ガーナサッカー協会

ガーナのサッカー統括団体

ガーナサッカー協会Ghana Football Association、GFA )は、アクラに本拠を置くガーナのサッカー統括団体[2][3]

ガーナサッカー協会
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名称
英語表記Ghana Football Association
略称GFA
FIFAコードGHA
歴史
設立1957
FIFA加盟1958
CAF加盟1960[1]
組織
国または地域 ガーナ
会長クルト・オクラク
公式サイト

1957年に設立された[2]協会は、汚職が発覚した後、2018年6月7日に一時的に解散され[4] 、2019年10月に新たにクルト・オクラク英語版を会長に選出して、FIFA正規化委員会の作業が完了すると協会が再設立された[5]

2019年11月に副会長にマーク・アッドが選出された[6]

沿革編集

ゴールドコーストサッカー協会編集

前身となるゴールドコーストサッカー協会(Gold Coast Football Association)は、1920年に設立された、アフリカで最も古いサッカー統括団体の1つ。記録によると、ケープ・コーストアクラは、英領ゴールド・コーストで正式なリーグを主催した最初の植民地都市だった。 1915年のソフトスタートの後、リーグは1922年に始まり、アクラ・ハーツ・オブ・オークが優勝し、安倉においてフットボールリーグを創設したゴードン・グギスバーグ英語版卿にちなんで名付けられた「グギスバーグシールド」を獲得した[要出典]

この地域におけるサッカーは19世紀の終わり近くにヨーロッパの商人によってもたらされた。商人はそれまでに沿岸地域を征服し、貿易を促進するために砦や城を建設しました。余暇には、船乗りたちは自分たちの間で、そして先住民とサッカーをしていた。

サッカーの人気は海岸に沿って急速に広がり、1903年にケープ・コーストのフィリップ・クオーク・ガバメント・ボーイズ・スクールの当時の校長で、ジャマイカ生まれの英国市民であるブリトンによって最初のサッカークラブであるエクセルシオール (Excelsior) が結成された。ゲームの人気が高まるにつれ、アクラ・ハーツ・オブ・オーク、アクラ・スタンドファスト (Accra Standfast)、ケープ・コースト・ヴェノモスヴァイパース (Cape Coast Venomous Vipers)、ケープ・コースト・ミステリアスドワーフス英語版セコンディ・ハサカスFC英語版セコンディ・イレブンワイズ英語版など、他のアマチュアクラブが海岸沿いに結成された。

ゴールドコーストアマチュアサッカー協会編集

1952年、ゴールドコースト政府は条例14を制定し、ゴールドコーストアマチュアスポーツ評議会を設立、ゴールドコースト政府にサッカーを含むすべてのアマチュア協会を管理する法的権限を付与した。

サッカーの人気が全国に広がるにつれ、既存のクラブは1930年の終わりごろに集まり、リチャード・マーブオ・アクウェイを会長に選出した。

1950年代の半ばにかけて、オヘネ・ジャン英語版が率いるグループは、アクウェイの不正を非難し、ガーナサッカーの成長を支えるべき彼の能力に疑問を呈した。彼らは、ゴールドコーストの知事であるチャールズ・アーデンクラーク英語版卿とパイオニアスポーツオーガナイザーであるジョセフ・ラナドゥライに、アクウェイによるアマチュアサッカー協会の不正についての請願書を提出しました。請願が取り扱われている間、オヘネ・ジャンは「サッカー革命」を主導し、1957年にアクウェイを会長の座から降ろすことに成功した。

ガーナアマチュアサッカー協会編集

1957年、オヘネ・ジャンはサッカー協会の書記長に選出され、ガーナアマチュアサッカー協会が正式に設立された。協会は1958年に国際サッカー連盟 (FIFA) に、1960年にアフリカサッカー連盟 (CAF) に加盟し[1]、国内統括団体としての承認を得た。

ジャンは、製薬会社のMerrs RR Harding and Companyからの最初のガーナFAカップ大会のスポンサーシップを得る。同年、彼は代表チームのために駐在員のコーチ、ジョージ・エインズリーのサービスを確保することに成功した。その後、1959年に、ガーナが1960年7月1日に共和国になる前に、彼は再び最初の全国リーグの組織化に成功した。

ウィネバ宣言編集

1993年のウィネバ宣言を通じて、ガーナのサッカークラブはアマチュアの地位を取り下げることが出来るようになった。専門家チームにより、クラブは会社法(1963年法律179号)に基づいて有限責任会社として法人化された。

2004年にはアクラ・ハーツ・オブ・オークの元代表で政治家であるニャホ・ニャホ=タマクローが会長に主任したが、評議会との対立により1年で会長職を辞している。

解散編集

覆面ジャーナリストであるアナス・アレメヤウ・アナス英語版が審判と協会の職員は賄賂を受け取る場面を撮影しGFA並びにガーナのサッカー全般の汚職を暴露する[4]と、GFAは2018年6月7日に即時解散を決定した。スポーツ大臣のアイザック・クワメ・アシアマ英語版は、GFAの前会長であるクウェシ・ニャンタキ英語版に対し、GFAの全ての関連組織の解散を指示。 GFAは2019年8月に再開した。

再結成と運用編集

2019年10月に選挙が行われ、6人の立候補者の中からクルト・オクラクを会長に選出した[7] 。2019年11月、ヒラリー・ボアテング (Hilary Boateng) を議長に、ロザリンド・アモ (Rosalind Amoh) を副議長に、ナナ・アバ・アナモア英語版、クレオパトラ・ニア (Cleopatra Nsia)、ジェリー・ドグバッセ (Jerry Dogbatse)、ナナ・ポク・フォス・ギアブールII世 (Nana Poku Fosu Geabour II)、クリスチャン・アイザック・メンサ (Christian Isaac Mensah) を委員とした女子リーグ委員会が結成された[8] 。2020年1月、プロスパー・ハリソン・アド (Prosper Harrison Addo) が書記長に任命された[9] 。1月上旬、新たなスタートを切り、チームのパフォーマンスを向上させることを目的としてガーナ全代表チームの技術チームを解散した[10] [11]

解散に伴い、チャールズ・アコナー英語版を男子代表監督に、マーシー・タゴエ英語版を女子代表監督に新たに任命した[12] [13]。ナショナルチーム部門がGFAの外部組織に追加され、副書記であるアレックス・アサンテが代表代理に任命された[14]。2020年9月、スポーツ仲裁裁判所は、とりわけ2019年10月に行われたガーナサッカー協会の代表選挙を無効を訴えたオセイ・パーマーによる上訴を退けた[15]

パートナーシップ編集

2020年10月、GFAはスポーツ用品販売のデカスロン・ガーナ (Decathlon Ghana) と契約を結び、デカスロン・ガーナは男子代表のキットその他のマーチャンダイジング製品の公式小売パートナーとなった[16]

ガーナ代表編集

GFAは1960年にCAFに加盟[1]、1963年にアクラでのアフリカ統一機構 (OAU) 首脳会議に合わせてガーナで行われたアフリカネイションズカップ1963で初優勝。続く1965年にチュニジアで行われたアフリカネイションズカップ1965でも優勝し連覇を達成する。

その後しばらく優勝からは遠ざかるが、再び地元ガーナで開催されたアフリカネイションズカップ1978で13年ぶり3回目の優勝。1978年に第13回アフリカネイションズカップを主催して優勝し、4年後、リビアで行われたアフリカネイションズカップ1982で2大会ぶり4回目の優勝を果たす。アフリカネイションズカップの優勝4回は、7回優勝のエジプト、5回優勝のカメルーンに次ぐ成績である。1990年代以降は優勝経験が無いが、3回(1992・2010・2015)の決勝進出を果たしており、うち2回はPK戦の末敗れている。

(年齢無制限の)FIFAワールドカップの出場権は2006年まで獲得できなかったが、ユースレベルでは大きな成功を収めており、 FIFA U-17ワールドカップでは2度のタイトルを獲得し、準優勝も2回成し遂げている。また、 FIFAワールドユース選手権(現・FIFA U-20ワールドカップ)でも2回準優勝している。2009年にはエジプトで行われたU-20ワールドカップでブラジルを下して初優勝し、アフリカ諸国(CAF加盟国)で初めてFIFA U-20ワールドカップで優勝した国となった[17]

1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルに輝き、アフリカ諸国(CAF加盟国)で初めてオリンピックのサッカー競技でメダルを獲得した国となった。

女子サッカーに関しては、「ブラッククイーンズ」の異名を持つ女子代表がFIFA女子ワールドカップに3回出場している。

脚注編集

  1. ^ a b c CAF and FIFA, 50 years of African football – the DVD, 2009, Ghana Correspondence 18 June 1963. "MEMBERSHIP OF AFRICAN FOOTBALL CONFEDERATION: I refer to your letter No.RC/Vr of 22 March 1963, and inform you that my Association has been a member of the African Football Confederation since December 1960."
  2. ^ a b Southern Times-The Politics of Soccer How Kwame Nkrumah built a team of winners”. Southerntimesafrica.com. 2013年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月7日閲覧。
  3. ^ Ghana Football Association signs 15-million US dollar sponsorship deal with Oil Company – Xinhua | English.news.cn”. News.xinhuanet.com (2013年1月5日). 2013年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月7日閲覧。
  4. ^ a b Breaking News: President Akufo-Addo dissolves GFA”. www.myjoyonline.com. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月8日閲覧。
  5. ^ Kurt Okraku is new Ghana FA president”. www.myjoyonline.com. 2019年11月6日閲覧。
  6. ^ Mark Addo is new Vice President of GFA” (英語). Graphic Online (2019年11月5日). 2021年8月10日閲覧。
  7. ^ GFA Elections: Kurt Okraku elected President – as it happened”. www.myjoyonline.com. 2020年1月4日閲覧。
  8. ^ Nana Aba Anamoah, Rosalind Amoh gets GFA appointment”. ghananewsagency.org. 2020年1月4日閲覧。
  9. ^ 122108447901948 (2020年1月2日). “GFA appoints Prosper Harrison Addo as General Secretary” (英語). Graphic Online. 2020年1月4日閲覧。
  10. ^ Plans underway to restructure national teams – GFA”. www.myjoyonline.com. 2020年1月7日閲覧。
  11. ^ Ghana has not been competitive – Kurt Okraku explains Kwesi Appiah axing”. www.myjoyonline.com. 2020年1月7日閲覧。
  12. ^ 122108447901948 (2020年1月1日). “Mercy Tagoe named as Black Queens coach” (英語). Graphic Online. 2020年1月16日閲覧。
  13. ^ 122108447901948 (2020年1月1日). “Black Stars: CK Akonnor named Head Coach of Ghana” (英語). Graphic Online. 2020年1月16日閲覧。
  14. ^ Association. “Alex Asante heads newly established GFA National Teams Department” (英語). www.ghanafa.org. 2020年1月16日閲覧。
  15. ^ CAS throws out Osei Palmer's appeal against Ghana Football Association | Goal.com”. www.goal.com. 2020年9月18日閲覧。
  16. ^ GFA signs partnership agreement with Decathlon” (英語). MyJoyOnline.com (2020年10月23日). 2020年10月23日閲覧。
  17. ^ Today in History: Ghana beat Brazil with 10 men to win FIFA U-20 World Cup” (英語). www.ghanaweb.com. 2019年11月6日閲覧。

外部リンク編集