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キョウトシチー (Kyoto City) は日本競走馬ライブリマウントホクトベガとともに中央地方交流黎明期を代表する1頭である。走った競馬場は中央・地方合わせて16場にも昇る。1994年から1999年まで6年連続で勝ち星を挙げており、息の長い活躍を見せた。

キョウトシチー
Kyotocity.JPG
1995年6月4日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1991年5月3日
死没 2011年3月29日(20歳没)
サッカーボーイ
マウンテンクイーン
母の父 ニゾン
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 若林牧場
馬主 友駿ホースクラブ
調教師 中尾謙太郎栗東
競走成績
生涯成績 中央競馬31戦8勝
地方競馬24戦5勝
日本国外1戦0勝
獲得賞金 6億3896万1000円
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馬名の由来は京都+冠名。

馬齢は旧表記にて統一する。

戦績編集

1993年9月の新馬戦でデビューし2着。1994年4月の未勝利戦で5戦目にして初勝利を挙げたが、その後しばらくは条件戦でくすぶっていた。1995年12月のウインターステークス(現東海ステークス)で重賞初挑戦初勝利を挙げた。

1996年4月の名古屋大賞典で初の地方遠征を行い優勝、9月のシーサイドステークス(現・エルムステークス)で2度目の重賞制覇。さらに年末の東京大賞典コンサートボーイを抑え優勝している。

1997年4月からはダートグレード競走の格付けが行われ、キョウトシチーは昨年にも増して積極的に各地へと遠征し、金沢白山大賞典浦和浦和記念に勝利している。さらに1998年にはドバイワールドカップにも参戦した(結果は6着)。その後も交流競走を中心に活躍、1999年10月の白山大賞典5着を最後に現役を引退した。引退後は種牡馬となったが、現時点では産駒から活躍馬は出ていない。

2009年1月1日付けで用途変更により種牡馬としての供用が停止され、種牡馬引退となった。その後は北海道にある幾千世牧場で功労馬として繋養されていたが、2011年3月中旬頃から体調が悪化し、3月29日の夕方に死亡した[1]

競走成績編集

  • 1993年(4戦0勝)
  • 1994年(7戦2勝)
  • 1995年(12戦4勝)
    • ウインターステークス (GIII)
  • 1996年(9戦3勝)
    • シーサイドステークス (GIII) 、名古屋大賞典 (SP1) 、東京大賞典(南関東G1)
  • 1997年(11戦2勝)
    • 浦和記念(統一GII)、白山大賞典(統一GIII)
  • 1998年(5戦1勝)
    • 白山大賞典(統一GIII)
  • 1999年(8戦1勝)

血統表編集

キョウトシチー血統ファイントップ系) / Northern Dancer 4×4=12.50%) (血統表の出典)

サッカーボーイ
1985 栃栗毛
父の父
* ディクタス
Dictus
1967 栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
父の母
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
* Northern Taste Northern Dancer
Lady Victoria
* Royal Sash Princely Gift
Sash of Honour

マウンテンクイーン
1982 鹿毛
* ニゾン
Nizon
1975 栗毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Exit Smiling Stage Door Johnny
Chandelier
母の母
ヤマカクイン
1972 鹿毛
* Bourbon Prince Princequillo
Lyceum
フェンス トサミドリ
クロサト F-No.7-C


脚注編集

外部リンク編集