31日(87歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国モスクワ
出身校 モスクワ大学
前職 モスクワ大学教授
現職 モスクワ国際大学学長、ソ連人民代議員
所属政党 ソ連共産党(離党)

在任期間 1991年6月12日 - 1992年6月12日
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経歴 編集

1963年モスクワ大学大学院を修了し、同大学教授となる。1970年代の末から改革に関する論文を発表し始め、ゴルバチョフによってペレストロイカが開始されるに及んで急進改革派の立場で政治改革や民族問題について積極的な政策提言を行った。1988年より雑誌『経済の諸問題』編集長。1989年ソ連人民代議員に選出され、エリツィン、アンドレイ・サハロフ博士らと共に急進改革派の議員グループ「地域間代議員グループ」を結成した。

1991年から1992年までモスクワ市長を務め、エリツィンロシア大統領、サプチャークレニングラード(現サンクトペテルブルク)市長とともに改革派の代表であった。

脚注 編集

公職
先代
ワレリー・サイキンロシア語版
(モスクワ市議会
執行委員長)
  モスクワ市長
初代:1991 - 1992
次代
ユーリ・ルシコフ