キュラソー (オランダ王国)

カリブ海地域の島国、オランダ王国の構成国
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キュラソー
Curaçao
キュラソーの旗 Coat of arms of Curaçao.svg
地域の旗 地域の紋章
地域の標語:なし
地域の歌:Himno di Kòrsou
キュラソーの位置
公用語
主都 ウィレムスタット
最大の都市 ウィレムスタット
政府
国王 ウィレム=アレクサンダー
長官 ルーシール・ジョージ=ウート
首相ウジェーヌ・ルッゲンナース
面積
総計 444km2N/A
水面積率 不明
人口
総計(2010年 142,180人(N/A
人口密度 319人/km2
成立
オランダ領アンティル解体2010年10月10日
通貨 アンティル・ギルダーANG
時間帯 UTC -4DST:なし)
ISO 3166-1 CW / CUW
ccTLD .cw
国際電話番号 599-9
地図

キュラソーオランダ語: Curaçao [kyːraːˈsʌu̯]パピアメント語: Kòrsou、クラサオともいう)は、オランダ王国構成国ベネズエラの北約60kmのカリブ海に位置する島であり、面積は444km2。人口142,180人(2010年)で、首都はウィレムスタット

名称編集

キュラソー (Curaçao) という地名の由来については、先住民たちが自分たちを指す言葉であったという説がある[2]。初期のスペイン語文献が先住民を Indios Curaçaos と記していることは、この説を支持するものとなっている[3]

1525年以後、スペインの地図ではこの島が CuraçoteCurasaoteCurasaore あるいは Curacaute といった名称で記載される[4]。1562年にヒエロニムス・コックアントウェルペンで発行した地図には、Qúracao とある[5]。17世紀までに、ほとんどの地図には Curaçao または Curazao として載せられるようになる[3]

文書では確認できないが、長く言い伝えられてきた語源説として以下のようなものがある。16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ人の航海者たちはビタミンCの欠乏から壊血病になることが多かった。かれらがこの島に上陸すると(おそらくビタミンCを含む果実を食した結果)病気が治癒する者があったため、「治癒の島」(Island of Healing) という意味でポルトガル人は Ilha da Curação [6]、スペイン人は Isla de la Curación [7] と呼んだという。別の説明によれば、この島が貿易の中心であったことから「心臓」や「中心」 (heart) を意味するポルトガル語 coração に由来する名で呼ばれたという。

歴史編集

1499年スペインアロンソ・デ・オヘーダ英語版イタリアアメリゴ・ヴェスプッチによって発見された。もともと先住民のアラワク諸族のカケティオス族英語版が住んでいたが、1527年にスペイン人によりイスパニョーラ島へ労働奴隷として連れて行かれた結果、ほぼ絶滅してしまった。

1634年、オランダが艦隊をキュラソー島に派遣させ、1635年、港入口を敵船から護るためフォート・アムステルダムという砦を建設した。キュラソー島にいたスペイン人は抵抗したものの、島から静かに出て行った。そして1642年オランダ西インド会社により、プンタ港を建設し始めた。また黒人奴隷などを導入し、トウモロコシや落花生のプランテーション農業や塩の生産などで栄えるようになった。1642年にピーター・ストイフェサント: Peter Stuyvesant、3日後にオランダ領ニューアムステルダム(現・ニューヨーク)最後のオランダ統治の知事となる)がキュラソー島を管理する。1651年、12人のユダヤ人が島に住み、1732年に西半球で最も古いシナゴーグを建てた。またキュラソー島は貿易などで戦略上、重要な場所だったため、フランスイギリスなどに襲われたりもしたが、オランダは守り、1815年パリ条約により、再びオランダ西インド会社の管理下に戻った。1854年、奴隷制は廃止された。しかしそれにより、キュラソー島の経済は崩壊的打撃を受けた。

1915年、ベネズエラで油田が発見されると、ロイヤル・ダッチ・シェル社がキュラソー島にベネズエラ産の原油を扱う石油精製所を建設。1920年にはベネズエラの沖合でも油田が発見された。1954年、キュラソー島はオランダ領アンティルに組み込まれ、オランダ領アンティルの行政上の中心地となった。1970年代オイルショックはキュラソー島の石油精製所に大きな打撃を与えた。さらに追い討ちを掛けるように、1985年、ロイヤル・ダッチ・シェルがキュラソー島の製油所を閉鎖した。

2010年10月10日、オランダ領アンティルは解体され、キュラソーは単独のオランダ王国構成国となった。

地理編集

面積444km2種子島とほぼ同じ)、ベネズエラの北の沖合い60kmに位置する。アルバ島ボネール島と共にABC諸島とも呼ばれている。地形は起伏に富んでおり、島の北側には最高地点クリストフィールバーグ山(375m)があり、サボテンの乱立する周囲一帯は国立公園に指定されている。

1年中、貿易風が吹いており、最高気温は30°C前後、最低気温は25°C前後である。1〜9月が乾季で月間降水量は50mm以下、10〜12月が雨季で同じく80〜100mmである。

経済編集

 
ウィレムスタット港

ラム酒をベースにキュラソー産オレンジの果皮を用いたリキュールであるキュラソー酒の産地として有名。ウィレムスタットは自由港として国際貿易中継地である。観光にも力を入れている。失業率は13%である。タックスヘイブンとして知られるが、マネーロンダリングやテロ支援への対策を行っている。売春が認可されている。

2019年11月1日、キュラソーは、オランダ領の関税領域として世界貿易機関への加入を申請[8]し、2020年3月3日の世界貿易機関一般理事会は、キュラソーの加入作業部会の設置を決定した[9]

交通編集

住民編集

アフリカ黒人とオランダ系白人を始めとして、さまざまな民族で構成される。

宗教はカトリックプロテスタントが中心。

公用語はオランダ語だが、島民は混成語パピアメント語を幅広く話す。スペイン語英語も話す。

文化編集

 
ウィレムスタット

首都のウィレムスタットの町並みはユネスコ世界遺産に登録されている。

野球が盛んで第3回WBCではオランダ代表として準決勝まで勝ち進んだ。第4回WBCも同様に2大会連続で準決勝まで勝ち進んだ。

日本人との関連編集

第二次世界大戦前、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人たちが出国するために用いられたのが、オランダ亡命政府の非常勤領事ヤン・ズヴァルテンディクによって発行されたキュラソー島へのビザであった。当時のオランダは、ユダヤ人への偏見が比較的少なかったため、他の欧米諸国が発行していなかったユダヤ人向けビザを発行していた(もっとも、本国はナチス・ドイツに占領されたため、植民地であるキュラソー島向けビザを変則的に発行した)。

実際には「キュラソー入島」ビザは「名目上の行き先」であり、「途中経由地」であるアメリカ上海で旅行を終了するユダヤ人が多数であったのであるが、それを承知の上で、当時のリトアニア、在カウナス日本国領事杉原千畝は日本国通過ビザを発行した。結果、ユダヤ人難民の数千人の命を救うことになる。

この逃亡のためのビザは「キュラソー・ビザ(Curaçao visa)」と呼ばれる。

主な出身者編集

いずれの選手もMLB経験あり。

脚注編集

  1. ^
  2. ^ Joubert and Van Buurt, 1994
  3. ^ a b "Curaçao", Curaçao-nature.com, 2005–2016. Retrieved 12 August 2016
  4. ^ Taino Names of the Caribbean Islands” (2015年2月2日). 2020年8月3日閲覧。
  5. ^ Cock's 1562 map, Library of Congress website
  6. ^ CIA World Factbook- Curaçao”. 2019年7月15日閲覧。
  7. ^ Curaçao”. www.globalsecurity.org. 2019年9月22日閲覧。
  8. ^ wto文書WT/ACC/CUW/1
  9. ^ wto文書WT/ACC/CUW/2
  10. ^ ベネズエラ、ブラジル国境を封鎖 支援物資の搬入阻止”. ロイター (2019年2月22日). 2019年2月22日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集

座標: 北緯12度11分0秒 西経68度59分0秒 / 北緯12.18333度 西経68.98333度 / 12.18333; -68.98333